虚空と君のあいだに

日本の奥の院 その2【20120217】

17th 2月 2012

日本の奥の院 その2【20120217】

 
 
 
 
さて前回のおさらい、なぜ薩長、とくに長州か?
 
それは百済の海であり、神道勢力の起源がその西国の海を中心とした海崇拝、及び海賊のながれであるから。
で、鎌倉幕府という嘘は、何か?
日本で一番偉い人、支配者は、その神道が決めるというための嘘=征夷大将軍であり、東国支配の象徴という捏造のための嘘でもある。
 
次に、進もう。
今まで散々説明してきたし、あたりまえすぎて「南朝天皇の正統」の部分は、今回はあまり出てこなかった。
しかし、醍醐天皇の右大臣、菅原道真の話も出てきたので、南朝正統宗教の真言立川流、及び真言宗の勢力について解説しよう。
 
真言立川流と、真言宗は別に区別する必要はない。
どっちも同じである。
その真言宗の本山は、東寺(とうじ)である。
 
え、高野山は?と言われても、何度か説明したとおり、あれは豊臣秀吉がお母さんのために作った寺であり、でっち上げの本山である。
日本中の神道、及び創造神としての神が、明治以降にできあがった捏造であること。
日本中のコンビニの数の数倍の建物、及び図書館でいうと、本棚ごと丸ごと捏造だよってこと。
それを知ったんだから、宗教の本山が、真言宗、根来寺を焼き討ちし東寺を潰そうとした秀吉の寺で、でっち上げの本山であることぐらいでは、驚いてはいけない。
よって、天台宗系を国教とした日本で、なんとか歴史的に系譜が残っているという意味も含めて、真言宗の本山は高野山ではなく、京都の東寺である。
 
その東寺、(教王護国寺)の山号は、「八幡山」です。
 
八幡山です、八幡山です。
アナウンサーは嬉しそうに、東寺には八幡三神が祀られていますと。
 
僕はなんて思えばいいんだろう・・・・・。(歌の歌詞にしてみた)
 
いたね。
仏教界にも「神の付く創造神」。八幡三神(三位一体かよ。)
 
あほか~!!
 
真言宗=もうすでにすべて真言密教で、南朝=後醍醐天皇の正統宗教であり、その南朝を正統としてできあがった天皇すり替えの明治維新、その国家神道も同じ。
 
思い出してね。宗教、神道は看板である。
 
この東寺も神道という看板を掲げた神社なんだよ。と。
ね、「神道って何?」なんて考えてありもしない大昔に判断の根拠を求めても見失うだけだよと。
 
神社という看板であること。
それは、今まで説明してきた八幡(朝鮮系海賊)が教えてくれてるでしょ?と。
 
この山号というのも、高野山というのが大衆への浄土信仰、つまり天台宗の中の浄土真宗か浄土宗系の高野聖(こうやひじり)などであること。(密教系ではない)
さらに、その金剛峰寺の本殿が豊臣秀吉の作ったお寺というのをごまかすかのように作られた「金剛峰寺=高野山ではなく、高野山とは山全体の山号だよ」みたいな嘘から出来たもんだと思うよ。ごめん、ここまではあまり調べてない。
 
 
さて、ここで少し端折る。
本当は、こういうのをやるべきだろ思う。
天皇の正式な宗教施設である菩提寺、泉涌寺→真言宗に改宗。
藤原氏→春日神社→神社に改宗。
 
さらに過去だけでなく、現在の話も。
東京立川市、立川=真言密教、立川流の立川で=真如苑なんて存在してる。
 
もともと真言宗系の寺は、吉野という南朝の本拠地でさえ、天台宗の管理下に置かれることが多く、明治以前、元から真言宗というのは少なかったわけ。
滅びた逆賊、南朝のバックボーン宗教ならあたりまえだよね。
 
で、明治以降になぜか多数の寺が、真言宗に改宗しまくるわけね。
もしくは廃仏毀釈で寺が神社になったりと。
 
 
日本の奥の院、それを説明する上で、こういう勢力図を整理すべきなんだろうけど、今は、全体の流れの説明だけでよしにさせてくれ。
とくに京都なんかではその図式で、権力図のパズルが組みあがりそうなんだが。
 
ただ一つだけの要点を言うのなら、明治維新の前後の違いは、このキリスト教か掲げた神道という看板、それに屈した仏教界という構図で説明できるわけね。
真言宗か神社か?みたいな逃げ道に走った寺という事例以外に、重要なこと。
それは、法華経=天台宗の経典を残すという交換条件を突きつけること。
 
これは特に神道右翼の中にまだ残っていて、昔の宮沢賢治の国柱会とか、どっか都知事の霊友会とかね。
神道の右翼が法華経を信仰しろと言うんだから笑える話だけど、それが理由ね。
宗教は看板なわけよ、どこまでいっても。
これは、神道、天皇すり替え、国教が国家神道かする中での、もと国教である天台宗系の自分達の組織が生き残るための保証、見返りなわけよ。
 
