虚空と君のあいだに

轍(わだち)【20101126】

26th 11月 2010

轍(わだち)【20101126】

 
 
平たく言うと、めんどくさい。
もっと平たく言うと、世界征服に挫折した。あれ?これって利己主義?
 
 
 
ん?
 
なんか、みんな「俺がどうすべきか?」を言ってくれてるけど、それで俺が何かを選ぶなどの話はないよ。
 
少し長くなるけど、説明するかね。
 
 
まあ、まずコメでリクエストを頂いた「本人確認」も含めて、今までやってきた「現在進行形の分析」の答え合わせを。
 
 
 
 
過去ではなく、今とリンクして情報は価値がある。
陰謀論は過去の話のためにあるんじゃないよ。
ただ、もう調べてないので、あくまでも、これは過去の「答え合わせ」である。
 
 
まずは尖閣と中国の事ね。
尖閣ビデオ流出の話なんだが、くわしく全編を見てないけど、船を操縦できない俺でも、わかることがある。
 
あれが「何もしてない巡視船」に、中国漁船が「ただ、ぶつかって来た」わけではないわけね。
ニュースの数十秒の映像だけで、すぐわかったけど。
 
中国漁船が、漁の仕掛けをあげてるときは、「漁船の左舷側を、巡視船の右舷から」映像を取っていた。(道具を置いて動き出す事はないので、逃げる前。)
 
で、最初の衝突時は、巡視船の左舷のケツにぶつかってきたわけ。
海の交通ルールでは右にすれ違うを徹底すべきなわけで、いやがらせなわけね。
このぶつけられた巡視船は右舷から漁船の進行方向をかぶせていたのは、航跡(船の走った後の泡)でもわかる。
まあ、避けれたか、避けれなかったか?でいうと、間違いなく「避ける事が出来た」わけだが。
 
ただ、カットされた部分、漁船を囲んだ航路(一周以上回った)というとこと、「進行方向をかぶせた」という部分、それは確認できるわけ。
 
つまりは、「嫌がらせ→中国漁船がぶつけるようにしむけた」ということ。
副島の言ってた事も正しかった部分があるかもね。

違法操業(・・・この場合は12海里の領海侵犯かな?)をしてた中国漁船に、いやがらせをして、ぶつけるように仕向けて、その結果、中国船長の堪忍袋の緒が切れて、商売道具=船をぶつけた(回避できるのにしなかった)ってことだと思うよ。
 
 
ただね、俺はこれは現場レベル、海上保安庁での話では「正しい行為」だと思うよ。
違法操業とかの話だけでは、「海域を勘違いした」とか、「仕掛けが流れて、回収しただけ」とか、水掛け論になる。
そのために、「わかりやすい、領海(日本の海)で、船と船がぶつかった(ぶつけられた)=映像に残す」という既成事実を作る。
 
で、中国人船長をしぼって、「日本の海に近づきすぎるなよ!!」として、送り返す。
現場レベルでは正しいし、海という境界線が明確ではないところでは重要なことなんだよ、こういうのは。こういうわかりやすい図式はね。
釣り舟みたいなのでも、これと同じ「威圧の図式」だよ。
ナブラ(魚の群れ)にくるな~ってね。ぶつけはしないけど。
 
尖閣の話は、もともとこんな感じだったこと。
 
そこに中国が、今の日本へ、小沢を追い落として完全に自民化=CIA化=反共カルト化した日本にしてきた牽制が、この尖閣の話に加わったってこと。
 
http://www.mkmogura.com/blog/2010/09/20/948/
comment-page-1#comment-2375

 
今の人民元の切り上げのこと、日本と同じ対米黒字やらを抱える中国なわけです。
いざとなったらアメリカを仲介が必要せず中国コネクション(胡錦濤ー李克教)を持つ小沢を、今の日本、アメリカの手先どもが叩いた。
その事による報復ともいえる話ね。
(ここでのアメリカの意味は、反共、ドル基軸通貨の維持、つまりD側)
 
コメントの中の、尖閣が「小沢と李光耀(シンガポール)なども含めたの中国コネクション、その必要性が強調されるための演出」ってとこね。
 
その中国の姿勢を確認できるところが、その後に起きた前原を狙い撃ちにしたような、「会談拒否」みたいなことなわけ。
で、ついでにレアアース規制もしてくれたと。
まあ、あくまでも中国が主導権を行使した。癪だが、まあCIAの手先の前原が外相だから、しょうがないわけ。
 
で、この昔のコメントの中にも出てきたけど、宇宙戦艦ヤマトのプロデューサーが、この尖閣問題の最中であった先日に、小笠原諸島の父島で不審死をした。
 
レアアースでもわかると思うが、完全に主導権は中国にあり、財界は、尖閣問題なんぞより、儲け話なわけで、そんな最中、前科者のこの人物が問題をこじらせるのは都合が悪かった。
石原と尖閣諸島に銃刀法違反で突っ込んで行ったという、わかりやすい経歴を持つこのヤマトのプロデューサーがね。
 
で、リストラされたと。
そこらへんの事前に言ってあったことはここ。
 
http://www.mkmogura.com/blog/2010/09/24/953
 
 

【社会】 「尖閣諸島に向かう」 船から転落死した「宇宙戦艦ヤマト」の西崎義展プロデューサーの謎

1 :影の軍団ρ ★:2010/11/12(金) 10:59:14 ID:???0
12月1日の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の公開を前に、原作者である
プロデューサーの西崎義展氏(享年75)が船から転落死したことは関係者に衝撃を与えている。
だが、今回の一件はわからないことが多いのが事実だ。

西崎氏は70年代、80年代は角川春樹氏、小栗旬が所属する事務所社長の
山本又一朗氏とともに独立系の3大プロデューサーといわれた大物だ。

西崎氏の場合、代表作はいうまでもなく「宇宙戦艦ヤマト」で一大旋風を巻き起こしたが、
毀誉褒貶(きよほうへん)の激しさは角川氏に負けず劣らず。

銃刀法違反などの事件を起こし、懲役5年6月が確定して3年前に出所した。
そんな西崎氏がどうして船で父島まで出かけたのか。

実は9人が乗船していたという485トンの大型船「YAMATO」は西崎氏所有で、
九州の水産高校から中古で購入したものだった。

価格は改装費用も含めて約2億円だった。では、西崎氏になぜそんな金があったのか。
実は昨年、公開されたアニメの「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」が公開されたが、
これでプロデューサー兼監督を務めた西崎氏は12月公開の実写版にも意欲を燃やし、
製作サイドから原作料として億単位の金銭を得たといわれている。

これらを元に「YAMATO」号を購入。「尖閣諸島に向かう」ともいわれていた。
「西崎氏は購入後は大井埠頭に船を停泊させ、今回が試験航海でした。
ダイビングをやろうとして転落したようですが、彼の当面の目標は尖閣諸島だった。

西崎氏は大物政治家とも懇意で、反日的な中国の態度に憤りを感じていた。
そんな気ままな西崎氏に映画関係者は手を焼いていたが」(事情通)

実写版で主演する木村拓哉は不慮の死を遂げた原作者に何を思うのだろうか。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20101112/Gendai_000130097.html


 
 
ここらは、実写版のヤマトを真如苑という噂もあるどっかのアイドルが出演するとかで、事件前から動いてたわけ。新風のヤマトのポスターの話とか。
そして「お勤めから帰ってきた」わけですから。やった~マンモスうれピー。
 
それが、尖閣問題と中国がレアアースなどでカードを切った事で、こういう事態になったわけね。
 
民主(自民化した菅民主も含む)が都合の悪い事をしたら、どっかの都知事にコメントを求めるよう徹底させてる現在の記者クラブと、その持ち物であるメディアが「ヤマト復活」なんてやってるから、わかりそうなもんでしょ?
 
 
「ぶつけるように誘ってぶつけさせた」がわかってしまうビデオが流出し、実際に中国がレアアースというカードを切った。
犯人探し、構図がはっきりしてしまいそうな状況では、その財界から四面楚歌にされそうになるわけで、英船籍に乗った(前回)自称「国士様」の前科もんが、問題を起こそうとなれば、簡単な図式である。

ただ、ビデオ流出犯をやけに擁護するのは気になるところなんだが・・・おっと、気にしない、気にしない。
 
 
ビデオのことなんだが、外交、国と国との駆け引きの場で、そのまま「ただ中国船長がぶつけさせた=一方的に日本が正しい」という姿勢を日本、というか前原も取っていただろう。
 
だから現在、「こういう状況になったのでノーカットの全編のビデオを公開します」ともできない。一周回って、進路妨害をした以上のことが露呈するからね。
前原の姿勢でもわかると思うが、対中国に対して、「頭下げて、レアアース下さい」しかできないんだから、あたりまえである。
現場で水掛け論しないように=証拠が残るようにする。
逆に、外交は落としどころを考えて、引き気味にやるべきであるはず。
「大人の関係」を作るためね。それが外交。
しかし、アメリカの小間使いにしか過ぎない日本には、いつまでもそれができない。自前で交渉材料を作れないんだから、あたりまえだ。
今回の事も、アメリカに相談してから、じゃあ謝る。って構図でしょ?
 
この対中姿勢を日本の弱腰外交というのなら、俺はこう言い返そう。
「CIA,反共カルトに支配されてて、アメリカにレイプされてるままなら、中国に舐められ、かつ何も出来ないのは当たり前だろ!!」
ロスチャの作った自虐史観も、憲法9条も関係ないわい。ってね。
  
 
で、今回も「損切り」した石原さんよ、ほれ、西崎の不審死と尖閣問題についてコメントしたら?
民主批判よりは詳しいだろ。
前回は「銃があることは知らない」と言って西崎だけつかまったんだから、今回は西崎なんて知らないって開き直ったら?
 
ちなみに、今回の西崎の船は、485トン。で2億円。
通常の人が考える普通のサイズの近海の漁船が5トン船です。
でかいよね。船頭2人とかでやる漁の自動車の2倍はありそうなあの船が5トン。
↑で紹介したように、もとは九州の水産高校の外洋船。
その名も「玄洋丸」。
大昔の右翼の源流、玄洋社=頭山満の福岡を中心とした政治結社から取った名前でしょ?これ。調べてないけど。※調べた。福岡の県立水産高校か。ビンゴ。
 
ちなみに、頭山満の孫(フクニチ新聞の社主)は、石原と青嵐会の運動、「尖閣に灯台を作ろう」という運動に一緒にやっております。
おっと、もちろん日本青年社=住吉会もね。
西崎とも尖閣つながりの船なのよ。
水産系=Dロックが強い、これも答え合わせの部分だね。
リストラ、「とどめを刺すのは仲間のほうが多い」のことも含めてね。
 
 
もともと尖閣の話。
領海侵犯というのも、12海里=自治権というのを、ただそれぞれの国が主張してるに過ぎない。(1海里1825m)
もとは3海里の主張だったわけで。慣例みたいな中で、それぞれが一方的に主張してるだけに過ぎない。国際法もそんなもんよ。
領海の話は、日本ではなくゴチャゴチャした地区での国では全然意味が変わってくるでしょ?
 
海洋の話は、Dロックフェラー系が強い。
ここの話は騎馬民族(ロスチャ)VS航海民族(ロックフェラー)という地政学にも繋がる話。
その源流は、17世紀の清教徒(ピューリタン、新教徒=プロテスタント)のクロムウェル共和制政府の出した航海法になる。
これがこの領海についての起源。
ここは「きっかけ」が見えてきただけで、何も調べてないけど、もう説明する機会はないかもしれないかもしれないので。
 
昔のアングロサクソン至上主義(白人崇拝)だったころの英国(海洋支配)が、オランダの貿易船を締め出すための航海条例。→英蘭戦争。
で、海洋支配が固まった。
 
ビルダーバーグの上層部=ベネルスク3国でもわかるとおり、それと対立したクロムウェルの「共和制」という政府が、反スコティッシュ、反アイルランドだったとこも含めて、この意味では、英よりもロスチャは蘭側になるわけ。この構図だと。
それが航海民族=Dロック、騎馬民族=ロスチャ(スイス・BIS)に繋がっていく、海洋=Dロックよりの発端から、今の航海法という国際法につながるわけね。
騎馬民族=ロスチャは、もともとだけど、そういうわけでD=航海民族=シーパワーは、ここらへんからの影響が多いわけね。
 
この部分は、英国=ロスチャイルドだけだと見えないけど、まそこは今まで何度も説明して来たので割愛します。
 
で、この構図で現在に照らし合せることができる図式が、ソマリア(シュメリアン)のとこね。
その後、知ってのとおり、英国=スコティッシュによる中央銀行支配などなどから、英国ロスチャになって、スエズ運河=ロスチャの物となったわけ。
欧州海洋航路の生命線。しかし、ソマリアというかジブチ側のとこで「故意に」海賊行為や戦争で、治安を悪くさせられると、このロスチャというより欧州海上航路の生命線を断ち切ることができてしまうわけ。
Dロック=石油屋であるから、エネルギー経路のBTCパイプラインなどの駆け引きばかりを注目してしまうけど、航海民族と考えて、航路の確保で考えれば、今後は重要になるわけね。ここが。
 
この話は、まあ、自分で考えてみてくださいな。
海民族VSロスチャ、。ニューエイジ=スコティッシュメソなどで繋がる要素は説明してありますので。

で、その英国の中の反スコの共和政府が海洋支配の礎を作ったと。
例えば、あの皇太子の話とかもスコの大学で知り合ったとか、英中央銀行のスコ侵略の歴史と今の状況とかさ。過去記事ではスクーンの石の話あたりとかね。
まあ、ロンバルディア人を含めて、キリスト教の奴隷商人の会計係=ユダヤだから、もともとユダヤというのは海洋商人の部分もあるんだけどね。横浜のシェルとかもその延長。でもロスチャ側は騎馬民族派です。
まあ調べてみてくださいな。
 
 

あと、言ってない事。
 
ああ、以前なんか「鑑真をやけに取り上げてる」と思った答えなんだけど、「たぶん」天台宗と鑑真の関係だと思う。【20080912】
 
天台宗はもともと、「北朝天皇の宗教」だったわけ。
で、鑑真=唐で新羅とも関係あるんだけどね。
 
これは歴代の北朝天皇の菩提寺である京都東山の泉涌寺(せんにゅうじ)も天台宗だったわけ。
1872年に真言宗に改宗させられてるけどね。
 
さらに鑑真と北朝宗教の天台宗でいうなら、鞍馬寺。(ここと繋がりが深い→貴船神社、貴船→賀茂で、神社全庁にも繋がる)。
鞍馬寺は、もともと天台宗で、神智学に影響されてスピリチュアル化した、今は鞍馬弘教、鑑真の弟子、鑑禎によって作られた。
この鞍馬寺が北朝宗教を微妙に継承し、神智学化したスピリチュアル仏教の巣みたいなとこと予想している。
 
神社全庁との関係があることでもわかるとおり、今の北朝=左翼と重なる左メソと、南朝支配の明治維新の根幹をなした坂本竜馬のように、その南北融合的なポジションにいたのが鑑真だったってことね。
北朝宗教=天台宗なら、簡単な構図でしょ?

