北朝の天皇のゆりかご その1【20100112】
さて、もう一つのリクエストは「天皇」についてだったな。
まず、どう考えても「明治維新の時に、南朝に天皇をすり替えた」という状況証拠が揃いすぎているということ。
その結果できたのが2つの五箇条、田布施の怪、日本の薩長支配。
まあ今も、日本は阿呆な血縁政治の延長であるという単純な話だ。
明治天皇からの系譜、基本は南朝天皇を基準とした血縁政治という現状に続く話である。
まあ、天皇自体は、作り物のお飾りである。
それに対してのオバマの姿勢やら、何やらで判断できる事など何もない。
スウェーデン王室のように、全く関係ないやつらも王室にしてしまう、フランス革命からのイルミナティ伝統芸能であるからね。
「手馴れてるね」ぐらいの感想でしかない。職人のように、繊細で丁寧なだけである。
そんなわけで、書ける話はあまりない。
ガータ-勲章、頭山満が「行かないで」と嘆願した「裕仁のイルミナティ合宿=欧州外遊」、まあ部分としてはネタになる事例は、複数あるわけだが。
天皇なんて「動きのない価値観形成のツール」であって、それがどうなるか?なんて分析して言及できる事はないからね。
ま、「南朝支配」にさらに、今回の要素を足すぐらいで、今回は勘弁してもらおうかな?と。
今回のネタ、「大正天皇とは何だったのか?」ってことで。
そう、大正天皇は「北朝との融和みたいな要素」があったということ、つまり「替わりばんこの密約」そのものである。
南朝にすり替えた際、国際金融資本とも手を組んでの圧力、その後、北朝を納得させるために「大正天皇=北朝側」という話になったであろうということ。
しかし、昭和天皇が院政で乗っ取った事、種無しスイカ、これまたいろんな要素があるんだけどね。
とりあえず大正天皇とは何か?と考えるだけで見えてくることがあるということ。
大正天皇は、一説によると「大隈重信の息子」であるという説がある。
これは、南朝の話、天皇すり替え、そこらへんを理解してる人からの話であり、北朝よりの暴露でもなく、信憑性が高いかも?と勝手に考えている。
これは、「日本人なら天皇を崇めるべきと言う人が多いのに、なぜ大正天皇の顔を知ってる人がここまで少ないのか?」という、至極、真っ当で内臓をえぐるような
ことも同時に書いてあったからね。
その答えが「大正天皇=北朝路線」であろうということ。
そして、こっからがその人の理論ではなく、俺のオリジナルのはなしである。
さあ、はじめるか。
大隈重信こそ、今の北朝路線の中心的ハブでもある「早稲田大学の創設者」であるわけです。(東京専門学校1882年)
新年の御挨拶【20100104】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/01/04/591
早稲田→北朝という構図が大正天皇とリンクしてると考えれば、かなりの構図が浮かび上がってくるのである。
↑ついこの間の記事。
三笠宮崇仁親王 → 日本オリエント学会=騎馬民族征服論(江上波夫)→早稲田のネオ騎馬民族征服王朝説
>日本におけるエジプト学派の本拠地が、早稲田大学エジプト学研究所であること。
ここらへんとかもね
ほら、今、自民党という右派路線に対して、新左翼などのメンツがデカい顔をしている。その中核が「早稲田大学である」という単語ということ。
太平洋問題調査会(IPR)や、ゾルゲ事件などの尾崎までの波及を含めて「なぜ早稲田大学は左翼のゆりかごであったか?」を考えた場合、「大隈重信の子が大正天皇である」という答えが、他のパズルの要素とも完全に、はまってしまう答えなのである。
他の要素・・・。
大正天皇というのが、北朝路線と南朝社会との融合であるということ。
大隈重信の反薩長であったという態度と今の新左翼というメンツ。エジプト学派。騎馬民族征服論も含めて、これらが全部綺麗に収まるのだ。
そして、この北朝路線、「大正天皇は何者か?」というのは、対立論から情報を判断する手法で言えば、「天皇すり替えありきの考え」であって、明治維新のみえみえの天皇すり替えを否定する南朝族がリークできる類の話ではない。
だから、大正天皇=大隈の子っていうのを、信頼しちゃってる部分もあるんだけどね。
本来、先回りして確かめる事の出来ない話=確かめられないから、どうでもいい話なのは、わかってるけどね。
また話が長くなった。まだ半分なのに。
他、適当に。ということで次回。
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