 
その法華経にも関わる話に進もうか。
 
その前に、再度確認。
日本人は結婚式をキリスト教及び神道であげ(どっちでも違いはない)、葬式は仏教で挙げるし、初詣に神社に行く。
じつは、この多宗教感は、多神教として日本人が自らの手で獲得したものではなく、支配者に押し付けられた洗脳の線引きに他ならない。
国教が変わるときに法華経という見返りを神道の右翼に押し付けたのと同じように、ただヤクザ同士の談合のなかで協定、住み分けが出来ているだけである。
 
 
ぷち懺悔と静岡の話【20120117】

http://www.mkmogura.com/blog/2012/01/17/1030

 
ここらへんの説明、くり返すのもめんどくさいので貼り付け。
海崇拝は今回補足と言うか説明した。
そこから山岳崇拝、富士宮の浅間神社のことは、前回のこの記事でさらりと説明した。
そこで、軽く流したが、創価学会というのが生まれた経緯も、この仏教会と神道という看板の話である。

もともと、日蓮正宗の古称は「富士派」という。

調べて気づいた人はいるかな?
富士浅間神社は、もともと富士権現という仏教である。家康の大権現と同じくね。
 
 
富士宮の大石寺の一派を「富士派」というのなら、簡単でしょ?
地図でも確認してくれ。
 
創価学会、日蓮宗の仏教なのに、なぜか南朝を正統とする教育を目指す団体、大日本皇道立教会が母体。
国教を神道としているのに、なぜか仏教の中にその教育を推進しようという団体が出てくるわけ。
宗教というのは詐欺師という商売のための看板であるということ。
そして西国の海崇拝の団体が、特に京都の仏教界で、寺を神社や真言宗にしたこと。
 
仏教界の中の神道の仲裁役、そんな日本の奥の院、明治維新を起こしたやつらの都合のいい役職をになったのが創価学会であるということ。
だから、浅間神社という、明治以前はなかった「創造神の神の社」ができたんだよと。
大石寺、創価学会のすぐお隣でね。
 
それは、天台宗の僧の天海和尚を神道家とする日光東照宮、そしてもとは久能寺というお寺だった久能山東照宮も同じことですよと。
うむ、説明のくり返しだね。
 
 
少し新しい話も入れるか。
 
久能寺、徳川家康のお寺での墓は、神道に作り変えられたわけである。
しかし、寺の部分はこっそり移転された。
それが山岡鉄太郎(鉄舟)によって移転した「隠れ家康の寺」という、鉄舟寺である。
 
静岡の清水、狐ヶ崎という駅の横なんだが、東海道のところに平川地というところがある。
ここが昔、久能寺、今久能東照宮、つまり家康の墓の参拝するための道路の入り口である。
今は、あまり面影ないけど。
東海道からのね。
ちなみにミュージシャンに平川地一丁目だかいうグループがいるんだが、ここ出身の人達。
 
そこから10kmぐらいかな?、春になると桜のきれいな通り、サッカーの日本平球技場の横、その通りを経て、少し高台になっているから昔は、遠くに海が見えたりしだろう、そこからさらに進んで、西から海に面した久能山まで回り込むという道筋、それが家康の墓、久能寺までの参拝路である。
 
鉄舟寺は、その参拝路の途中、中間地点に移転させられたわけ。
今もあるよ。普通に。
 
 
ちなみにその鉄舟寺を校歌に入れたりして聖地のように扱い、そして学祭の時は「建学の火」として五輪の聖火ランナーのようなオママゴトをする大学、それが東海大学でーす。
俺が行っていた大学でーす。(卒業しなかったけどね)
高校もその系列です。
 
西園寺以降、静岡の中部周辺は大学、医学会の寄せ付けない土地だったんだけどね。
派閥が出来て、権力構造に飲まれるのをよしとしなかったから。
静岡あたりと浜松比べると全然違う。特に医学会とか。
 
この東海大学も1943年創設で、航空科学専門学校と翌年創設の電波科学専門学校を統合した、ほぼ戦後にできた大学。
じつは、この東海大学の起源についてはよく知らんが、電波って!!あと中島飛行機などの解体とかも連想されそうな専門学校だなと。ちなみに創設者の松前重義はプロテスタント。大学はそういうキリスト系の強制とかはあまりなかった。
本部は渋谷らしいのだが、大学としての基盤は湘南校舎(平塚)そして医学部(伊勢原)、で建学の地という、この清水なわけね。
 
出来上がった過程のなかで、天皇すり替えの中核である徳川と神道の協定書のような物と関係してること、戦後に本格的に大学なったこと。
もっと慶応やらのようにCIAの手先がポコポコ生まれてもいい大学なのだが、あまり目立たないのは、単純に馬鹿だからだろう。
おまえが言うな。はい、すいません。
 
 
この東海道から家康の寺までの参拝路が始まる平川地、そこの自治会館だかに寺子屋を開いたという石碑があるのが、ウチの祖先だよ。ね、ドド真っ黒。
寺子屋やっていたという以外の話もないので、地元の歴史探訪あたりの本などにも載ってないドマイナーな話だけど。
 