明治維新の時、こういう北朝仏教を弾圧し、一部はこうやって融合した段取りをつけたのがどこかってことなんだけど。

北朝天皇のお墓、泉涌寺を廃仏毀釈で、一時は閉鎖寸前まで追い込み、そして「真言宗」に改宗させたことでもわかるとおり、その神道勢と一緒に天皇すり替えを加担した仏教部の中心が、あの真言宗の本山、「高野山」なわけです。
で、当時は絶えていた南朝正統宗教、真言密教の立川流を復活させてできたのが真如苑なわけ。
天台の教義には、法華経(円)+密(台密)・禅・戒という四宗兼学という言葉があります。
それなのに、その教義に「自分の宗派が一番!」と言い張ってた=対立していた真言宗が、同じ密教だから「無理やり」含まれたことにしてしまってるわけ。
もともと天台宗だった天皇家の菩提寺である泉涌寺が(調べりゃ誰でもわかる)、明治維新後にいきなり、この理論から「真言宗の泉涌寺派」などとなっちまってることから、簡単にわかることなんだけどね。
 
つまり、すり替え協力者の仏教部であるかは、この真言と四宗兼学の話あたりで「協力者」であるかが判断がつきます。
 
だから日本の天台宗は、中国の天台宗と全然違っちゃってるわけ。
 
 
神道と仏教部のラインが、ここらへんの話だろうね。
鞍馬寺と貴船神社とか。天皇家だけが檀家だったはずの泉涌寺を追い込んだ、廃仏毀釈の主軸だったという状況証拠の真言宗の高野山のとこ。
ある意味、日本の暗部に一番近い話かもね。
今の南朝仏教部では創価学会ばかりが目立っているけど。
 
それが表の情報だけでも確認できること。
「天皇の宗教が改竄されたとこ」ってことでね。
そもそも真言宗の東寺でなく泉涌寺が天皇家の菩提寺である事で気づけと。
これ以上は調べてないけど。
 
 
 
あと、アニメのこともコメントいただいたので少し。
 
説明したとおり、日本のアニメは、スピリチュアル・ニューエイジを中心とした側で、まあロスチャ側とか左翼的のほうになるわけね。
その中で、異端、Dロック側ともいえるのが、今回出てきた、宇宙戦艦ヤマトとかになる。航海民族だからワンピースもたぶんこっち(見てないけど)。
 
Dロック思想のアニメは、おおまかな特徴としては、右翼思想になることが多い。
それはキリスト教原理主義的な要素を入れても、日本人に支持されるわけがないからね。
そして、スピリチュアル、神秘的な物にたいしても対立する以上、過度には入れにくい。
だから、消去法で残るのは「大儀のために命を投げ出しましょう」的な、思想になってるのがよくあるわけ。
「国家のために」というセリフを前につければ、媚米右翼が泣いて喜びそうな思想で作るアニメ作品ってことね。
 
 
そこで一つ、ロック系でわかりやすい作品を言うと、クロノクルセイドというアニメがある。
これはプロテスタント(福音派)によるエクソシスト(悪魔祓い)がテーマであって、その主人公と戦う悪魔=ニューエイジだから、わかりやすい話である。
 
ニューエイジ・スピリチュアル(福音派左派)に対立する、キリスト教原理主義(福音派右派)の立場で作られたアニメであるわけ。

作られた背景も実に簡単で、このアニメはデザインやら何やらが、クロノトリガーというゲームを意識して書かれている。
鳥山明がデザインを担当した主人公クロノ(クロノス=時間)のスピリチュアル全開のRPGゲームね。
最強の剣が(グラントリオン=グラントリアン=またニューエイジの言葉遊び)、AEONシリーズの装備。
このスピリチュアル全開のゲーム、クロノ・トリガーは、海外とかのアンケートでは一番好きなJPRPGの一位になることも多い。
 
 
つまり、このスピリチュアル(福音派左派)のゲームに対して、危機感をもった福音派右派(キリスト教原理主義)が作ったアニメである。

そのクロノトリガーの続編が(俺はやったことがない)出た当時に、タイトルロゴからして、「明らかにクロノトリガー=スピリチュアル!!」と見せかけて、実は対立する逆側の洗脳装置、それが、フジテレビが作った、キリスト教右派の立場のアニメってこと。微妙に角川系でもあるけどね。
 
そのアニメこそがクロノクルセイド(つまんなかった)。
誰が、名前ぐらいは挙げると思ってたけど。
アニメの敵ボスが「アイオーン=AEON=ニューエイジ」だから簡単な図式である。
ニューエイジを悪魔と罵るキリスト教徒、今現在もよく見るそのままの話である。
 
このアニメ作品のほうの「クロノ」は、あくまでも「主人公に協力する悪魔」として描かれている。
この作品には、「マグダラのマリア」やら「フェチマの第2予言」やら、「アストラルライン」やらの、福音派の右派左派の分類が関係ないとこを題材に盛り込まれている。

で、結局は「ニューエイジは危険ね」という帰結と、「主人公が大儀に命を捧げる」というお決まりの形で、終わるアニメである。
 
まあ、暇なら見てくれ。つまんないけど。
 
 
 
 
あと、アニメつながりで、ジブリの話もするべきか。
 
自分のなかで陰謀論的アニメランキングの1位は、攻殻機動隊だが、2位は意外にも、ジブリのもののけ姫である。

スピリチュアルとカバラ思想の臭う、クロウリーの生贄の儀式も出てくるのは説明したけど、まだ伝えてなかったことがあるわけで。
 
それが、もののけ姫の「たたら場」=踏鞴=鑪=たたら=鉄の製法。
もちろん、たたら=百済なわけね。
多々良=百済の日本読み。
 
そういうこと。
たたらは、コマ=高麗などと同じく伝わった国、これは百済を意味している。
北朝に対して、南朝=百済ね。
これは世界でいうと、鉄を発明したとされるヒクソス=エジプトに流入した白人(も混ざってた)を意味する、東西対立、ロスロックの対立において、ロックフェラー側で繋がってる話である
で、戦争屋と鉄の関係でもある。そこに百済、本来の南朝なわけ。
 
南朝=百済と、それとイコールでつながるロックフェラー側の図式ね。
なのに、宮崎駿は、この南朝=百済に、「帝(天皇)なんて、どうでもいい価値でしかない」という、セリフを盛り込んだってことね。

それが、産経(完全なるロックフェラー系)が生み出した、南朝崇拝の歴史家=司馬遼太郎から「南朝の土台は、もともとは天皇なんてどうでもよかった」という警笛ともいえるニュートラルな話を持ってきた、という過去記事なわけ。【20100624】
 
 
たたら=百済は言ってなかった&気づくのが遅れたわけで。
 
これは宮崎駿のつちかってきた物がよく表れれてる事ところだと思う。
ルパン三世のマモーは、思いっきりロックフェラー陰謀論だったし。(地震兵器、クローン、マイクロチップ)
逆に、カリオストロの城では偽札と、国家という閉鎖的システム(スイスのことか?!!)、これは通貨発行権を揶揄するロスチャイルド批判ともいえる作品だったわけ。
あくまでも両方批判。ニュートラル=中立的な洗脳装置としてやってきたわけで、その延長が、このジブリ作品、もののけ姫だったともいえるからね。
 
南朝=百済に、「帝なんてどうでも良い存在」と言わせることができる。(司馬を持ってきて、もとはこうだったよと、教えることができる)
天皇すり替えというのはミエミエの話なのに、それに関しては本などは出せない今の日本という社会、この南朝崇拝の社会でそれができるんだからね。
フィクションって、うらやましいね。って洗脳装置には違いないけど。
 
そういう、ジブリのニュートラルのポジションを目指してる延長が、藤原直哉を講師に招いたりすることに繋がったんだろう、とかも、わかるわけね。

それは、「右も左も大本教」でもわかるように、大本の中立的ポジションで、日月神事が大好き=大本信者の藤原直哉だからだろう。
 
 
一般的には、ヤギ崇拝ぐらいにしか特殊性がないと勘違いされる宮崎駿が引退したら、たぶんジブリ作品は「スピリチュアル馬鹿」の部分しか残らないと思う。絵が綺麗なだけ。

それ以外のジブリのなかの人達で「洗脳装置としてどうであるべきか?」、これを理解してる人はたぶん「いない」、もしくは少ないと思うよ。
もののけ姫が、司馬から持ってきたことや、司馬が日ユ同祖論者であることも下手すりゃ知らないだろう。
 
 
ジブリが何か?
 
これは同じ洗脳方程式=結婚式をキリスト教でやるように、なぜ日本人が「洗脳」させられているか、という疑問と同義なんだけどね。
でも、誰も理解してないだろうし、藤原直哉あたりにここが説明できるわけがないわなと思う。
 
 
「ニュートラルな洗脳装置」になるためには、洗脳装置である事をちゃんと理解する事が必要なわけで。
 
だって、「この国の轍(わだち)」、南朝崇拝やら「百済=たたら」が何かを理解してなければ、本当の意味での「もののけ姫」の賞賛すべきところがわからないわけだからね。
 
それに中の人達が、そのことをちゃんとわかってたら、創価の社長にはならないってこと。
 
 
あ、ちなみに、たたら=百済を表してるのは間違いないのですが、鉄器=百済の方式は、「完全には」当てはまらないと思います。(あまり調べてない)

日本には、鉄の特性を生かした鉄漿(おはぐろ)があるわけで。
あれは、虫歯防止=おしゃれじゃない。
むしろ、おしゃれじゃないから、戦国時代に男はしなくなったのが、お歯黒。
既婚女性=子供生む=カルシウムを奪われる=鉄漿を継続。
まあ、それが結婚指輪のようにお歯黒=既婚や結婚期をさす表現や象徴みたいになったと。
それを、おしゃれと言うのは無理があるわけで。

歯を塗る化粧自体は、それ以前の縄文弥生などでもあったが、鉄漿、鉄とタンニンを使ったお歯黒は、平安時代から始まった。
錆びた鉄の酢酸第2鉄とタンニンを化学反応させて、虫歯防止をするという最新化学ともいえるお歯黒。もちろん、男もした。
それほど、虫歯は命に関わる最も身近な病気で、お歯黒は優秀な予防治療だった。
で、調べたら、百済勢力と、その平安からの鉄文化、おはぐろ文化の強い地域が、一致するわけではないこと、お歯黒のタンニンのもととなる「虫こぶ」が日本では限られた地域でしか取れず、その方法は中国の一般的なタンニン資源の採取法だったことなどなど。
 
よって鉄器=百済という完全な図式は当てはまらない。
 
 
この百済=蹈鞴(たたら)=和鉄精製法という話も、神代紀(神武天皇が支配した以前の時代の話)からきてるとされますが・・・・まあ、実は神代なんて創世神話であって、嘘っぱちなわけです。
その伝記があったという、これまた作り話のお話です。

そんなわけで、我が国固有の文字=この神代文字の伝記が存在しているという話だったんですが・・・。
じつは朝鮮のハングル(ハングルは15世紀の李朝が作った)に擬した捏造文字というのは露呈していて・・・その捏造に気づかず、日本固有の文字であると主張した人が江戸時代の国学者、平田篤胤なわけ。
 
これは、明治維新前の江戸時代末期の話であって、こいつの理論も一部が継承されて、国家神道という三位一体をつくるんだけどね。
平田篤胤が神代文字であると主張したのの題名が、神字日文伝(カムナヒフミノツタエ)。
さすがに平田(1776~1843)の理論では破綻してたので、昭和になって作り直した(昭和19年)のが、岡本天明が自動書記(笑)で記したとされる、日月神示(ヒフミ・ヒツキシンジ)なわけね。

まあ、名前もここからきただろうという、国家神道と同じぐらいの出来そこないであり、それがニュートラルの基準みたくなってるんだから、笑うしかない。
これの岡本天明が、大本の出口の弟子にあたるというポジションで、大本教を中心に継承されるわけ。
 
おっと脱線したが、こういう部分も理解しなきゃ、「ニュートラルな洗脳装置」は無理なわけです、はい。
 
 
 
 
あと、「答え合わせ」で必要なのは、韓国、北朝鮮有事でのことかな?
【20100606】
まあ、たいした話にはならんと思う。
戦争をさせたかったのは、誰か?ってことと、ならなかったってだけ。
ならどうなるかは、もう言わない。
 
 
 
 
 
さて、まっこうモグラであると本人確認が済んだところで、今の心境みたいなものと、長期でほったらかしてる理由なんかのとこを。
 
別に脅しがあったとか、そんなんではないので、そこは煽らないように。
 
 
 
ただね、なんとなく「わかってしまったことがある」ってだけ。
それはカントを調べてる上で、自分自身を理解してしまったって部分。
 
カントは、以前、説明したとおり、「自律」という言葉を使って、理論に整合性を持たそうとした。
逆に、自律を提唱する事で、「本能」や、「外部からの人間が影響されること=外律」とかを否定するしかなかった。
だから、「人間には、生まれながらに理性(道徳的法則を追求する素養)がある」としなければならなかった。
 
でもね、以前説明したとおり、人間というか生物すべては、利己主義であること。
食いたいから食い、交尾したいから交尾する。
種を残す行為は、その行為に後から付いてくる2次的な物なんだから。
これは生物である以上、システムとして利己主義、本能や欲望を否定する事ができないわけね。
それをごまかすためにヒューマニズムがあるってこと。【20080726】
 
カントはそれをごまかすために、神学を持ってきたりしたんだけど、それでも、ごまかせなかった部分、自身でも消化できず「呪縛」となった部分があるわけ。
 
それが性欲=「本能」と直結する部分だよ。
まあ、難しい話でも卑下な話でもなく、カントは「他人から影響されること=外律」として、それを「よくない」と提唱した事。
そのことが、明確なパートナーを作ること、結婚=女性との関係が、その外律の部分にひっかかること。
 
そして、おてて繋ぐだけの恋愛とはいかないわけで。
「種の存続」=性欲=本能にも繋がることとして、カントはどうしていいか答えが出せず、自身の理論に整合性を取るために、「独身主義者」に徹するしかなかったわけ。
 
猿として、いや一つの生命体として考えれば、カントのこの「独身主義」という姿勢こそ、よっぽど不自由で変な話なのにね。
 
 
でもね、「これは、俺自身じゃん」とも同時に思った。
 
すべての論者が、基本ロスチャとロックの思想を組んだ走狗に分類される現状も知ってたわけで、「スポンサー」やら「職業」みたいな立場から一切を切り離して、理論は展開すべきだと思ったわけ。
 

http://www.mkmogura.com/site/menu2.html

 
こういうのは、カントを知る以前からの部分もそうだし。
外律を否定するという部分で、全部、カントと俺は重なる。
 
お金に飼われてたら「ロスチャイルドの通貨発行権への批判」することは無理。
そして「お金を批判して、金に変えたくない」のも本心。
もっとわかりやすく言うのなら「お金儲け」では、創価学会や統一教会などの宗教を正面から否定する事なんて、絶対に出来ないでしょ?
善悪だって、主観でしかないんだから。

巷の金儲け論者へは「批判して金稼ぎたいだけ」と反論すれば、それも正論になるって、わかってたわけだからね。
そして、仕事やめたがったのは、カントが独身主義者になった理由と同じ、外律だと思ったんだね、俺は。
 
それ以上に、誰一人、本当の意味で正しいコトをしてくれないという現状に、おれは「アンチ利己主義」という答えを欲しがってしまったんだろうね。
 
カントが一生、独身主義なら、俺は一生、「無職様」である。
まあ転がるプーが選民主義のアンチテーゼにもなるし、わかっててやったんだけどね。
 
 
おっと、「わかったこと」と「その後に考えた事」が混ざっちゃったね。
 
まず、自分もこのブログやらを始めたきっかけが、「ひろさん」のコメントと同じように、「ただ働くだけでは逃げ切ることができなかった灰色の危機感」があったから。
で、自分にできることが、文字通り「見えてた」からこんな事をやってしまったわけね。そこが、自分にとっての満たされない器の部分でもあったから。
 
その結果が、「アンタッチャブルを叩くのはいつもアンタッチャブル」という右も左もやら、どっちかしかいないという現状の説明した、このブログ。
 
その中で自分のやってる姿勢が、カントを知る以前から「世界一不自由な自律」という「むなしさ」であることを、やっと自覚したってとこかな?「やっと」です。
 
 
知ってのとおり、自分のブログには誰かのブログなりとリンクしたりもしないし、できる限り「派閥」や「他者」と切り離した部分の立ち位置を必要としていた。
そして何より、お金に「できる限り関与しない」という姿勢もね。
あと数年後に迫って来た日本の信用崩壊、それを理解してないからと開き直り、ロスチャ系の企業だった親の金で、飯を食わせてもらって平然としてる。
 
世界一自律できてない人間が、必死になって考えた「自律」という言葉が、この姿勢である。
お金に関与しない姿勢であることが、「この社会の共犯者」ではなく、他者に影響されない「批判者としての自律」に必要だと考えてしまった、滅茶苦茶な理論である。
 
記者クラブを批判する人間も、お金を出して新聞を読み、エコエコ詐欺がわかっている人間も、エコという文字が踊るパンフレットの商品を買ってしまう。このブログの読者でもパンフレットを配る側にいる人も少なくないわけで。
この社会を批判できる立ち位置を探したらこうなったわけね。
 
 
でも、何が妄想かも、誰が「狂ってる」かも多数決で決まる社会なんだよ。
そこで「自律=周りの影響力を排除する」という孤立で「気取っただけ」の立ち位置に何の意味があるか?ってこと。
 
 
この俺と同じ共通部分の「自律の部分」と、性欲みたいな本能の部分に対して「独身主義者」になるしかなかったカント。
カントは、生まれながらに道徳的普遍の法則と言っていたくせに、その姿勢が「生物学的には単なる種を残せない欠陥品のオスでしかない=意味がなかった」ように、俺自身の姿勢も「気づいてしまった」って部分があるってこと。
 
まあ、うすうす感づいていたというか、目を背けてきたんだが。
カントの結婚やら本能よりも過激な、「利己主義」という部分では、一生「無職様」以外では「自律」はありえず、たとえ貫いても意味もないと。
 
「お金があるからどっちかに飲まれてしまう→アンチ利己主義なら変えられる」という答えがあることを、自分は思い込みたかったんだね。
 
ありえない~。
 
 
このアンチ利己主義の姿勢に正当性さえもあるわけがないわけで。
で、そこから、どうするか?を考えるわけである。
 
姿勢に意味はないとしても、やってることに意味があるんじゃないか?ってプラスに考えたいとこもあるし、逆に、気づいてしまった今後の姿勢=立ち位置が変わったら意味がなくなるんじゃないか?ってマイナスを判断しなきゃってのもある。
 
・このままでは意味がないし、やっていけない。
・どっかの普通の会社で働きながらじゃ、たぶんブログは続けられないorまた会社を辞めちまう原因になる。(今までの立ち位置に戻りたくなるから)
 
 
さらに、気づいちゃったわけである。
ブログを続けるという意味がどういうことか。
 
人それぞれのやり方があるだろうし、それでいいと思うんだけど、「俺はこうだったから、こうなる」の部分で、働きながらじゃたぶん続けられないな、と。
 
 
で、以前の記事、言論の不自由の話ではないが、「殺される」とか、「圧力」の話はめんどくさいので置いておいて、どうすべきか?を考えたわけね。
どこまでたっても先に進まない要素は省いて考えてみた。
 
そうなると、ブログ有料化はしないと言ってあったのに、今までの姿勢から転身し「ごめんなさい」して、「ブログを続ける」ほうを選ぶか、それとも、スパッと終わらせるべきか。
それ以前に、有料化でやっていけるのか?
これもこの際、先に思考が進まなくなるから置いておく。
 
 
 
答えはまだでない。
 
 
先述したように、このブログは働いてるだけでは埋まらない、自分の中の器=渇望のために、やってきたわけである。
コメントをくれた、ひろさんと同じような人、自分と同じような人、世の中にはたくさんいると思う。
「働いてるだけじゃ何も変わらないんじゃないか?・このままじゃだめなんじゃないか?」ってね。
この現実逃避ともいえる思考は脳から出て行ってくれない。
 
この思考の「答え」になりえる物のなら、有料化しても意味のある物だし、そんなのがあるのなら、むしろ「教えてくれ」って感じである。
 
ただ、有料化とかは「知りたい人に障壁を作るだけ」だと、今までの自分は思ってたし、TVという「いちおう無料」の洗脳はまさに四六時中、流されてるわけで。
 
そんなんで、閉鎖的コミニティが意味があることになるのか?とか、お金儲けという糸から取り込まれるだけだろ、とかの話とか。
(どうでもいいけど、どっかのロスチャの紋章の人達が、アポロ捏造の隠蔽に必死になりすぎてる→あれ、スポンサーですか?などと考えたり。)
 
さらに、無料でなら読者のコメを批判することに躊躇はないが、さすがに有料の読者なら・・・とかもね。
 
 
こういうのの「答え」になるのか?って意味。
 
 
で、本当は、もう「やめる方向」で一時、決めたんだよ。
 
やれることが見えたから、「やっちゃった」ブログなわけで。で、今は「やっていけないことが見えた」から、「やめる」ほうが自然かな?と。
 
でも、「見えてしまう」わけで。
整理して考えると、「やめた場合、2度とこういう行為はしない」、自重すべきという結論になる。
誰でもなく自分のためにね。
 
それなのに、今のTPPだのとかの裏側が見えてしまう。
太平洋を中心とした自由貿易とは聞こえがいいかもしれないが、自分のブログ読者なら「黒字亡国」という単語を知ってるわけで、この話の前提になるとこが間違っている。
 
「輸出で日本は利益が出る=優先すべき=みんな(日本人)の利益になる」という前提条件がね。
それは、ドル建て米国債という火星の土地と、デフレの温床でしかない。
 
その前提部分を省けば、中身は簡単。
「自由」という建前で、「関税自主権を取り上げる」という歴史の教科書に出てくる不平等条約の復活でしかない。
 
そして、これはあたりまえだが農業分野だけに収まるものではなく、すべての物、雇用に影響する。
表が「輸出=儲からない黒字」、裏が「輸入=国際競争力」というどちらも同じのコインで出来たイカサマ博打の結論は、賃金低下の圧力を生むだけ。
たぶん派遣が問題化した以上のベクトルだと思うよ。
 
で、雇用崩壊と。
そして自民民主が仲良く移民受け入れへ。
 
 
 
見えちまうわけです。
 
よく調べてないし、他の人がどう書いてるのかも知らんけど。
これにはドル基軸通貨の維持と、アジア共同体みたいなものへ繋がりそうでもある2つの側面があるからね。
 
 
でも、本来ならこういうのは、もう書くべきではなかった。
 
もう、こういうのやめて、社会復帰するならね。
つまり、普通の会社に働きながら、気づいても、「気づかないフリ」が俺に出来たか?を考えるわけです。
それができなかったら、馬鹿を繰り返すだけと。
そうなることをわかってたから、情報も閉鎖ぎみにして「やめるためのリハビリ」をしてたわけです。
 
でも、こうして書いちゃったわけで。
よって、まだ「今後どうするか?」の答えはまだ出てないということです。
 
 
 
ネットを使わせてもらえなくなり(むしろ今の俺には喜ばしい事なんだが)、TVをほとんど見ないようにしても、こういうのは気づいてしまうわけで。
現代社会は、情報を遮断するほうが難しいね。奴隷側の立場で命令の部分では。
 
 
だから、有料化することもちゃんと考えたんだよ。
やめるのが難しい・・・なら今までの立ち位置をやめてでも、踏み込むべきか?とも。

 
技術的には、そこらへんは知ってるので、一人でできるからね。
ただ、カード会社やら、銀行振替やらにすると、どうしても仲介者が必要になるんだけど・・・。
サラ金の審査でもわかるとおり、所得さえ監視する今のご時世なわけで、一般的ではなく、このヤクザな世界の意味での「ちゃんと安全なもの」と断言できる状態が提供できるわけではないけど。
 
で、有料化はもちろん、有料の電子書籍などは、特定商取引法に基づく表示の義務がありまして、「覚悟」と手法の部分がどうなるか?ってことになる。
まあ、さすがにちゃんと本名と住所を出して、どうどうとやるしかないわけで。
 
そうなると、こういうのをちゃんと言い切れるかどうか?になるわけで。
 
「CIAの手先、在日右翼が演出する、すり替えられた南朝天皇=今の天皇を崇める社会(五箇条のご誓文の本来の意味)がある限り、それに対しての北朝側への見返りである5か条のご誓文=朝鮮総連などを中心とした朝鮮人商工会などの在日特権、これらが是正される事はない。」
 
正直な話・・・、いろんなところから刺されそうだな。「黒髭危機一発」のようだ。
 
 
俺は、まだ電子書籍よりも、「書籍」でやる事のほうが意味があると思っております。
 
こういう主張を、どこの出版社が載せれるか?ってことになるんですが。
南朝の五箇条は教科書の話だし、北朝の五箇条も1999年の朝銀に公的資金ぶち込む時に、国会質疑にあがった話なんだけどね。
付け足したところは、明らかにすり替えられてることと、なんで五箇条というのか?ってとこだけなんですけどね。
 
まあ、長々しい説明してきたとおり、自分の主張はアンチ利己主義の呪縛ともいえるもので、誰かが、自分の書いたことで有料の電子書籍を書こうが、全く非難するつもりもない。
 
提案するなら、自分でやってくれと思う。
むしろ、その結果、このアホな俺自身の考えた自律の無意味さを教えてくれる、実感できる=世間にパクリでも何でも広めてくれるのなら、感謝状を送りたいぐらいである。
 
死ぬまで独身だったカントよりも短期間で答えが出るわけで。
世間に波及するかどうかは別にしてね。もし、の話もし。
 
 
そういうのは、丸コピーとかでもいいし、それなら「脅し」の可能性も少なくなるわけで。
 
ただ、自分にとってこういうのは、権利の裏側の義務の部分は放棄できないので、名誉毀損などの話は、結局のところ俺自身に帰結すると思うけどね。
 
911自作自演のアメリカはもちろん、ヒトラーってスラブ系特有の名前だからホロコースト(ローマのキリスト教の国教開始時に改宗を拒んだコーカソイド=奴隷の語源=スラブ系をも弾圧した『ユダヤのため』の生贄行為という意味=ホロコースト)という行動原理に、アーリア主義なんて物があるなんておかしい!と言うだけで(ここらの補足も言い忘れてた)、欧州圏でも捕まる可能性があるわけである。
 
そのリスクも含めての自律であるし、そこらへんには全く後悔とか反省とかの考えはない。
誰かのせいではなく、あくまでもこれは自分がやってきたという自負でしかない。結果がどうであれね。

これは、「もしも」の部分で、キジも鳴かずばであって、もし影響力があれば捕まることもあるという意味になっちゃうんだけど。
まあ、影響力もなく、アンチ利己主義の立場だから、許されて来たって部分もあるのかもしれないけど。
 
 
まあ、まだ答えは出てないけど、そんな感じです。
あくまでも、アンチ利己主義という考え=この世界の共犯者になりたくないという意地との葛藤なわけで。
 
 
ヤマトのプロデューサーが、出所あけに買った船が2億円。うち今の実写版の権利料が1億数千万らしい。
まあ、豪勢な話だ。
一見、普通の買い物に見えそうだが、ありえるわけがない。
だって、船って年間維持費が高く、これだと1千万ぐらいはするだとうと考えられるわけで。
10年近くムショに入っていた覚醒剤と銃刀法違反の奴が、こういうことができるわけである。どんな利権があるんだろうね。
って、みんなもう気づいてると思うけど。
 
 
ね、こういうのを見えてしまうと、アンチ利己主義になりたくもなるよね。
でも、それじゃ、無理だろうって事。
さすがに一緒に遊んでた友人などなどに迷惑もかけてたし。
 
あたりまえのことを、あたりまえに気づいただけ。
 
 
今回のこと・・・。
俺のブログが放置になることね。
厳密には、まだ、どうなるかはわからないけど。
 
自分が変わったから、「こうなった」とも言えるし、変われないから「こうなってる」=「まだどうするか未定」とも言える。
 
この不審死によって「無意味な買い物」となったヤマトという船が2億。
まあ、自分としては、当事者から周辺情報をもらえれば、そういう事を感知する事ぐらいはできる自信がある。
また、別の面で言うなら、ジブリとかの洗脳装置の中の人に、「この国の轍」、何を踏み潰し、どう進んで来たか?=その中で装置としてどうであるべきか?とかなら、3日ぐらいかければ教えられる自信もある。
 
アンチ利己主義を気取ってた自分、この世界の共犯者じゃないと思い込みたかった自分。
それが今までの自分。
 
そこから、こういう殺されそうな手先どもや、洗脳装置に「2億払ったら教えてやるよ」という嫌味を言えるように、自分は「変わってしまった」わけである。
 
 
洗脳装置や走狗に対して、こういうこと言うって、以前なら考えられなかったけどね。
 
でも、まだ嫌味に過ぎませんが。
よって「変わってない」とも言える訳ね。
けして高いお値段じゃないっていう皮肉でもあるわけで。
 
すごい事言ってるな。俺。
 
 
つばぜり合いは、今もあるわけで。
例えば、今の法相の辞任の話も、法務官僚派と特捜派の争いで、そういう領域に進む可能性があるわけですが、まあ調べてない。
今後どうなるかでわかるかもしれないけどね。
今度は福相から昇格?たぶん鳩山と同じポジション、日韓議員連盟で外国人参政権の賛成のこととか。
本当に「必要」かもよ?
 