家康は演出家だなと思わせるのは、ちょうど行きは背中だった富士山が、参拝の帰りの疲れたときに、視野に入ってそれに向かって歩くようになっている。
駿河湾と富士の構図でね。
疲れたときに感動させる、手法としては洗脳でも通じる演出方法なんだよね。
 
そんな駿河→静岡の話。
あと、駿河の国が、静岡になるのは、駿府を府中=不忠(天皇に従わない)となるから、みたいな話だが。府中って地名、他にもあるし、他藩に出れば「府の真中=県庁所在地だよ、みたいな呼び名」だから府中という呼び名では通じるわけない=使わないし。
駿河、駿府の「駿」が、足の速い馬という意味だから、騎馬民族嫌いの海賊の末裔、八幡の掲げる天皇体制には、よくなかったって理由からかな?と俺は思うわけである。
 
 
お、そうだ。
ここでは天皇すり替えをやった、徳川の中の謀反人どもというのだった。
 
あと、東照宮でわかる家康の寺をぶっ潰したやつらと、水戸藩の手先である慶喜、起源としては水戸黄門「大日本史」というアホ思想ね。
東照宮ってだけでわかる話、そこから推測できる静岡のあそこらへんから、創価学会も出てきたことの理由。
ここは神社勢力が何か?でやっとわかる話だけどね。
 
で、それ以上の話がないので、こうやって脱線させてもらったが。
あと言ってない俺の個人ネタは、家の隣が天理教系の施設ってだけかな?
 
 
では、まとめ。
 
神道は、キリスト教が、日本をのっとる為に、西国=百済の末裔やら、この徳川の中の南朝思想やらの手先を作り、焚き付けて掲げた、「占領と洗脳の看板」であり、「キリスト教そのもの」である。
 
彼らが、一から全てを作ったのではなく、大権現とか寺が神社になったように、いろんな地方にある昔からの祭壇やら、単なるその地区の集会所みたいなものまでもを、神社として作り変え、統治したのである。
 
だから、看板であるとだけ考えるべきである。
その勢力が、水戸学派と裏切りの徳川、仏教のとくに真言宗、神道勢力、毛利やら平田の周辺、あと鎌倉。とかとかなわけ。
 
 
それが、漢訳聖書までは、日本には神という創造神がなかったことから読み取れる歴史である。
 
 
 
最後に、こんな話を。
この天皇すり替え&国教すり替えの明治維新で、ある意味「主演」を演じていた徳川慶喜が、最後まで説得していたのが、会津のほうの仏教勢力である。
 
家康のお師匠さんである天海和尚は、会津の人ね。だからだろうね。
会津、福島県西部。日光は栃木だけど。
だから明治維新後の長州の天敵と言われるわけだけど。
 
311の起きた会津。
これからは、「もし」の話で、「たら」「れば」の話でもある。
 
会津の人達が、今の歴史、「天台宗の僧である天海の東照宮を神社である」、なんて滅茶苦茶なことを「許さなかったら・・・」と、考えてしまう。
それは、他のどこよりもわかりやすく「神道なんておかしいよ」って言える人達だからだ。
 
もし、そうなら、戦前の軍国化する右翼の暴走を阻止するのは無理でも、戦後の憲法改正の時、あの時などにもっと右翼思想を抑制できるようには出来たかもしれない、そう自分も考えてしまうからだ。
もし、できていたのなら・・・とね。

それは戦後に右翼がもっと弱くなったってことだから。
あの時、天皇制の撤廃か存続かという駆け引きのなかで、今の右翼、勝共連合などのCIAの土壌が生まれたわけで。(けしてドジョウ総理とかけたわけではない)
そのCIAの土壌から、GHQ情報参謀2部の化身、東京地検特捜部は生まれたわけで。
 
 
それがなければ、東京地検特捜部によっての福島県知事の交代→原発存続→プルサーマル開始がなかったわけで、今の被曝国家の日本とは別の結果になっていたからだ。
 
これは人工地震であることも、大きな意味では米従属支配のことも、天皇すり替えさえも関係なく、一切の陰謀論というものを廃したなかでの、単純な「たら」「れば」の結果で導かれる考察である。
 
歴史を修正していれば、今の状況はなかったんじゃないのか?と。
 
 
 
歴史は勝者の作る「捏造」である。
では、治すべき人は誰なのか?
 
きっと、偽者の神様は教えてくれないだろう。
 
 
 
 
 
 

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16th 2月 2012

日本の奥の院 その1【20120216】

 

 
 
 
 
それでは行ってみますか。
 
日本の国の轍。
天皇すり替えは、どんな派閥によってどう行われたか。
 
それは嘘が教えてくれる。
 
 
その下準備として、宗教という薄っぺらさの再認識が必要だったわけね。
中核となる国家神道などなどの「神」という最大公約数でさえ、単なるメイドインキリストという洗脳の暗号でしかないことを理解したとこで、行ってみましょう。
 
 
さて、では今の情勢の中、「富士山を世界遺産に」とか、「鎌倉を世界遺産に」などと言っている輩がいる。
 
「福島という本当の意味での世界の遺産、負の遺産を、世界中にばら撒いておいて何いってるんだ?」というのが、日本以外の人達がこれを聞いたときの感想になるだろう。
 
俺は「ばら撒かされたんだよ」と弁明したいところだが。
 
 
近年、世界遺産になった高野山、国宝になった久能山東照宮、そして、富士山と鎌倉。
実は、これらは全て「日本の奥の院」だよ。今回の説明ではっきりする。
 
ちなみに富士山を世界遺産にと言っている集団の代表は、あの中曽根でーす!!
 
 
 
天皇すり替えという今の馬鹿国家である日本。
 
その奥の院を構成している集団は基本的に4つ。
仏教を、神道という中身はありもしない看板にすり替えたということ、嘘が何であるか?詐欺師がやりたかったことで、逆にどんな奴らがどう動いたか?それが丸見えなわけ。
 
・薩長勢力
多々良=田布施である百済という南朝が骨格である
毛利氏=周防の海

・仏教勢力
真言宗 秀吉という時代も全然違う青巖寺(剃髪寺)をでっち上げたのが高野山(真言宗の本山)
天台宗 (寝返り組み)
もと、お寺。藤原氏の春日神社とかね。
 
・徳川慶喜及び水戸学派
日光東照宮、久能東照宮、(元は寺かぶりだが)
 
・鎌倉幕府という神話を中心とする征夷大将軍
それは、源氏=征夷大将軍という嘘。
(結論から言うと周防の海、長州とかぶるのだが)
 
 
 
 
彼らが、どうゆう思想のもとにつながり、捏造歴史がどう出来上がったか?を説明しよう。
 
伊勢や出雲みたいな物が出てこない?
あせるでない。
それがなぜ、神道の看板を掲げるようになったか?ちゃんとわかるようになるから。
ちゃんと繋がっている。
 
 
 
↑投稿忘れた。(20120318追記)

 
 

 
 
日本の奥の院、日本の裏歴史を少しかじっただけの素人さんがイメージする田布施あたりをイメージするだろう。
微妙に外れていないのだが、それが、なぜ、山口県を中心とする長州なのか?
 
 
ツイッター含めて、今までの過去記事でチョコチョコ言ってきたことと重なるが、それを説明しよう。
 
 
日本の聖書~聖書和訳の歴史~
海老澤有道
前回、紹介した本の冒頭ね。

—引用開始—
周知のようにキリスト教は1549年(天文十八)八月、イエスズ会創立者の1人、フランシスコ・ザヴィエルFrancisco Xavier,SJ(1506~1552)によって初めて日本に伝えられた。
そして1551年初夏のころ、周防(山口県)の大名大内義隆に謁見したとき、「立派に装幀した聖書と注釈書」を示し「この中にわれわれの聖なる教え全部が含まれている」と語ったという。
 
引用おしまい
 
 
まだ日本語でも漢訳でもないその聖書。
人身売買組織、イエスズ会のナンバー2、ザビエルの言葉を「新しい詐欺国家の作り方が全部書かれている」と直してもかまわない。
実際にそのとおりだから。
 
さて、ザビエルが謁見したこの大内氏、まあ周防の大名でもわかると思うが、毛利の主君、そして自称、百済王の末裔という大内義隆である。
 
よって、山口県の多々良学園とかの多々良(百済の日本語読み)=百済である。
それが田布施であり、西国である。
その後の1555年、この大内義隆を殺害した陶晴賢を、毛利元就がぬっころした厳島の戦により、周防の海=毛利支配となるわけである。
 
キリスト教伝来時のザビエルと大内氏。
明治維新のトーマス・グラバーと毛利。全く同じである。
一緒にやった「詐欺国家の作り方」というレシピの料理人と捕食者なわけさ。
 
 
国家神道はキリスト教の作ったものだというのを説明した。
そして、これからの長州とは何か?鎌倉幕府や征夷大将軍が何の意味があるのか?これらはその補完的な話である。
 
ではここで、以前少し説明した神社という看板の主勢力、八幡(やわた・やはた・はちまん)について説明しよう。
日本に颯爽と八幡神が現れた最初の場所は、大分県の海岸沿いの土地である。
ここらへんは歴史詐欺師、司馬遼太郎あたりも説明している。
 
全国八幡宮の総本社である宇佐神宮。
それは大分県北部、周防灘に面した場所である。
実際に地図を見てもらえばわかりやすいのだが、山口県と周防灘の対岸である。
 
そしてくり返しになるが、「八幡=ばはん」であり、八幡船=海賊船をあらわす。
これは辞書でも引いてもらえばすぐに出てくる。
ばはん=倭寇である。倭寇とは、瀬戸内海から北九州にかけて、この周防の海周辺の海賊であり、中国に遠征して略奪を行った奴らである。
倭寇、和という字がついてるが実際には中国人や朝鮮人が多かった。
 