あと、特捜部を追い出された奴らが、菅生事件と日本リスクコントロールなどの関係のように「ポストが用意されるか?」とかね。
そういうのでもわかるし。これは尖閣ビデオの奴でも、気にするべきところかもね。
大昔から変わっていないし、ブログ読者なら「難しい事ではない」ってのも、わかってくれる人がいるんじゃないかな?
だから自信があるともいえる。
 
自分の中の利己主義と、この利己主義が生んだ社会のミエミエすぎる馬鹿どもを比較した、このうえない嫌味である。
 
お金払ったら、教えてやるってね。
反共カルトとは逆側のほう、法務官僚派なら二割引にしとくよ?
って、別に隠してることなんてないから、ちゃんと読んで調べれば、誰でも「判断ができるように」なるはずなんだけど・・・。
 
うむ、でもかわったな、おれ。
 
 
 
 
俺はたぶん、どっちかというと投げ出して社会復帰とかの方向を考えているのは、圧力からとかではなく、俺自身がガキだったからなわけで。
そこだけは、誤解しないでね。
 
そんなかんじかな?
 
あと、手法の一つとして、本名をここでバラして「もうしません」という方向にしようかとも考えてるんだけど。
 
書いたもんは消せないわけだし。必然的に「今後は」やれなくする。
「もうブログとかやらないよ」としてる奴に脅しをかけても意味ないだろうし。
「今後、何かをする」がなければ脅しにはならないわけで。
脅したら、餌にしか成り得ないからね。

考えられるのは、読者の情報(ただのメアドとIP)を知りたがって脅すぐらいの話だけれど、その前にその部分のデータベースを上書きしちゃって、俺自身がFTPからブログのログインパスからを滅茶苦茶に設定しなおしてログインできなくすれば、問題なくなるからね。
ホスティングの登録情報などと、俺の間で関連づけるものは残してないわけで。
再度ログインは、俺含めて誰も出来なくなる。あとは利用期限切れになるだけ。
 
本人を訪ねてきても、もし、そう決めことになったのなら、たぶん何も言わないし、みざるきかざるしゃべらざるだと思うよ。
そういう部分は、独身主義者のカントよりも意地っ張りである。
 
これも、できるかどうかは、別にしてね。
 
 
ブラックリストの読者が、名前をさらす方向にしようと誘導してるので気になるけど。この手法なら脅しは意味なくなるだろうし。
これなら、必然的に「今までの器」を捨てるためのリハビリはいらなくなるし、微妙に自尊心も満足である。
コソコソやめるよりは、俺らしいし。
 
ここも考え中ね。
これは、もしやるなら準備も必要なわけで。
 
 
まあ、そういうわけで。
 
「みえちまった」以上、俺がどうすべきか?なんて誰も決められないと思うわけです。だから考えます。
 
 
何がやれるか「見えてた」から、今まで書いてきた。
でも、その先も「みえちまった」から、自分で考えます。
 
このブログでは「見えてた」から書いてたわけ。
その見えてしまう部分が、苦しみの部分だったことも、自分がブログを始めたきっかけでもあるからわかってるつもり。
 
つまり読者を苦しませたとこがあるわけで、それがわかってたから、自分自身をアンチ利己主義の立場に固執させたというとこも、たぶんあると思う。
 
そこはごめんなさい&わかってね、だし。
腐りかけの人生と、苦しみのスパイスが、美味しさの秘訣。・・・ぉぃ。
 
で、そうではなくて、もっと根本の自分自身について「みえちまった」から、こうなってますってことです。わかってもらえるかな?
 
 
でも、いろんな部分を差し引いても「書いてて楽しかった」わけです。書き手としてね。
読者が、読み手として「苦しみの部分を引いても読んでて『楽しかった』」と思っていただければ・・・・と勝手に思っております。
 
 
 
まあ、どうなるかはわかりません。
 
案外、自分を追い込んで復活する事もないわけではありませんが・・・。
逆に、「もうそういうのは知りたくないし、何も言いたくない」な人間になることも十二分にあるわけで。
 
どれを選ぶにしろ、それぞれの選択肢の方向性としては、こんな感じです。

今までの立ち位置で作ってきた器を放棄=このまま放置の可能性も十分あるわけで、選んだ事を報告できるかはわかりませんが、もう少し考えます。
ま、ひとまず一区切り。楽しかったってことで。
 
 
 
そういうわけで、とりあえずバイバイ。
 
 
 
 
 

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1st 11月 2010

すまんね【20101101】

 
 
 
心配をおかけして申し訳ございません。
ちょいと無期限休止状態になっており、今も復帰の目処はありません。
 
まあ簡単に説明すると、今までのようにフラフラしてるのもさすがに限界が来た、ってことで。

それなのに、自分がどうしたいかも、何ができるかも、この放置期間中も、ずっと考えても見つからないんですけどね。
それでも時間が必要なわけで。
 

まあ、考えます。
 
 
 
 
 

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8th 10月 2010

紙コップの中の義務感【20101008】

 
 
 
義務感はどこからくるのか?
 
 
「生まれつき」にその理想を追う使命があるとしたカントの理論は役に立たない。
人が本能を切り捨てられないように、自身だけで「正しい認識=経験」を自覚できるほど、人間は優秀には出来てないわけである。
自律する人間なんて御伽話だということだ。
 
しかし、生まれつきの要素が多少あろうと、経験論をあきらめるわけにはいかない。
その義務感を育てる「認識力」、これをあきらめると、啓蒙思想じゃないけど懐疑的経験論→選民思想へと繋がってしまうからだ。
かといって、ジョン・ロックのように肯定的すぎる経験論には成れそうもないのだが・・・。
 
経験による認識力、その可能性と手法を考えるのだ。
そのために「義務感をどうやって作り出すか」を考えるべきである。
本能は切り離せなくても、周りの影響を受けまくってでも、人間が正しい認識を持つように、カントとは別の自律を模索しなければならない。
 
「大衆は馬鹿」と認めたくなってしまうような、アメリカから自律できない日本、この場所で。
 
 
 
さて、そういうわけで、俺の考え。
 
自分は認識力を育てるのは、「経験」からだと思っております。
つまり、義務感も経験から生まれてくる割合は大きいと。
 
それなら教育で義務感を育てる事はできるのか?って話になる。
さらに自分の持っている義務感は、学校教育などの集団的行動から、育ってきたものなのか?って考えた場合、両方とも「それはないな」って思ったわけです。
 
経験からのはずなのに、「教育」からは義務感は生まれないと。
コミュニティでの義務感ではなく、孤立のなかで義務感のほうが「正しい部分が多い」と感じております。
カントも、孤立の義務感のほうに正当性を感じたから、「実践理性=自ら進んで」とか自律の事を考えたのかな?なんて感じてたりします。
 
なぜ、教育を含む、「単純な経験」から義務感は生まれないのか?
なぜ、コミュニティなどの義務感は常に歪んだ部分があるのか?
 
 
以前、「押し付ける安全性」みたいな話をしたことがある。【20100608】
そう、ヘルメットの話。
その時、正論は暑苦しいという話とともに「人は言うほど、正しい事を選択できる決断力もなく、それを考える努力もしないことが多い」と書いた。
 
安全性の確保と、今回の義務感、ちょっと似てる話だね。
 
正しい事がわからない=認識不足のことはもちろん、今回のことも「考える努力をしない」という生物本来の利己主義が原因なんだろうか。

コミュニティによる義務感の歪みは、このとき説明した「押し付ける安全性=共産主義的な立場」のようなもんで、「押し付ける・・・(都合のいい)・・・義務感」に変換されてしまうからだろうか。
 
 
俺が思うに、「義務感というのは、器なんだと思う」と考えている。
 
これは「法」という宗教でも、「神様」でも、「コミュニティ」もそうなんだけど、ああいうのも、「よく似てる器」なんだと思ってる。
価値観や集団で生まれるしきたりや規律から器というものができる。
そして、その人間が自身で作った、その器が満タンではないから、渇望し、義務感や信仰心などの願望が生まれる。

例えば、「漠然とした好奇心」だけでは、本能になるが、生物の仕組みはどうなってるんだろうと虫をバラバラに解体する子供の「虫は何で動くのか?」の動機の核みたいな部分は「器」であって、この行為、「好奇行動」は、本能より、作った器、その子自身の注意力などからできた「認識」って事になるわけ。
で、この行為自体の意味、知識への渇望だと言い換えられるものが、器の「空白の部分の渇望である」ということも、無垢な子供に置き換えれば、なんとなくわかるような気がするでしょ?

宗教や法律で考えてしまうから、難しく感じるけど、それと同じ事を、大人も「同じ事を複雑にやってるだけ」、つまり法や宗教でも同じように「器になってる」と言えるんじゃないかな?ってだけさ。
 
 
そしてさらに言うと・・・・逆に人間とは違い、野生動物は、その器が必要ない。
彼らは容器があっても常に満タンでいるわけだから。だから神も法律も、義務感も必要ない。
 
哲学に近い考えで、「人間だけが余計な事を考える生き物」という考えがあって、俺も賛同するんだけど、その「余計なとこ」が、人間が作ってしまう「器の中の空白」なんだと思う。
 
 
そして、単純な経験や教育は、「器の中に注ぎ込むもの」でしかない。
だから、義務感が生まれないんじゃないかと。
もし、学校教育のカリキュラムを直して、政治の授業などを増やしてみても、俺は、本来の義務感のような物は、今より薄くなるとさえ思っている、だって「中途半端な容器のカラ具合」から義務感が生まれると思うから。
そこに強制的に注入しても何も意味がない、それこそ、コメントで頂いた奴隷工場化するのと変わらない。
 
あくまでも、器を作るのが義務感を作ることの最初であって、それはカントの言うように「理想を追う使命」やら「好奇心」などの「生まれつき要素」が多分に関わってるんじゃないかな?と思うわけ。
まあ、あくまでも俺が考えるカンの話ね。
 
だから、俺もよくあるが、他人に対して「義務感が足りない」なんて思ってしまうのは、「器もないのに」そこに情報やらシステムやら、本当の話やらを「注ぎ込む」という行為をしようとしちゃうからだと思う。
 
まずは「器を作る」というのをしなきゃダメだったわけ。
 
 
でも、器が出来ても、利己主義な人間は、空っぽの器は捨ててしまう。
そして、どんな「作りのいい人」でも、器からは少しずつ、漏れているし、ほっといたら気化してしまう。
だから、経験、そして政治的な義務感で言うなら、絶えず情報を入れれるとかの「そこに注ぎ込みつづけることができる人」だけが、その義務感という器を維持できるんだと思う。
※あくまでも選民思想じゃないよ、経験で「器を作る」のも改善できると思うわけで。
 
中途半端な量の入った器を維持できて、その空白=不満から、人は義務感が生まれる。
そう考えると、「単純な経験から義務感が生まれない」「押し付けの教育などでも義務感は生まれない」というのも納得できるんです、まあ、俺の器の中での話ですが。
 
義務感がどこからくるかを考えても「すごい難しい」わけです。
「生まれ持っての要素」とか、「生まれてからの経験=認識論」とか。
 
その「難しい話」なのに、「なぜか、コミュニティになると簡単に義務感に染まりやすい」というわけで。
この3つ目の要素、ああ「宗教などは簡単に器を作る」と考えた場合、こう考えたら辻褄が合ったっていう話ね。
 
 
宗教はもちろん、家族や会社(とくに日本人は企業倫理=簡単に器を作ってしまうでしょ?)、その中で、それぞれの器は簡単に出来る場合も多い。
 
人が2人いれば、お互いに「こういうことをしゃべろう」とか「この人にはこういう話はしちゃダメ」だな、とか「脳みその中に領域(キャパ)ができる」、それが「器」なんだよ。
人と人の繋がりでは「簡単にできる器」だけど、できないのもあるってこと。
だから教育でなら「自発的行動を促す」とか、経験論でいうなら「好奇心から火がついて・・・」とか、「器を作る作業」というのを意識する必要があるよ、って話でした。(猿の正義感はそうなると手段だな。)
 
そして、なんだかんだいいつつ、器というのは、その人自身でしか作られない、そう考えるとカントの矛盾しまくった話しさえ説明がつく、一本の道で繋がるような気がします。
 
 
 
で、おまけ的な話なんだが。
 
あくまでも「人間が本当の意味で理解しあう事がない」ように、器というのは「空白の部分」があるからこそ渇望が生まれると思っている。
夫婦でさえ完全には理解しあう事はない、だからやっていける・・・結婚式のスピーチか!!!
 
義務感の器も、中身が満杯になったら、義務感なんて存在しないような気がする。
それは、「無知によって、今の警察組織で正義を主張できる警察官」みたいなのと基本は同じ「むなしい存在」なのかもね。
俺も含めて、「無知だから義務感を持っていられる」というのは真実かもしれない。
まあ、「政治」とかに関する器は、好奇心や、優越感の要素も含めて、「今までの経験も含めて作らなきゃならない器」であって、いろんな要素で作らなきゃならない=だから他人に「どう作ったらいいかわからない」ような気がします。
つまり、「大きい=漏れやすい=空っぽになりやすい」器なんではなかろうかと。
だから満タンになることは考えなくていいといえば、そうなのかもしれないけど。
 
 
 
さて、「義務感は・・・・」みたいな、よく考えると押し付けがましい馬鹿っぽい話をしてしまったわけだけど。
読者の中で自身の義務感というか、その器を要素に分けて、それが「どうできてるか?」を考えてくれた方はいるかな?
 