幡というのは「旗」、船の帆を意味する。
出雲神話、因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)の因幡という国名も同じで、現在の鳥取県、いなば、因幡(因=のっかる)+幡(船の帆)という意味で、風の谷のナウシカ風に、「いい航海=風に乗ることの出来る国」ということになる。
 
 
周防の海=百済の海
海賊
 
神社勢力の中核である宇佐八幡とは、その百済王家の末裔とその手下に支配された、周防の海、その海岸を中心とした朝鮮海賊の支配するなかで、中央政府=仏教界の仏教ではない宗教儀礼の名残である。
 
もともと官幣社に物部氏の名前があるとおり、アンチ仏教が神社である。
仏教を輸入した大伴氏と対立し、仏教についても反対した物部氏。石上神道の石上氏も同じ祖先ね。
 
高句麗の僧、慧慈などと聖徳太子などが進めていく中央政府、仏教界に対して、百済の末裔が支配する海に朝鮮海賊というアウトロー集団がいたというのなら、アンチ仏教として独自の儀礼で海崇拝をするのも必然であり、それが、この地区、神社勢力のもともとの基盤だと考えられるのである。
それが、八幡=ばはん=倭寇の意味ね。
 
そうなると数は少ないが、高麗という苗字の人が神主をする=鎮魂ではない高麗神社の存在や、新羅につながる勢力が、神社勢力の中にあるのもうなずけるのである。
 
神社が海賊を中心とした海崇拝なら、その中での客家の閥のように出身地の違い、高麗系の人、新羅系の人で派閥ができていたと。
神社の狛犬も「こま」、高麗だし。
 
 
白村の江の戦い以降、高麗と百済が日本に亡命してきて、なじめなくて海賊になった。
ごく自然の行為である。
福岡、大分、愛媛、山口など、多々良浜などの名前の地域とも倭寇は完全に重なる。
 
 
その海賊行為の中で、中国や朝鮮に遠征すれば新羅系もあたりまえだが生まれてくる。
高麗=北朝系であり中央政府に顔が効いたので、海賊になる人間は少ないし、新羅はもともと亡命してくるという理由はないので、両者とも必然的に絶対数は少なく、どうしても百済が突出して多くなるわけだけど。中国系も同じ理由ね。
その中国に潰された百済、よって復讐もしたであろう海賊、その象徴が八幡だろうということ。
 
神道の中の新羅系のことも補足するなら、新羅三郎という呼び名の源義光のこともある。
この周防という百済の海の八幡勢力=源氏と考えてもらってかまわないんだけど、その中に新羅系もいるってこと。
明治以前にはありもしない「蕃神の新羅明神の前で元服したから」という、嘘で、この呼び名になったということになっている。
これは、第二次世界大戦後などではなく、明治維新後という早い段階に作られた捏造である。その時期から、この嘘が必要ということは、昔から神道の中の新羅勢力は存在していたということ。
 
 
源氏の事が出てきたので、次に進ませていただこう。
「源氏ではないと征夷大将軍になれない」という嘘が蔓延しているのは、ある程度の歴史を勉強してる人なら誰でも知っているだろう。
 
真っ赤な嘘である。
実際の制夷大将軍なんて役職はたいした役職ではなく(東、元は蝦夷討伐の役職)、豊臣秀吉は自らこの役職を断ったりしてる話も簡単に見つかる。
 
この嘘はこういう3段活用で出来ている。
「征夷大将軍=源氏だけ」
「源氏(清和源氏)の氏神が八幡である」
「幕府、日本の支配者を任命できるのは、神社勢力だけだ」
 
こういうことね、そう。源氏の氏神がこの八幡である。
藤原道長に仕えていた、源頼信(968-1048)によって八幡は源氏の氏神になった。
 
 
そもそも、「武士=この源氏の台頭の時代から」と勘違いしてる人も多い。
大昔から暴力だけが支配という統治の手法である。
平安時代の豪族などを、ただ蹴鞠をたしなみ、扇で顔を隠すようなナヨナヨした奴らではない。刃物ちらつかせて、年貢・税金を払え!!いつの時代も同じである。
むしろ、武士=源氏の時代からという話は、文化人ではなくなり暴力化したとも言えるわけね。
そして、その源氏の氏神が八幡=朝鮮海賊であるということ。
一部で言われている、「侍は朝鮮半島起源である」というホラ話も、ここら変の話を起源としている。
そういう話を聞くと、そこまで大きくして起源というのなら、大昔の中国の武将と侍で何が違うのだ?と疑問になるのだが。
ただ、八幡がバハン船、海賊船の旗そのものをさすこと、源氏がそれを氏神としてること、それが日本における朝鮮族の支配する海のものに起源があるのは、間違いないことである。
 