まあ、相手に「どう器を作るか?」・・・ではなく、正確にいうと「相手がどうしたら器を作りたくなるか?」だな。
これは、自分もわかりませんが、やっぱ「好奇心」とかに火をつけるしかないような気がします。
こういうので、器を作ったとか、そういう話があったら、またコメントででも教えて下さいな。
 
人の欲望も義務感も「いつまでも満たされないグラス(器)」である。なんと甘美な話ではなかろうか。
その前に、俺はいろんな別の義務感を放棄・・・・ってい!! ガシャーン。
 
 
 
 
 
♪ 奥井亜紀 : Wind Climbing ~風にあそばれて~
魔方陣グルグル。アニソンのなかでの至高の名曲。
むしろ、みんなの歌、小学校の教科書に入れとけと。
 
 
 
 

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7th 10月 2010

カント曰く義務感は生まれつき【20101007】

 
 
すまん、更新さぼった。
遊びに行って腰を悪くして、帰ってきて転がってた。
 
 
 
生まれつきか?経験か?
義務感がどこからくるのかを考える際、「この2つの区分けで考えて」と言った。
 
この「生まれつき」=「人間も猿も持ってる」と考えると、多少わかりやすいかな?
種の存続や食物連鎖を考える野生動物はいないわけだが、社会に対しての正義感のようなものは、猿もあるわけです。
若いオス猿が群れ(人間の場合は社会全体になる)のために行動して、周囲に影響力を及ぼす→ボス猿になりやすくなる、なんて構図がね。
 
ただ、「悔しさ」とか「親からの教え」なんて読者からコメントを頂いた事でもわかると思うけど、一般的には「人間は経験のほうが比重が高い」ように思われる。
経験=つまり生まれた後の認識のほうが重要という考え。
 
 
で、カントの話。
認識論=経験のところが焦点となる。
 
カントに限らず、哲学者の「あたまでっかちども」の根底には、「啓蒙主義=他人の指導がなくては自分の理解力を用いえない未熟状態を人類が脱すること」と言うのについての考え方がある。
 
これはカントも神学から脱すことができなかったように、それ以前の時代から、社会の土台にはキリスト教的な「人間は特別」という考え方に支配されてたわけで。
 
つまり、啓蒙主義とは、人間が持つ本能や欲望との戦いでもあるわけ。
 
特にカントなどのこの時代、キリスト的な支配から科学的な土台へと変わる時期でもあり、科学ではチンパンジーと人間が大差ないことでもわかるのと同じように、人間=単なる生物としての問題、「生命の利己主義という原則」などの生物本来の要素、もともとの要素が「啓蒙主義の障害となった」、そういうとこがあるわけ。
 
哲学の本にこんなこと書いてないけど、大事な見方だと思うよ。
 
そう考えると、ヒューム、及びカントの懐疑的経験論は、こういうこと。
「大衆は馬鹿」=「人間も猿と同じじゃん」=「啓蒙(理解力のない未熟な状態から脱する事)なんて無理」

「だって生物って利己主義(自分さえよければいい)ジャン!!」って気づいちゃったわけだね。
その最たるものが、カントも含む「懐疑的経験論者=大衆は馬鹿だ」という考え方なわけ。
 
 
つまり、今回の、「生まれつき&経験」でいうと、「経験論の限界=懐疑的経験論」で、カントも経験論の限界を認めてしまっている。
ごっそり省略するが、理論理性と実践理性というのがカントの考えにありまして、簡単に言うと「認識の直感力」と「判断の意思=補正する能力」。
 
理論理性=直感であるわけだが、人間は、ありのままの状態が真理であるのに、生まれた環境やコミュニティなどでもわかるとおり、そういう要素が、事象を歪めてしまう=正しい認識が出来ない、そうカントは考えたわけ。
 
で、「実践理性=補正する能力」があれば、正しい認識が生まれると考えた。カントはこの補正する意思が働くのは「自律的に 道徳律に従うとき」と規定している。
それが、カントの考える自由の定義にでも出てくる自律という考え方になる。
 
自律=周りに影響されない、これがわかってれば、外律=周りに影響されると言う意味がわかる=補正能力があるってことでもあるわけね、あのカントの自由という考え方は。
 
 
結論から言うと、カントは「義務感を人間は生まれながらに持っている」という考え方。
 
 
簡単な説明でも、こうなることと、この考え方の問題点はすぐわかる。
 
「誰にも影響されてない=外律ではないとこに補正能力がある=正しい認識をする能力がある」としなければならなかった。
他人から与えられる物=経験ではないならどこから来るのか?
 
つまり言い換えれば、「人間は、生まれながらに理想を追いかける能力がある=正しい事は何かを補正する能力がある」(実践理性)という、説明しか出来なかったわけ。カントは。
 
 
実際は、本能(カントの思想では外律の要素=本能で、切り捨てて考えなきゃならないもののひとつ)を人間が捨てられないように、自律での補正能力なんて人間にはないわけで、同様に「生まれながらに社会的理想を追うように人間(生物)はできていない」ということである。
 
それが以前言った話、『結論から言うとカントは、どこから義務感は生まれてくるのか?という質問に、答えられなかった』って話になるわけね。
 
つまりカントは間違ってるのを認めつつ、「義務感は生まれながらにあるとしか主張できなかった」わけです。
 
 
 
 
まとめ。
20年前の日本でなら「人間は猿と一緒=道徳より利己的な生き物」という表現と、「懐疑的経験論=大衆は馬鹿」の思想のつながりを説明しても、今よりも説得力はなかっただろう。
認識力の低さからくる弊害も意識しづらかったわけで。
 
ただ、今ならわかるはず。
彼らじゃなくても、啓蒙思想、今どうすべきか?を考えてしまう時代になり、今の政治でもわかる大衆は馬鹿=認識論の限界という話も、ある意味痛感しているはずだから。
党の名前が自民党ではなくなっただけの民主党政権による、自民時代と変わらない固執した利権、小沢の追い落としのような露骨過ぎる話、政権交代のなかで、民主の何を評価すべきだったのか?、今の何を評価できるのか?すべて大衆の認識力不足=懐疑的経験論である。
政治の話を他人にして、「この人には話しても無駄だな」という経験をした人もいるだろう。
その、あきらめの気持ちが懐疑的経験論である。
 
大事な事は、「生まれつき」がどの程度にしろ、「大衆が正しい認識を持てる」なら、この批判的な懐疑的経験論にはならないわけね。
なのに、カントも含めて、帰結はそっち「大衆は馬鹿=無理」になってしまいました。現在、実感もこもってるみたいな状況ですってことね。
 
そして、「大衆は馬鹿」=民主主義のように全員に「正しい認識力」を求めるのは無謀=選ばれた人だけ=選民思想、これも懐疑的経験論から生まれたわけ。
 
 
で、カントはこう考えて、こういうわけで、間違った「生まれつき」と主張するしかなかったよ、というのを説明した。
 
なら、自分で、「どうやったら正しい認識力を多くの人に持ってもらうか」を考えるしかないわけである。
それが、その義務感がどこから来たか?という話だったわけです。

で、やっと次回、自分の「予想」、それを話そう。
そういうわけでカントでダメなら、カンです。思考の閃きでしてしまおうというお話です。
 
 
 
 
おまけ
カントが書いた純粋理性批判のプロレゴメーナ「序説」には、なんとかして説明しようとしたカントの矛盾しまくった話が載っている。
神という世界で一番の干渉要素を理念と認め、それなのに自律という非干渉が必要な自由という以前説明した部分や、実践理性でも自律が最低条件とした、矛盾しまくった話もそのひとつである。

今回のカントの認識における論理とともに、神の存在証明という馬鹿話。
神は懐疑的経験論からの選民思想のための馬鹿を騙す外律者のためのツールであって、カントにとってはたいした意味のない話とかもね。
あと、直感+総合的判断とかで、何とか説明しようとする話とかね。
 
カントはロマンチストというのは間違いない。
自律=人間が欲望を切り捨てるとか、生まれながらに理想を追うなんて、相当のロマンチストでなければいえない論理であり、それらが矛盾を作ってしまうわけである。
で、自分で二律背反(アンチノミー)として、カントはそれも説明してるんだから、笑える話である。
彼は理性のみで説明するから二律背反すると主張したが、どう考えても違うのはわかるだろう。
生物の利己主義、欲望や本能のこと、義務感や道徳観の欠落、こうやって一瞬でわかってしまうのは、現代のほうが歪んでるからかな?なんて思ってしまうわけで・・・・。
 
 
 
 
 
♪ くるりとユーミン:シャツを洗えば
最近で、知名度のなさそうな良い曲
 
 
 
 

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5th 10月 2010

義務感はどこからくるか(序文)【20101005】

 
 
 
やっと本文である。
 
前回の2回、義務を無視したユダヤ人の正義も、カントの話も、この話をする準備に過ぎない。そもそも俺にとって哲学なんぞどうでもいい。
 
 
今こそ、問おう。
 
 
「あなたの義務感はどこからきているのか?」と。
 
 
こんな馬鹿の書く読みにくいブログを読んだりして、「今の世の中は、間違っている」なんて思ってる人がいたら、「世の中を良くしたい」という義務感以外の何物でもないわけだ。
そうでなくても、世の中にを良くすると思いは、誰にでもあるだろう。
口にしたりするべき事ではないのかもしれないが。
 
そういう義務感、それを伝染させればいい。
つまり、その義務感はどこから生まれてきたものか?これが、現状を変える全ての答えである。
足りないなら補い、加速させれば、簡単に世界は変えられるはずである。(論理的に考えれば・・・ね。)
 
 
・経験から (腐った世の中を目の当たりにしてるから)
・人のつながり、コミュニティから (家族を守りたいなど)
・生まれながらに持っていた 
・利己主義のたてまえ (ほんとは妬みなどを、すり替えてるだけ)
・俺ってナルシストだから(正しい事はカッコイイ)
・教育 (洗脳とも言えるかもね)
・危機感 (このままじゃまずい)
・優越感
・好奇心
・魂のベクトルが抑えられないから
 
 
ちゃんと他にもないか、考えてね。
 
複数の答えを上げて、その中にしか正解がないように誘導する手法を、『質問紙法』という。以前でてきた単語。
 
今は、自分の中の義務感を要素に分解してるところ。
こんなブログを読んでる理由、正しいコトをしたいと願う心、それはなぜかってこと。他も考える。

「暇つぶし」、それも答えだね。
「昔、惚れた女がそう願ったからさ」(浪花節だね)
「女にもてたいから」・・・・。(つっこみません)
「男より偉そうにしたいから」(つっこみません)
「このブログにパワースポットを感じる」(つっこみません)
・・・。
 
 
ちゃんと考えたかな?
 
いま、義務感を要素ごとに分けた。
全てが答えであり、それは他人には否定できない。
つっこみたいとこも含めて。
 
 
これは「~~が足りない=義務感は足りない」と考えられる要素である。
自分の義務感が「何」で構成されてるか?を考えて欲しかったわけね。
 
で、これが、「どこ」から来るのか?それが「義務感の始まり=発端」になるわけ。
要素で整理する事で、どこから義務感が生まれてくるのかが見えてくる。
 
 
例えば、好奇心や利己主義的な探究心。
これなら、知りたいという本能的なこと=『生まれつきのものから義務感が生まれた」』こういう考え方になる。
 
逆に、経験、つまり今の世の中が間違ってるのを目の当たりにしたため=認識論の世界であり、これは「教育が義務感を作る」という考えも含めて、『生まれてからの過程で義務感が生まれた=認識した』ということになる。
 
 
・生まれつき
・生まれてから(認識)
・コミュニティ(つながり)
 
多くある要素を簡単に言いなおすと3つ。
この3つの要素のどれかから、義務感が生まれてきたという考えで、基本はいいと思う。
 
この中の3つめの「コミュニティでの義務感」は、サンデル教授の話でした話であり【20101003】、少しおいておく。
コミュニティでの正義や義務感は歪んでしまう物であり、個人個人においての義務感の分析から「どこから義務感を生み出すか」の答えにはならないから。
 
ただ、「コミュニティ=義務感を生む」は、間違いないけどね。
 
 
生まれつきであるか、生まれつきではないのか?
ここは認識力の話である。
「経験によって認識は改善されるか?」、これは哲学の基礎であり、保守主義からリバタリアンまで関係した考え方である。
 
イルミナティ哲学の探訪【20091215】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/12/15/575
 
 
今回は、まあ、読者自身の義務感を整理してもらうってことで、よしにしてしまうか。
 
次回はまたカントに出てきてもらって、「彼がどう考えたか?」を説明する。
全体の話すると長くなりすぎるんでね。
生まれつきなのかどうか、認識論とカントの話は参考になると思う。
 
 
その後に、俺の考え「こんな形で義務感は生まれてくるんだと思うよ」って意見でまとめるとする。
そのときのために、義務感がどこからか、考えておいて。
 
 
 つづく。
 
 
 
 
♪ 宇多田ヒカル:Favor of Life
ペプシのCM見た。宇多田が中丸薫と同じオーラ出してる~!笑った。宇多田の曲ではこの曲が好きだな。
ポジション的にはコカコーラのほうが近いような気がしてたんだけどね。
 
 
 
 

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4th 10月 2010

カント哲学と事務のおばちゃんの哲学【20101004】

 
 
 
たぶん、この話をそのまま哲学のレポートにしたら赤点を食らうだろう。
自分の頭と要素で組み立てられない文系教授には、理解できない話。
 
 
カントの自由とは何か?
 
まず、基本的にヒューム哲学、懐疑的経験論をカントは継承してる。
何度も言うが、「懐疑的経験論=大衆は馬鹿」である。
だから、理性(理念)として(社会構築に必要な要素)として、カントは「神・魂の不滅・自由」を提唱した。
 
まあ、形而上学的な「神」という概念で「大衆は馬鹿」→だから「大衆を騙そう=正しい規律へ誘導しよう」という話である。
 
 
この全体図が見えてれば以下のこと、全てが説明つく。
 
・人間は生まれながらに自由である(神を必要としてるのになんで?)
・自律(自由)と外律(不自由) 何で分けなきゃならないの?
・義務論という帰結。
 
 
カントの自由の定義を砕いて言うとどういうことか。
 
世の中に欲望がいっぱいある、欲望から切り離し、どんな他人も「手段=人間扱いしない」なんてことをしちゃダメだよ。
で、全部、自分で考えて(他人に影響されちゃダメだよ)
欲望という本能ではなく人間的理性(ここは道徳という意味が入る)で律した中、理性(社会構築の要素)に普遍的な道徳的法則を追いかける時にかぎって、人は自由である。
 
 
つまり、
自分だけで出した考えと方法で(自律)
他人を物扱いしない(道徳的)
 
そういう要素を組み立てると、「カントは自由なんてない」と言っているのだ。
 
 
今日も、おじいちゃん入れ歯が吹っ飛ぶほどの衝撃的な帰結だ。
 
 
人間は周囲に影響される=自律はない、本能も捨てられない=絶滅か?、普遍的な道徳的法則を追いかける=なんで、そんなめんどくさい事しなきゃならないの?=利己主義の原則。
 
どこに自律があって、自由があるのか。
なら、自由なんてないじゃないか?ってこと。
 
 
どこの哲学の教科書にも書いてないコトを教えてあげよう。
 
カントの自由とは、「人間は生まれながらにして、理性(社会構築の要素)に道徳的で普遍な法則を探さなきゃならない使命がある」ということ。
 
全体図を考えれば思想はわかる。
「他律=周りから影響される事、欲望」これらに左右される人は、ヒューム的懐疑的経験論の「大衆は馬鹿」の、馬鹿なわけよ。
つまり、馬鹿は「神とか不死」で操ってるから、「言う事をきいてなさい=不自由でなきゃダメ」という帰結。
 
 
人間はもとから理性に道徳的規律を持っていなきゃダメ。
=人間は生まれながらにして自由である。
※つまり、神で規定される戒律より、自由(理性を追う義務)が優先。
カントにとっての「神」は馬鹿を操るツールなんだから当然である。
 
そして「生まれながら自由である=義務を背負っている」は、カントの自由が、道徳的普遍な法則を探さなきゃならない使命という意味なら、「自由などない」というのは、当然の事である。
 