 
さらに言うなら、鎌倉幕府なんてものはない。
 
征夷大将軍さえでっち上げの蝦夷討伐のための役職なのだから、それを元にした捏造神話、幕府に疑問をもつのもあたりまえである。
さらに、今の世界情勢でさえ地政学で政治を読むという視点は通じる部分もあるのに、大昔の鎌倉の地理的条件を見ればわかるが、あんな街道もろくに通っていないところが「日本の支配者の作った幕府だ」と言われて、信じるほうが馬鹿だろう。
 
規模で鎌倉と段違いなのは言うまでもないが、京都は盆地という地理をいかし、天然の要塞であるし、江戸は知っての通り、街道整備と今の東京の道路の元となる放射線状の連絡網を発達させた。関所もね。
それと比べて地政学的に見て、情報が集約されていたか?って、されるわけないのである。
それで、「いざ鎌倉と言って有事のときは駆けつけるのだ」という神話がまたあるのだから、笑うしかない。
 
その情報が伝わった頃には終わってますよと。
いつの時代の話だと。
 
是非、鎌倉幕府をNHKの大河ドラマで作る際は、携帯電話を持たせるべきだと俺は思う。
大河ドラマはキリスト教の愛で日本の歴史を作ったり、架空の人物も登場させたり、ファンタジー全快なんだから、そこまでやってくれと。
今、鎌倉なんだけど、やばいから超ダッシュでよろしく。と。
 
 
では鎌倉幕府とは何か?、この源氏と毛利(大江氏)が勤めていた、単なる出張所である。
そこらへんの話の補足の部分を。
 
この後の時代、のちに大内氏の地盤、日本における百済の海、周防を支配する毛利という苗字の起源は、この鎌倉に出張していたころの話である。
元は大江姓、大江広元が、相模国の毛利荘(お隣の厚木市)から、この毛利という苗字になった。毛利の元服後に「元」がつくのは、この大江広元に由来している。
 
1192だか1176だか知らんが、鎌倉幕府が何か?だけでは見えないものも、簡単である。
制夷大将軍という左遷が、「神道(八幡)が日本の支配者を決めるのだ」という、16世紀以降のキリスト教伝来どころか、神道のためという19世紀の明治のころの都合の「後付け理論」であると意識できるのならね。
 
この大江氏のさらに起源は、あの、なぜかよくわからないけど学問の神様で「神社に」祀られている菅原道真と同祖先である。
 
それが、土師氏。百済系天皇の桓武天皇った790年に、縁戚関係にある土師諸上らに大枝の姓を与えたのが起源であり、菅原氏は、その土師一族の傍系である。
つまり、毛利ももとは渡来系氏族。
 
菅原道真は、百済=南朝の後醍醐天皇に直でつながっており、土師は渡来系の技術者集団の血縁である、それ以上の説明はまた今度。
 
 
この鎌倉も簡単。
 
この源氏の先生=この大江氏だよという主張で出来上がっている。
明治維新後のキリスト教徒の都合で出来たのが、神道であり、今の教育で習う歴史のすべても同じなのだ。
そう、毛利の都合で作られた後付けの理論に過ぎない。
「東国に源氏勢力の地盤を固めた」などと出てくる源義家(1039~1106)の兵法の先生が、この大江(のち毛利)である。
 
源義家は別名八幡太郎という、その兵法の先生が大江匡房(まさふさ)である。
 
 
 
 
 
                     続く。

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15th 2月 2012

漢訳聖書 神が輸入された時期その2【20120215】

 
 
 
 
 
 
 
おっと、まずは前回足りなかったことを、まず説明しよう。
 
厳密には、神道ではなく、国学というジャンルになるが。
神道と神という単語を語る上で、彼らのジャンルの歴史書、日本書紀やら古事記、風土記やらについて。
その説明は必要である。
 
 
前回の記事だけでは反論があるだろう、「天照大神」という単語が出てくるではないかと。
 
「創造神=神」で出てくるではないかと反論があるだろうが、簡単な話である。
 
天照大神というのは、ただの漢文であって、『「天照」の「大いなる」「神秘的な力」が地上に降臨して~~をしましたよ』という漢文に過ぎない。
 
こういう反論をしそうな神道馬鹿は、日本に仏教が伝来したとき、「蕃神」、「客神」、「仏神」などと当てて、なぞらえた呼び方をしたと主張する。
「外の国の神」という意味でね。
 
それなのに、天主に統一される前、神という一神教、カトリックの歴史で「神」という字が日本で当てられた事例はあるのか?、一切ないわけである。
 
インドの創造神を輸入した大昔からある国教である仏教、そこで創造神として神を当てた事例は?
これもない。
 
以前、説明したように、中国では、代名詞のようにこの「神」単語を使って、英語の「WHO」のように、名前のわからない誰かに当てて使う用法がある。
起源は一緒で、それに準じる漢文もしかりで、だから日本書記などの神、創造神として「天照」などのことをあらわす時は、神名を必ず記す。(実際は、神ではなく不思議な力だけどね。)
そりゃあたりまえである。単独で「神」だけを使ったら「WHO=名無しさん」のままになっちゃうからね。
 