 
彼の自由は義務なのだ。
だから厳密に言えば、カントの思想に自由などない。
よってカントは「義務論という帰結につながった」わけね。
 
つまり、批判哲学。そこから義務という答え=生まれながら自由(義務という使命)があると答えを出した。自由と義務をカントはすり替えた。
だから神の規律よりも、自由が優先なわけ。
 
カントは懐疑的経験論から「大衆は馬鹿であること」を意識していた。
「外律=馬鹿な大衆=不自由」
「自律=(理性=自由という義務を背負う者)=欲望を捨てられる道徳的な者=そのものは自由(本来の自由の意味=制限がない行動)である」
 
・自由という権利を持たない馬鹿=神に騙されてろ!!
・自由の使命を知ってる者=理性(社会的構築の要素)に道徳的法則を探し求めろ。自由、何も束縛されずに追いかけろという意味もある。
 
 
 
だれかが社会に規律を持たさなきゃならない。
 
過去の哲学は、そういう現実に沿って存在してる。
哲学も「必要だから」生まれたわけであって。
 
文系の大学教授なんかは、そういう「実務」であることを忘れている。
言い換えるなら、もし「大学運営に必要な理性」という質問に答えられるのは実務を意識した者ばかりだろう。
つまり本当の意味で哲学を教わるなら、文型の教授よりも事務のおばちゃんにでも聞いたほうがいいだろう。その大学に、何が必要で、何が不必要か答えられる=よっぽど有能だ。
 
変な理屈こねたり、馬鹿なサイト見てる前に、「おまんまの分を稼ぎなさい」、これが哲学である(号泣)。
 
 
カントはあたりまえだが、神が形而上的なもの=何もしてくれないを知っている。あくまでも、それをどう使うか?である。それも実務の話だ。
 
だから、自由の使命を知ってる者を、ヒューム的な「馬鹿な大衆」と切り分けて、「規律を作る人」として、その人間だけは本来の自由に近い権利を与えるべき、そして、他の欲望に振り回される愚民どもには自由はないと提唱したわけ。
 
世界で一番干渉的な「神を必要」としたのに、自由には「自律が必要=他者に全く影響されない事」
 
最大の干渉の要素と、究極の不干渉を同時に求める。
カントのこの部分に、間違いはないわけである。
 
この二律背反ともいえるので構成されてるカントの思想は、彼が2枚舌であるわけでも、嘘つきでもなく「実務的に」、「どう必要だったか?」を考えれば簡単なことである。
それなのに文系の教授で、このことに答えられる人間はたぶん少ない・・・だからレポートにこんな事を書いたら、赤点を食らうわけだが。
 
 
今に当てはめてもわかる。
 
神はあくまでも馬鹿を騙すツールである。
これは、今も続く。キリスト教、スピリチュアル、地球温暖化詐欺、アイアンマウンテンレポート、全てに共通する話だ。
「大衆=外律」欲望や周りに振り回される者でしょ?
馬鹿を騙す仕掛け人、ビルダーバーグの上の人だけ「自由=なんでもよし」ということ。これもイルミナティが支持するヒューム、同じくカントの思想だ。
イルミナティ、ビルダーバーグと中央銀行の支配の上の人達がカントを否定した部分は、あくまでもキリスト教での神学を理念として継承してしまった部分だけである。
 
懐疑的経験論からの選民思想を知ってれば、誰でもカントの自由の意味がわかる。
カントのはまだマシなほうだけど。
 
 
 
カントの哲学の話では、選民思想=「規律を作る特別な人」に切り分けられた部分でない限り、カントの自由=義務と置き換えられる。
 
じゃあ、その義務感はどこから来るのか?
 
 
 
ふう、やっと哲学なんて「何も生まない論理」ではない話ができる。
そういうわけで、次回。
 
結論から言うとカントは、「どこから義務感は生まれてくるのか?」という質問に、答えられなかった。
 
 
 
 
 
♪ RADWIMPS:トレモロ
満点の空に君の声が~  たまにカラオケでも歌う
 
 
 
 
 
 

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3rd 10月 2010

カント哲学とユダヤの正義【20101003】

 
 
 
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の討論会をTVで見た。
あれは東大かな?まあ、よく人が入ったもんである。
もし自分が講演をしたら、何人くるだろう・・。とか思いながら見てた(そこかよ)。
 
 
意外だったのは、このサンデル教授がコミュニタリアニズムであるというとこだ。
 
アメリカの方での若者との討論、この東大での討論。
俺は、この人の扱う自由という表現は、「アリストテレス」などの単語や「自由を最大限に・・・」という表現が頻発するように、「一方的な権利として主張する自由」、つまりリバタリアンとしての自由に近いものだと思っていたからだ。
そしたら、彼は「リバタリアンを批判する側」、そして共同体思想=コミニタリアンであるというから、びっくりした。
 
「正義とは・・・正義とは・・・」と繰り返す人が、リバタリアンとは逆?共同体思想?よくわからん話である。
 
今から説明するカントの話になるんだが、コミニティとは、個人が正義を提唱できなくなる形態である。
あたりまえだが、右翼、左翼などのコミニティに属しては「正義が何か」の提唱は難しい。
極論をいうなら、右翼なら天皇になる必要があり、左翼ならリンチで教え込まなければならないように。
コミニティ=義務がある中で正義を定義するのは不可能といえる話だからだ。
 
 
そもそも、この人はローズ奨学生としてオックスフォード大学で博士号をとりハーバード大で教鞭を振るう、ブッシュが設置した生命倫理委員会で委員をしていたユダヤ人である。
 
こいつ、リバタリアンと同じ枝の人だろうと、俺は勝手に思うわけで・・・。
例え思想が対極でも、同じなんだよ。
 
アメリカのリバータリアンは、「自由を叫ぶ事でキリスト教の不自由を強制するシステム」である。
自由を提唱して不自由を強制する。
自由という権利の裏側の義務を言わない事、政府というコミニティを否定する事で、逆に義務や規律を原理主義的キリスト教に求めるように帰結させる。
ヘーゲルの弁証法だな。
有限なものは自己自身の中で自己と矛盾し、それによって自己を止揚し、反対者へと移行する。
 
反政府で構成される自由は、キリスト教の不自由を強化させるツールである。
共産主義が資本主義の矛盾を強化したように。
リバタリアンの担保はキリスト教という指摘は正しい。
 
政府を否定して、キリスト教の規律を否定しない時点で気づけよと。
前回説明したでしょ?法律だって宗教でしょ?
賢い人だけじゃない社会というコミニティでは、規律=宗教的なものは必要。
その政府という規律を否定する事で、何による秩序を求める事になるか。
その帰結は、黒人に銃を向けつづけたアメリカのキリスト教そのものなわけ。
 
 
 
このサンデルも同じ。思想が逆なだけ。
 
自称コミュニタリアン=共同体思想らしいが、「正義という言葉」を振り回す事で、逆に共同体思想を否定してる=間違った正義へ誘導してるとしか思えないんだが・・・。
 
正義というのは、一般的に哲学では「社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること」を指す。
正義は義務を内包している。その秩序を実現するための「義務行動」と置き換えれるからね。
パレスチナ問題でもわかるとおり、ユダヤ人と非ユダヤ人で正義が違うように、実際には、その正義は存在しえない。
誰だってわかる机上の空論である。
所属するコミニティによって正義が違うからだ。
 
Lecture21「コミュニティの一員としての義務」
http://www.visualecture.com/wordpress/?p=3102
 
 
サンデルもこの義務の衝突を認めている。
 
それなのに、コミニティの違いによる正義の不存在という帰結(これはエミール・デュルケームの社会学的考え、人間の行動は集団や社会のしきたり、慣習などによって支配される)、それを無視した正義という提唱である。※元東京大学教授、西部邁も同様の指摘をサンデルに対してしている。
 
それに不思議な事に、サンデル教授=コミュニタリアンということだが、この講義の中でカント的な自由の解釈で進めてる場面を見たことがない。
 
 
もちろん哲学だからサンデルもカントを扱っている。

カントは人間は『理性的』な存在であり『自由』に行動し選択能力があるからだとする。私たちは、自由とは望むことができることだと考えるが、カントの自由の概念はもっと厳しい。我々は欲望を求め、苦痛を避けようとした行動には自由がないという。のどの渇きに従って自分の意思でコーラを飲む事にも自由はないとする。カントが言う自由に行動とは、自分自身で与えた法則に従って行動することだとする。この自由に行動する能力が人間の生命に特別な尊厳を与えているとカントは言う。他の人の福祉や幸せのために人を使うのは間違いだ。これが功利主義が間違っている本当の理由だと言う。功利主義者は間違った理由で正義と権利を守り、人を尊重している。効用や願望、欲望をみたすことが目的ではないとすると、何が行動にその道徳的価値を与えるのか。行動を道徳的価値のあるものにするのは『動機』が重要とする。

 
へ?何これ?
って話である。
カントはヒュームの懐疑的経験論を継承した、「大衆は馬鹿」という思想だよ。つまり「人間は理性的」とは間逆の。

理性という言葉でごまかされてるが、社会構築の必要要素=理性に、「神、不死、自由」の3つを承認した。それがカント。
大衆は馬鹿だから、「神・不死」などで大衆を操ろう=それで教育しようというデュルケームにも通じる思想なんですけど。
逆に、「自由」については思想的な自由はOKだけど、行動的な自由は「大衆は馬鹿」であり、あくまでも「自律(後で説明)したときのみに、道徳的な普遍の法則を求めるためだけに自由がある」という、まあ簡単に言うと「義務だらけの自由」という考え方。
 
だからカントは批判哲学を展開し、義務論という一つの帰結をも導き出した。
人間の自由は『自由であれ』という命令(義務)においてのみ存在する。義務と自由はどこまで言ってもカントの思想では同義である。
だから功利主義(リバタリアンもその一つ)と対立する思想であるコミュニタリアンの共同体思想は、義務とコミュニティ、義務と自由、転じて、このカントの思想に帰結するはずである。
共同体思想の中でおわねばならない義務とは?ってことでね。
つまり、カントの思想の中核は義務であるということ。
コミュニティリアンが、それを知らないわけがない。
 
 
それなのに、サンデルの講演の中での「自由」も、彼が強調する「正義」も、この「カントの義務」というのを一切無視して、進めている。

自由といえばアリストテレス・・・あの講義の観衆には質問紙法のように「自由は彼が挙げたものの中にある」という錯覚を生み出す。
反功利主義であるカント側なら言わないと思うが。
むしろ、義務を内包するカント的な自由を口頭だけで議論するというのが、無理な話だと思うが・・・。
 
 
コミュニティという要素さえを無視した「正義」。
これも正義の中の「義務」を無視している。
これ、意図的すぎるでしょと。
コミュニタリアンというカント派に属してるとしてる人なのにね。
 
 
  
「サンデル教授を崇めてるなんて池上彰を崇めてる奴らと同類だろ?」
 
ネットで、こんな発言を見かけて笑ってしまった。
賢いかどうかは関係なく、核心なんて誰でもつける。
 
ならば、俺も今回の核心を一言でわかりやすく突こう。
哲学が難しくてついていけなかった人は、この一言だけ考えてくれればいい。
 
「ユダヤ人に正義を教えてもらうなんて『人間として終わってる』でしょ?」と。
 
 
カントの話でわかることだが、コミュニティを無視した正義の提唱、それは間違った正義のためにある。
あの講演を聴いてる大量の観衆のなかで、彼に「ユダヤ人の正義とは何か?」という疑問を持った人さえいないのかな?
そうすれば、コミュニティや義務を無視した正義なんてものが、存在しない詭弁だとすぐ気づけそうな話であるのに。
過ぎ越しの祭りをもう一度起こすのかと。ただ問えばいい。
それが正義なのかはわからないが、その一言が「彼の言う正義より、社会秩序のための義務行動に近い」のは間違いないのである。
俺は白人ユダヤに容赦はない。
原爆が正義であったかを答えられなかったサンデルのように、答えられるわけがない。

 
 
 
 
次回は、今回、説明が足りないカントの自由(自律・他律)の話。
 
サンデルも講義の中でも出てきたセリフだが「義務感はどこからくるのか?」ということ。
それを義務論を掲げるカントはどう考えたか?という話。
 
義務感が伝染すれば世界は簡単に変えられるはず。
なら、それがどこから来るものかを考えたい。
その話の前に、まずカントの話かな。
 
 
 
 
今日から記事に一つずつBGM紹介をつけることにした。
自分の好きな曲を。youtubeででも検索してみてね。
いつも聞いてる曲だと、半分くらい新旧のアニメ系とかになるかも。

♪ 昔の金曜ロードショー主題歌:Friday Night Fantasy
自分のブログ、赤く夕日に染まる背景に一番似合う曲を考えたらこれだった。
 
 
 

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30th 9月 2010

とあるアニメの陰謀目録【20100930】

 
 
 
ピンポイントでいろんな陰謀勢力を取り上げたり、取り込まれたりしてるアニメの紹介。
 
今日は、たいした記事じゃないんで、さらりと読み流してください。
 
 
 

 
・電脳コイル
アーサー・ケストラーが起源の攻殻機動隊を継承したような、電脳=電気的データ化した世界観を、政治色を抜きにして子供向けにしたアニメ。多次元業界の徳間書店とNHKのコラボの作品。郵政省の電波利権と神社。
全体として見えない物を信じさせるというスピリチュアル洗脳が全開だったが、特筆するのは12話。
「紀元5760分に約束の地にたどり着いた」などの+3760年というユダヤ暦が出てくる。紀元5550分とか。
後者はフランス革命のイルミを指し、前者は2000年(作品制作当時)+3760を指す。子供向けアニメに、こっそりユダヤだの「約束の地に戻る」だのを洗脳してくれるアニメ。
 
 

・カウボーイ・ビバップ
ちょっとルパン三世チックな昔のアニメ。洗脳系って感じでもない。サンライズの世界観は宇宙SF作品。
特筆すべきなのは、23話でイルミナティを模した宗教団体がでてきて、all seeing eyeのあのピラミッドが、そのまんま出てきて「今、最大の宗教、洗脳はTVである」と宣言してしまうとこ。ここは衝撃的。
で、これも「肉体は魂の入れ物」で電子化する脳の話がでてくる=つまり、スピリチュアルの宗教団体。
それを、賞金稼ぎの主人公達が捕まえに行くという話。
その宗教団体というか思想を、批判とも肯定ともとれる感じで作品は終わってる。
つまり、菅野よう子の音楽を扱うアニメではめずらしく、あまりスピリチュアル系ではない。この回の神の存在の必要性とかの説明も面白い。
あと、4話では、宇宙と海ネズミというのに置き換えて、シーシェパード=テロ集団と示唆したりしている。む、スピリチュアル=ニューエイジで、ニューエイジ思想と福音派が重なるとこが反捕鯨のポジションなわけで、アニメで反スピリチュアルみたいなもんで、これは珍しい。
 
 

 
・AngelBeats
臓器移植推進アニメ。それ以上でも以下でもない。
結構、主題歌は好き。で、たいして面白くないが見てしまった。
最後の最後で、洗脳色が強いが、あくまでも個人の思想の範疇なので、どうでもいいといえばどうでもいいのだが。
臓器移植のネットワークの名前が「生命の樹」だったこともあり、俺は臓器移植は反対。
「欲がなく能力の不備もない人格者」が管理しない限り、臓器移植は悪用される。
ちなみに、自分に息子がいて、適合する臓器の存在を知ってしまったら、殺してでも俺は取りに行くだろう。
どこまでいっても、「誰かが知ってしまう=臓器移植を肯定する社会」だからね。なら全面禁止のほうが潔しとする。
米大統領の持つ核スイッチを作った技術者が、常に監視したり口止めされたりしてしまうように、世界はそういうわけよ。
まあ、臓器もらった人が、今の臓器移植の闇や、その手術費の募金などに隠れた闇を本気で暴露した事は聞いたことがないので、俺は臓器移植反対のままとも言える。
 
 
 

・アクエリオン
アクエリアス(水瓶座)+AEON=アクエリオンで生命の樹、菅野よう子まで、スピリチュアル&ニューエイジ全開である。
主題歌がいいと、結構アニメを見てしまう俺は、遅ればせながら見ようと思ったが、耐えられなかった。
陰謀の匂いがするアニメはかなり免疫があるはずなのに、「あなたと合体したい」は、破壊力が凄まじい。
コタツ布団の角をくわえてしまう以上に、恥ずかしい。。
 
 

・マクロスFlontier
菅野よう子を含め、これにもアニメの中のスピリチュアル臭を感じて、「この陰謀臭はなんぞ?」と一時期、見てたが、耐えられなくて切った。
歌ってるのと、キラッ♪とデカルチャーしか覚えていない。
 
 
 

・とある魔術の禁書目録(インデックス)
科学と魔術(キリスト教)の戦い、つまり、フリーメーソン(科学探求サロン)とキリスト教の戦いが、もともとの設定らしく、さらにニューエイジの経典、法の書を書いた魔術師アレイスター・クロウリーも出てくるというので、「おもいっきり期待して」みてしまった。
キリスト教と、反キリスト教の戦い、どうであれ面白そうだ・・・と。
で、絶望した。
中学2年生の考えたようなヒロイックな設定=中2病、設定が微妙と言うより、許容範囲外の魔術(そもそもキリスト教が魔術を使う時点で変な話だが)、で、魔術師クロウリーは、どうもイメージは重ならないし。
というか、いろいろ耐えられないで切った。
外伝、とある科学の超電磁砲(レールガン)のほうは面白かったんだけどね。超能力=科学とするとこ以外、陰謀でもなんでもないが。
 
 
 

・BLOOD+
ロスチャイルド兄弟が敵ボスの側近として出てくるアニメ。
それと戦うディビット。
前半は面白かった。後半はダレた。陰謀暴露みたいなのはなかった。
 
 

 

・コードギアス~反逆のルルーシュ~
サンライズ、貴族、中世を少しSF化したようなロボットアニメ。
まず、主人公ルルーシュの後見人の貴族であり、そこの学校のマークは、フランスのメロヴィング朝、百合の紋章フルール・ド・リスである。クロヴィスが改宗してはじまったこの王朝は、ダヴィンチコードでおなじみのイエスの血である(あるわけないけど)。
アニメの中では逆に、主人公の反逆がクロヴィスを殺すところから始まるのは、おもしろい。
で、黒の騎士団(主人公が操る武装集団)にも吸収される日本解放戦線=右翼であって、作品中の黒の騎士団決起=筑波山挙兵(天狗党の乱)である。厳島の奇跡=厳島の戦い=毛利家の戦いである。
右翼の源流=水戸学派=筑波山挙兵、その天皇をすり替えた水戸学派の起源にもなるのが毛利家であって、大昔の厳島の戦いになるわけね。
フルール・ド・リスは、フランス革命でもわかるとおり、イルミナティ=グラントリアンのマークでもある。それと右翼のコラボというと、この百合と菊のマーク=日本のボーイスカウトを連想させる。
思想的には、ギアスは米英系メソが強いんだけど・・・。
ギアスが対中国姿勢がフラフラなのは、創価学会が右翼と親中の思想が混じっててフラフラしてたことと全く同じで・・ケシケシ。
2期は、哲学の話のほうが比重がでかい。明日は良くなる=ロックと懐疑的経験論の対比とかね。【20090530】
 
 
 
・攻殻機動隊 ghost in the shell
(スピリチュアル・電脳・反ロックフェラー)
【20081112】【20091227】【20090320】【20091228】【20091229】【20100428】【20100525】
 
・エヴァンゲリオン
(生命の樹・ニューエイジ・福音派・キリスト教・三位一体・イルミナティ・ゾロアスター教・クローン・・・)
【20080511】【20080523】【20090517】【20091204】【20100220】【20100330】【20100525】【20100727】

・魔法少女リリカルなのは
(スピリチュアル・ニューソート・クローン・新約聖書)
【20091204】【20100525】

・鋼の錬金術師
(生命の樹・錬金術・ニューエイジ)
【20090627】【20090719】【20091102】【20100218】【20100220】【20100329】
 
 
・鈴宮ハルヒの憂鬱
2期は消失だっけ?=見てない
(国家神道・三位一体・スピリチュアル)
【20090320】
 
 
・ガンダム00
(ベーダ神話、アーリア人)
【20090530】
 
 
らきすた=2秒として、耐えられない。
けいおん=読者から質問があって、たまに見た・・・感想なし。
天元突破グレンラガン=多次元宇宙、スピリチュアル。あつかった。人口爆発をにおわせる設定はよかった。
武装錬金=あつかった。(錬金術は関係ないけど、右手切られたら左手になってたけど)
聖霊の守り人=そこそこ(これもNHK、隠れ左翼とかスピリチュアル+IG)。攻殻を連想して見てしまった。時代背景とは違うフォーメーションという言葉が!!!
獣の奏者エリン=長い、国の設定が日本と朝鮮の歴史というタブーの匂いがした→長すぎた。聖霊と見比べて紙芝居だった。
ワンピース=見たことがない。あれは海賊賛美=スカルアンドボーンズや航海民族賛美。ヤクザ賛美の瀬戸の花嫁も、そんなとこがある
 
 
基本的に女が格闘したり、戦争するアニメは、あまり興味なし。
女の運動神経の悪さ知ってるのかと・・・。脳みその仕組み自体が違うし。
そういうのも、暇な時に見るときがあったけど。
スカイガールズ、ストライクウィッチーズ、シャナ、ゼロの使い魔、fate、ガンスリンガーガール・・・・・長くて一期だけ見てるとかだね。
バンブーブレードとか、みなみ家みたいな、ほのぼの系は見ることもあるぐらいです。
女が武器とかも含めて、設定に無理があるのとかは見ないことが多い=ワンピースも突込みどころ満載でしょ?ゴムゴムの実だっけ?
(創作だからといっても、設定が安直すぎるのとかを見ない、って感じだね。)
クラナドとかは嫌いで、アニメに感情移入はしないので、設定を気にしてしまうってとこでしょうか。俺の中で安い悲劇×、熱さは○。
 
 
 
 
頭が悪いんじゃないか?と思ったアニメ。
(ちゃんと見てないの多し、イメージで言ってたらごめんなさい)

スクールデイズ(真言立川流ですか?)、ぼくらの(みんなのために死ぬとかってアホ?)、ひぐらしの鳴く頃に(みてないけど、アホでしょ?)、エルフェンリード(惨劇アニメ)、今そこにある僕(悲劇アニメ あの杖はモーセ?)、図書館戦争(サバイバルゲーム?)、
 
 
アニメではなく漫画のみ→プラネテス。そこそこ面白い。
デスノート→これもマンガのみ(メディア信じて殺すなよ)

ちなみに一番のお気に入りのマンガは、
玉井雪雄のIWAMAL(小学館)
です。環境問題系の獣医アニメ。オススメ。
この人のほかのマンガは勧められないし、このマンガの中にも嘘が混じってるけど・・・。「1日に絶滅する種60種~70種≠じつは誰もわからない」とかね。環境保護左翼の資料をもとにしたからだな。
でも、切り口は面白い。
 
 
 
ふう、記憶だけでこの数のアニメが出てくるんだから、「いろいろと問題あるだろ!」なわけですが。
 
 
一番のオススメは、攻殻機動隊ですかね。やっぱり。
 
なぜ、笑い男と少佐が図書館で対話する時、両者の後ろに「ENCYCLOPEDIA」=百科事典があるのか?図書館の本棚の並び上、ありえないのに。(隠してたけどわかった人いるかな?)
 
それは、錬金術(alchemyはthe科学=アラビア語+古代エジプト語)→フリーメーソン=科学探求サロンでそれを引き継ぎ→科学探求の聖書(百科事典)を作り出し、キリスト教と対立した思想の流れ、ここからスピリチュアルが生まれてくるわけだから。
その百科全書派メーソンとスピリチュアルとケストラーのようなSF文学を継承してる作品が、攻殻であるからということ。
 
 
教会がお抱えだった科学探求サロンが、もうキリスト教は止めましょうってやってるのが、ニューエイジ、スピリチュアルなわけ。
 
この仏ロスチャイルド=百科全書派と、スコティッシュメーソン=ニューエイジの思想は、明治維新というフリーメーソン支配からの日本のなかで育てられたわけだ。
とくに日本はキリスト教色が薄かったので育ちやすかった。
 
途中、戦時中の思想、フグ計画も混ざって、出来上がってるのが今のアニメ業界なわけ。
だからどこを向いても、多次元宇宙、肉体は魂の入れ物、スピリチュアル、ニューエイジ、錬金術の中の神学の再構成のシンボル=生命の樹、こういう思想だらけなわけよ。
 
政治は、反共=自民党でもわかるとおり、米英系のメソのほうの思想に乗っ取られたけどね。
 
 
例えば、evangelion=福音派+AEONという、キリスト教の中のニューエイジ賛美派の思想によるアニメというのを、ちゃんと理解してる人は少ない。
なぜ、母子エヴァの三位一体で生命の樹が出てくるのかも知らず、エヴァという単語の意味さえわからず、表層空気だけでわかった気になってる。
 
河豚計画「アシュケナジー(ドイツ系)ユダヤと仲良くしましょう」=アメリカ国籍ドイツ系=アスカ・ラングレー(クローン技術)。
二期で新約聖書の批判=リリカルなのは、ハーケン=ドイツ=フェイト・テスタロッサ(クローン製)も同じ。両者とも同じシナリオ、同じドイツ系ユダヤ人である。それは白人金髪のユダヤ人を指す(アシュケ=金髪のみってわけではないが。)
 
 
そもそも洗脳は、集団的無意識を作り出すためである。

本当の支配者にとって、重要視されるのは、レールを整備する事で、電車そのもの(作品)を作る必要はない。
スピリチュアルだらけの土壌=レールのひかれたアニメ業界とは、そういうとこである。
エヴァ、攻殻、それは意識的に「自覚してる者」の作品である。
しかし、彼らの意識が、ただ「レールに乗せること」だけを自覚しているのか、それ以上「レールをどこに進ませるべきか」=「レール作った者達と繋がってるか」を、判断するすべはない。
 
アニメがレールの上の電車だということ。
そのレールがどこに向かってるか?なんかを、乗客としては考えてもいいんじゃないかと思うわけです。
そういう楽しみ方こそ「あり」でしょ?
 
 
 
で、最後に何が言いたいかというと・・・。
 
陰謀の匂いがするアニメがあれば、教えてください!!!
 
長々、自分が見てきたアニメを書いておいて、結局はそれが目的か!!
最近、調べたい事も減ってきいたような気がするので、刺激が欲しい。
 
 
 
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ、それも嫌なら・・・・」
 
これ、攻殻機動隊の最初のシーン。
 
少佐!!!
厚生省の手先が一般人を虐殺する、警察が自作自演をする、政府が政府という体を成す以上、政府機関である公安9課も同じ隠蔽者であり、「自分の正義を真っ当する」なんてことはできませんぞ。
 
こういうアニメの見方といい、911自作自演などの陰謀のことといい、俺は「設定マニア」なのかもと思う。
 
まあつまりは、自分の設定にも困ってるわけですが・・・。
 
 
世の中に不満があるなら自分を変えろ・・・・「断固拒否する!!」
 
 
 
 
 

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29th 9月 2010

悲しいけど状況証拠が一番頼りになる【20100929】

 
 
 
公安調査庁と小沢の関係
 
公安調査庁と勝共連合の関係(でも捨てられた)
 
昭和電工疑獄事件という転機について
 
小沢と共青団派の李克強
 
上海閥について
 
 
ここら最近の話で、自分が事前に言ってあったことはこれぐらいかな?
 
あとは、大勲位が李克強と対立する習近平と天皇との接見を依頼したこと、東京地検特捜部=ロックフェラー機関などが補足になるかな?
 
それでも結論としては、「なぜ特捜部の証拠でっち上げが露呈したか?」とか、「今の中国との揉め事はなにか?」とか、最終的な話は「わかりません」ということである。
 
朝日のスクープから始まった「でっち上げ」が「昔の朝日勢力=反ロックフェラー系」としていいのか、それが新聞の一面などを決定する力があるのか?
 
中国の上海閥がどうなってるか?
 
法務官僚=憲法を作ったほうのアメリカのほうが、ロックフェラー系=憲法改正させて軍事を持たせようとするほうのアメリカ=特捜部を貶めるために、露呈した。
 
小沢という対中国コネクションを演出させるために中国単体でやったのを、日本の右翼路線(ロックフェラー系)が便乗して騒いでる。
 
 
でも・・今の朝日に、特捜を叩く事は本当にできるのか?
中国の上海閥とロックフェラーの関係の理解が根本から間違っているんではないのか?
 