だから、中国の宗教観の中や、日本の仏教界にも、創造神という神という言葉が、キリスト教が漢訳した以前に存在していたのなら、中国でも日本の神名のように、毘沙門天でなく、「毘沙門神」みたいな、「神という字と名前がセットなもの」という、その物ずばりの神様がいるはずである。
中国の書経とかにね。
 
 
一切ない。
日本の「神道」「国学」にあたる部分の分野を除いて、一切、神なんて創造主は出てこない。
 
神が違う意味の文字、「神秘的な力(カミナリ)」、もしくは「祭壇」とだけを意味したのではないかという事例はいくらでも出てくる。
中国では「神」という単語にはカミナリから転じて「たたり」、そして「精神」という意味もあり、そのものズバリが必要なわけ。
 
日本で言うなら、前回の神無月のように別の意味しかない。
氏神、自分の祖先を神(創造神)となってしまう宗教は、世界的に見ても奇妙であるわけで、キリストやマホメットなどの預言者でもなく神そのものに誰でもなれるのかよと。
死んだ爺さんはヘラクレスだったのじゃ!!
そうじゃなく、これも「神秘的な恩恵」としての神でしょ?
 
あと、キリスト教を「天主」教と名づける日本人が、単なる祈祷師を、神主(かんぬし・神功紀など)と呼ぶのか?と。「祭壇+主」だろと。
中国の春秋左氏伝に「神主」という表現はあるが。これも創造神ではなく神名もない。
 
それに天照なんて言ってるが、じゃあ何で神は、ゼウスの化身=雷の字なんだよと。
全部、神秘的な力などの読み方で意味が通るぞと。
 
 
先に結論から言うが、キリスト教が創造神=神としたのと、神道が出来上がった時期は完全に重なる。
そして、神道を作った奴はキリスト教徒である。では続けよう。
 
 
この漢訳聖書ができあがったころ、その一部が江戸にも入ってきた。
 
そうしたら、恐ろしいほどの偶然で、アジア圏でキリスト教徒が神という創造神の単語を使い始めたのと同時に、「日本を作った創造神=神」という国学思想、神道がうまれて、それが幕府を倒し、明治維新後に「国教」となったのである。
 
そして説明の最重要な部分に入ろう。
 
この神道を作り上げた国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)は、キリスト教徒である。
キリスト教を禁止されてた当時に、明らかに天主教(カトリック)に影響をうけた本を書いた人物であるから、キリスト教徒で間違いないのである。
 
その本の題名が、1808年の「本教外篇」、副題「本教自鞭策」である。
 
 
こいつのことを語る上で、国家神道の元となった国学について少し、話をしよう。
 
本居宣長ぐらいは知ってるかな?
こいつも聖書っぽいもの(当時の天主教の禁書ね)を読んでた奴ですよ。
 
国学とは、古事記・日本書紀・万葉集などの古典の、文献学的研究に基づいて、儒教や仏教が渡来する以前の日本の固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。であるらしい。
 
この国学の学者、荷田春満(1669~1736)、賀茂真淵(1697~1769)、本居宣長(1730~1801)、そして平田篤胤という、おわゆる「国学の四大人」と呼ばれる人間により、国家神道が出来上がった。
 
平田篤胤(1776~1843)(明治維新が1867年)
四大人、4人の学者。こいつ、平田が一番後期の人。
この人物が、会ったこともない本居宣長の弟子と自称し、「彼らはこう言っていた」という文字通りの吹聴する行為で、尊皇攘夷の神道思想を作り上げ、それが国家神道の元となった。
 
その中で、「創造神=神」が、使われるようになったわけである。
「本居宣長も、その神は・・・である、と言ってたよ」とかね。
 
 
仏教伝来する以前が本来の日本というのが国学でもわかるとおり、こいつが神代という時代、神武天皇以前の神々の時代=日本固有の文化があると言い放ったわけ。
「蕃神」とかは、そのときを正当化する嘘。
 
平田が、嘘を吹聴ばかりする行為だったのは証明されている。
その神武天皇以前の時代に神代文字、漢字が伝わる以前から日本固有の文字があったと主張して、それがハングルを元にした自作自演の文字だったという、捏造がばれちゃった人物だからね。【20101126】
ハングル、神道右翼は出来上がる前から、在日右翼ですよと。
 
 
この平田が、国家神道の基本、日本固有→神道に繋がる、国学を作った(想像しちゃった)奴である。
 
で、この平田、キリスト教徒であるわけ。
1808年のカトリック系の天主教(キリスト教)の本教外篇。
で、日本に漢訳聖書がこっそり輸入されてくるのが、1820年代、こいつが国学を作るためにやってた時期。
 
キリスト教徒ってだけでなく、平田は、このように国学を作った張本人、神道関係のストーリーの創作、その出版もするわけですが、その神道関係の本を出すのは、すべて「本教外篇の後」だよ。
つまり、キリスト教の本を書いたのが最初。
で、なぜか国学、神道の本を出版するようになったわけ。
 
それが神道の始まり、歴史上表に出てきた最初の時期とも言える話。
さらに、それは「キリスト教が創造神=神を使うようになったタイミングと完全に一致している」わけ。
 
で、その出来上がった神道も、その後の明治維新で国家神道でわかるとおり、キリスト教の教義、日本の創造主である神武天皇、天照大神、明治天皇で三位一体をなすという全く同じ形態で作られてるから、笑うしかないよね。
 
本教=キリスト教=大本教=神道。
ほら出口王仁三郎の大本が神道はキリスト教に至る道スジであると言った意味もわかるでしょ? 
 