せっかく見えてきた線さえも、ちゃんと疑問を考えると、弱くなってしまう。まあ推論なんてそんなもんである。
 
 
まあ、中国の事は置いておこう。そもそも騒ぐほどの話でもないし。
 
今の大阪特捜部の批判をする番組に、元東京地検特捜部が多数出てきているわけで、本当に「特捜叩き」でいいのか?という疑問さえわいてくるわけで。
それとも番組のコメンテーターに元特捜部がいるのは、現場で口止めするためなのか?ってのも可能性もあるけどね。
 
小沢を「有罪にする根拠がない」と言及したことがある大林検事総長は、一部のロックフェラー系にはこの事件以前から「小沢の手下」などと批判されていた。桜井よしことかからね。
 
そして一部では一橋人脈でもある大林は、漆間などの名前と一緒に並べられ、反共カルトの手先(ロックフェラー)と、逆側からも批判されていたわけで。
 

で、今回の事件で青山繁治という完全なるロックフェラーの手先。
そして亀井。三井環。辞任を騒いでる人物だけでもバラバラだ。
 
警察官僚あがりの亀井はともかく、三井は特捜派に吊り上げられたのが三井だったわけで。本当に特捜部を叩く図式だったら、こいつが大林を叩くってのはおかしいような気がするのだが・・・。
でも特捜部は明らかに叩かれているわけである。
 
そういうわけで、今、最高検を使いこの事件の捜査を支持してると思われる大林宏検事総長は、法務官僚(ロスチャ)とも特捜派(ロック)とも、明確には判断できん。
 
 
ただ、大阪特捜部で逮捕がさらに続いたわけで、不祥事→大林を辞めさせたいという、簡単な図式ではないのは、間違いないと思う。
 
大林(ロック側)だったとした場合、「大阪特捜部が言うことをきかなかったので、こうやって吊り上げた。」とも考えられる。
しかし、それなら、西松事件、勝共と公安調査庁の絡んだ事件で「ちゃんと働いた大阪地検特捜部内の役者」を、この形で使い捨てるとは考えられないわけである。
 
 
やっぱり、そういう捜査になっている以上、大林検事総長は法務官僚派(憲法を作ったロスチャ側)として、動いてると読み取れますね。(自信なし)
 
断定は出来ない判断を、迷いそのままに書くのは気が引けるが・・・、まあこんな感じである。
 
 
中国の話では、ロックフェラーと福建省客家とか、ロスチャの作った金融ネットワーク、宋3姉妹(聖書の中国代理店)=浙江財閥とか、ほんとは踏み込んで、最低でもこの特捜部への捜査と同じくらいの判断は中国の話でもしたいんだけど・・・。
「今はこうなってる」とね。

過去の民主化工作の裏側にロックフェラーがいて、つまり北の客家VS南の客家では上海側にいたのは間違いないんだけど、上海閥=ロックフェラーという簡略化しすぎて間違ってる考えではなく、それで現在の判断の材料にできるように。
 
しかし、それと尖閣諸島の話を繋げるのは、今回はアメリカの動きだけで判断するしかなくなるので、「根拠が弱すぎる」として、無理があるなぁ~と。
上海閥の意思で、今の中国政府内で、あの演出ができるかとかの疑問があるし、法輪功とかウイグルとか、ああいう反共工作員が明確な動きしたわけでもないんでね。
 
まあ、実は、何も判断できる事がないんですね・・。
最近の上海閥を含めた派閥争い追いかけてないし、過去に書いた事を忘れてしまっている俺なわけで・・・・。

今回みたく上海閥の話を調べようとして、自分の記事のURLにぶつかると、気が引けるどころか、ほんと申し訳ない気持ちになったりします。
当の本人が、何もわかってないわけで。追いかけずに放置したわけで。
 
今回の尖閣騒動で、自分がしたことといえば、そもそも、騒ぐ事はマイナスと思ってたこと。
その判断とともに、田中宇さんは上海閥っぽい(その中のどこかも見えていない)言い方をするとして、一歩引いて見ることが出来たことぐらいです。
 
 
 
まあ、自分の記事は、先回りしてるのもあれば、投げ出して無駄にしちゃってることも多い。
 
それで組み立てて、「わかりません」だけど、「こうだと思うよ」的な記事で申し訳ないですが、そんな感じです。
 
まあ、先回りできた時は「感想」を、わかりにくいときは「質問」を。(本人がわからない場合も多々ありますが)
それをコメントにでも書いてくれるなら、その一人じゃない多数からの視点が、一番強い根拠、その場その場の状況証拠を浮き彫りにするかも。
そう考えております。
 
これから「地検特捜部がどうなるか?」でわかることがあるように。
 
 
 
おまけ
ビルダーバーグであった1984年にあった重要な事は、ペレストロイカの開始ですよ。1983年人事、駐カナダ大使ゴルバチョフ召集→1984年開始ってことでしょう。
 
 

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28th 9月 2010

欲望と川、法と宗教【20100928】

 
 
  
昔のキリスト教では・・。
「全能の神様がこの世の中の全てを作ったんだ」=命令。
  →神は悪い人も作ったんだ?
「こりゃ失敗!!」
 
神様という言葉をなくすためにスピリチュアルが生まれた。弁神論。
 
 
 
昔の戦前の日本では・・。
「陛下(天皇)が、このように申しておる」=命令。
  →天皇は戦犯じゃないの?
「こりゃ失敗!!」
 
 
で、どうなった?
 
 
 
昨日と一昨日、過去2回で、嫌煙工作と、禁酒法と同じ手法で利権を生み出すこと、経済産業省と財務省&厚生労働省の話をした。
 
この「たばこ値上げ」もそうなんだけど。
今の世の中、「誰がこれをやったのか?」が、ずんずん見えなくなっている。
 
キリストというプー太郎(中東の有色人種:子)、全知全能の神(ヤハウェ:父)、昔はこいつらの名のもとに支配されたわけ。
主語は間違いなく彼らだった。
なぜかキリストが白人になってる事も含めて、「おかしいとこが露呈し」都合が悪くなったからという理由で、変革した行為が「キリスト」「神」などの部分を隠したスピリチュアルなわけである。
 
つまりは、「誰が首謀者かを隠すために主語を隠す」というだけである。
 
 
 
戦前の日本も「陛下(天皇)」という単語でやってた独裁政治だったわけ。
それが戦後、民主主義という名のもとに、多数決とは聞こえがいいが、実際に変わったことは「主語=誰かがわからなくなった」だけである。
「独裁であること」と「誰も責任を取らない」は、たいして違いがない。
むしろ、「昭和天皇が戦争責任を取らなかったこと」ということで確定的になったという指摘は正しい。
 
この民主主義という形の悪しき部分の典型的なもの、それが、今の日本の法律。
 
 
タバコつながりでこんな話をしよう。
 
中国とかではタバコを吸う前に相手に勧めるのをよくやる。吸わない人にもね。これには、吸っていいかい?なんて意味もあるんだが。
日本ではあまりやらない。

必要以上に、タバコは中毒性が高いと考えてるかもしれないね。
だから、吸わない人にタバコを勧めるのは失礼と。

確かにニコチンは中毒性が高い部類だけど、ちょっと過剰すぎませんかね?その理由になるのが前回の記事である。
俺は、嫌煙ヒステリーも嫌いです。拒否権の方が優先なのもわかるんですが。
白人のみの入店可の店と、喫煙者を排除する最近の風潮は、よく考えれば同じ匂いがするでしょ?それならタバコ=違法ってとこまでやればいい。ただ、それをやるには「今まで認可してた責任」も明確にすべきなわけだよ。
 
ま、どこまでいっても派閥争いと、その中での集団催眠なわけ。

乳がんの例でもわかるとおり、発ガン性の根拠が薄いという話もあるわけで、副流煙より、今のマスコミのほうが体に悪そうですが・・・
 
喫煙者も嫌煙ヒステリーも両方その洗脳にかかってるという話でもあったわけで。
日本におけるキリスト教と結婚式のように、人間は、実はかなり自覚なしで情報に踊らされてしまう性質がある。
 
 
で、日本人はとくに周りに流されて、その中で責任を見失ってるわけ。
 
昭和天皇が戦争責任を取らなかったことで、「責任を取る必要はなし」と宣言したような状況で、日本は民主主義を押し付けられたわけだ。
今の「誰が責任を取るかわからない」という政治になるのは必然である。
その帰結が、アメリカという単語一つに、小動物のように怯えるだけの、今の日本だ。
 
 
前回の記事で、現行の法律の中に「喫煙」という行動が該当する定義が見当たらないと説明した。(自分が探した範疇だけだが。)
 
そもそも、この「たばこ事業法」(立法)の中での話も、問い合わせりゃ教えてくれんのか?という話である。
郵便貯金法廃止=郵貯は存在しない、でも同じことで、俺も「どーせ法律の話をしても答えなんか返って来るはずがない」とあきらめてしまってる部分であるけど。
 
まあ、警察署の免許更新と交通安全協会という天下り斡旋の窓口のおばちゃんでもわかるとおり、お役所の窓口には、常に馬鹿という防波堤が作られている。
 
あいつらに「天下り法人のために集金する理由は?」とか、交番で「パチンコって賭博じゃないの?」などと聞いても、ちゃんとした返事など返ってくるわけがないように。
 
こういうこと、今回のタバコ値上げ(禁酒法の再来)という「行政」も、既に末期どころの話ではない。
 
 
前厚労相の長妻、彼にほとんどの民主党支持者は期待していた。
まあ、あたりまえだが、ロックフェラー化=自民化した民主では彼の居場所はない。仙石に追い出されたわけだ。
 
しかし、この長妻さえも、この禁酒法の再来、タバコ値上げについて「賛成」していたわけである。
俺は、どっちかというと、このことには少し絶望した。
 
自分も年金のことも含めて、厚労相に長妻を再任を願うし、今、独裁小沢というマスコミが作った嘘が、この長妻がいないということで露呈してもらいたい=あまり批判的なことは書きたくないのだが・・・。
少しその傾向があるし。
 
それでも、賛成だったのは事実である。
 
こいつに過去の厚生省が液体覚醒剤を製造するための法律のことや、禁酒法の事を説明できた支持者もいなかったのかと。
厚労相という立場なら、戦後の日本で戦勝国アメリカの製薬会社と結びつき日本人をヒロポン付けにしたこと、その結果、アメリカの製薬会社と癒着し薬害エイズが生まれたこと。
つまり、彼の立場なら最低でも麻薬規制で覚醒剤を売った厚生省のことは理解すべきなわけで。
そうすれば必然的に禁酒法の事もわかるはずで。
 
 
これは行政者としてよりも、立法に携わる者なのに「最悪な法律がなぜ最悪になったか?」という、一番あたり前の事を理解してない証拠なわけで。
 
長妻もこの程度なら、誰にも期待できん、と絶望気味になった。
 
 
官僚が名前を隠して提出し、頭に蛆が湧いてる政治家が、仲良く投票する。で、法律ができる。
 
何度も言う、責任の見えない=誰のせいか?、「国民のせい」というあやふやな言葉でごまかす民主主義なら、独裁政治のほうがマシである。
 
理想論としては独裁的な共産主義となる。
「この法律は、私が全責任を持ちます」で、独裁政治をやってくれるなら、まだ前に進むだろう。
意味がわかるよね?
誰のせいかわからないこの民主主義で、何十年も何も進まない日本で生きているのなら。
 
 
もちろん、俺は独裁政権などを支持してるわけではない。
独裁が良い悪い以前に、誰が責任を持つかを、はっきりしなければならないってこと。
今の日本のままでは「過去の遺産=誰もが無視した責任」が貯まっていってしまうんだよ。
貯まりすぎなわけで、これをだれもが目を背けるのなら、また共産主義が盛り返すぞ。
 
 
そもそも、法律の「法」というのは宗教(仏教)からきた言葉である。
 
「独裁政権」「宗教」「法律」、この「同類の3つ」を並べてみる。
ここから「何がゆがみを生み出すのか?」を考えれば見えてくるはず。
つまりは、「悪法が悪法たりえる理由とは何か?」ということである。
 
システムとしての問題、民主主義=「主語」誰が法律を作ったかわからなくなる事、責任を取らない事が一番の問題というのは説明した。
 
 
冒頭で、キリスト教とスピリチュアルの話をしたのは、その「主語」の話である。
それ以前に、宗教は常に問題があるわけで、そこが「宗教が歪む理由=悪法たりえる理由」なわけである。
 
 
「独裁政権」「宗教」「法律」、これらが同じものと理解すれば、その理由は簡単だ。
 
結果から言えば、悪法を悪法たらしめる理由は「法律は絶対に守らなければならない」という考え方である。
独裁者を妄信する事で、独裁政権は「何でもしちゃう」となる。
宗教の経典など「戒律や聖書、タルムード、コーランなどを絶対に守らなければならない」というとこから、宗教は歪む。
聖書を絶対とするキリスト教原理主義を考えれば、簡単な事である。
 
 
恐怖の演出によって独裁者を「信じる」と作らされてしまう状況も、主語の見えない民主主義で「法律を守れ」という行為も、実は中身が一緒である。
これでもわかるとおり、信じるという行為は、正義感や道徳倫理から生まれる行為ではない。
むしろ、一方的な正しい=その状況を肯定したいだけの思い込みなだけだ。恐怖でも、めんどくさいという欲でもいくらでも演出できる。
 
 
むしろ、正しい意識とは逆、欲望というものが集合体として河のように流れて出来上がってるのが、数限りない人間で出来上がった社会である。
 
そして、人が川の中を渡るときには無意識に流れに従ってしまうように、それに流されてしまうのが人間だ。
むしろ、川に逆らうのも、流れを無視して垂直に川を渡るのも危険である。生き方としても流されるべきだ。
 
誰だって欲望がある、なのに、その川(社会)を欲望を無視して生きるべきではない。
「責任も中身も考えずに法を信じる」=悪法を悪法たらしめる理由。
 
 
今回のタバコの値上げ、過去の禁酒法。
タバコを吸いたい、お酒を飲みたい、単純な欲である。
 
どんな小さな流れでも、それに流される。
流されて別のとこに行き着いてしまう人は絶対にいるのだ。
 
むしろ今回のタバコのことは経済的な理由をも使って、意図的に川に流される人を生み出し、下流の麻薬や覚醒剤に誘導してるともいえる行為ともいえるのだ。
過去の麻薬を規制して覚醒剤を売りさばいた厚生省や、アメリカの禁酒法のように。
 
 
法とそれに伴う懲罰という宗教でしばる行為は、逆を言うのなら、その懲罰を受けるなら法律を破ってもいいという話になってしまう。

自分は「法律を守るな」と言ってるわけではない。
欲望の肯定を理由に、飲酒運転をして事故を起こすような人を、ただ「しょうがない」とだけ主張してるわけではない。
問題を解決する話はまた別の話だ。
ただ、流れとか、欲望とかとはそういうものなんだよ。
 
モーセが海を割ったように、その欲望の川を切り裂くことができる、善良で全知全能の独裁者がいれば、「全ての法律は自分が責任を持つ」としてくれれば、誰も流されない法律も社会もできるかもしれない。
 
まあ、そんなのありえるわけない。
全員が欲望をから開放、断ち切った社会なんて、耐えられるか!!って話である。
 
 
ただ、「誰が作ったか」が見えないうえに、どんな法律か?も考えないままでは、いつまでたっても、この欲望に流される人を救うことはできないはず。
法律と欲望、その流れは無視できないこと。
ただ、今のまま「たどり着くところ」を考えてほしい。
 
今、解決できる手法はただ一つ、「責任を誰かが取るか明確な民主主義を考える」だけである。
それだけでいいはずなのに。どうやったらできるんだろうね?
 
流された人に手を伸ばせる社会なら、もう少し人は流されないですすめるはず。
 
 
 
 
 
 
 

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