 
神道とはキリスト教徒が、日本人を騙すために作った捏造神話である。
 
多くのキリスト教徒が、聖書のGODに神という字を当てたのは我々だと、開き直ってるし、所詮、彼らの手下に過ぎない神道の奴らも、一部はそれを認めてるんだから、バレバレでる。
で、どこまでいっても国家神道=神道だし。
神道=「日本の創造主=神」で、天皇とそこを重ね合わせるための思想である以上、創造主という単語がキリスト教から来たというのなら、整合性が取れるわけないのである。
上位であるキリスト教徒が「日本の神道の神から聖書の訳に持ってきた」とでも言ってくれないかぎりね。
 
でも残念、日本とは関係ない中国、清で漢訳した聖書がもとですからね。
当時、ドマイナーな神道があったとしても(ないけど)、それを海の向こうで知るわけないだろ?ってこと。
 
 
 
 
さて、俺のような大学教授などの公的な肩書きを持たない、単なる個人の話でしかないものを、信じる信じないは、個人の自由でかまわない。
 
 
でもね、日本の国家神道の元、こいつら国学者も、当時の政府機関に一切関係ない「単なる民間人」の思想なんですけど。
 
そっちの都合のいい物だけ信じるなよ、と。
 
国学とは名前ばかり大きくて、単なる個人である。
今のように、ネットどころか、図書館、それ以前に出版をまとめた学会もなければ、教育制度もないんですけど。
そんな中で政府とは関係ない民間人の個人の想像をもとに、日本古来の文化として国家神道という物が生まれるわけ。
 
摩訶不思議で奇天烈なお話だと思わないかい?
しかも前科一犯の捏造をやった人物の思想をもとにね。そっちは信じると?
 
で、その国家神道の主格であるはずの天皇の正式な行事、伝統を守ってきたところは、廃仏毀釈で、ことごとく潰され、あるいは真言宗などに改宗されるわけ。
当時仏教徒だった天皇の仏事を、江戸時代までやっていた天台宗系の黒戸の四箇院、天皇の菩提寺、泉涌寺とかの話ね。
それをやったのが、その天皇を神と崇める神道という宗教なんだから、奇天烈どころか、どんなふざけたアメリカンジョークの設定よりも「ありえない」と断定できるよ。
 
その「ありえないことが実際に行われた」、その理由こそが、「神道はキリスト教だった」という至極簡単な理由。ただそれだけ。
 
日本の右翼、神社本庁と統一教会(新教徒=プロテスタント)今の現実とも完全にリンクしてる話でもある。
 
日本史の教授やら、日本思想体系だかなんだか偉そうなことを研究してる人らは、こんな民間人の疑問に答えられるのかな?
 
 
 
だから神道なんて宗教はないよ。
神道の全てはでっちあげの看板である。
 
鎌倉幕府の鶴岡天満宮?
明治になってすぐ、コソコソと仏塔を壊して隠蔽するようなとこが神社?笑わせるなよ。
看板を作り変えただけ。
吉田神道?家康を埋葬した形式が、卜部神道(吉田神道)だというのなら、天台宗の僧、日光東照宮の天海も神道家なんだね?で、その仏教や中国で神の文字がつく創造神は?
吉田兼倶より以前、吉田神道は昔からあったけど、その吉田氏にあたる徒然草の作者、吉田兼好は出家=仏門に入った人間です?やめて、腹がねじれる!!藤原氏が春日神社?仏教とともに歩んできた藤原氏がなんで神社なの?おいおい?
 
 
 
ぜーんぶ、詐欺師の看板である。
 
 
 
さ~、そこらへんの話に進もうか。
 
伊勢や出雲、宇佐などの海崇拝の社が、神道という看板をつけた流れのこと、天台宗系がこの神道の軍門に下ったこと、その見返り。東照宮などの徳川と神道。富士崇拝、浅間神社。富士派と創価学会。
 
ちゃんと種類分けして説明してあげよう。
まかしとけ!!
 
ちなみに、フルベッキの写真で有名な、あのフルベッキも聖書の翻訳をしている人物でもあります。
辞書を引けばわかるけど、「神道」という単語は、「墓場へ行く道」という意味があります。
 
 
 
 

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14th 2月 2012

漢訳聖書 神が輸入された時期その1【20120214】

 
 
 
 
神道というキリスト教について言及する前に、まず、漢訳聖書の話から。
「神」が日本に輸入されたという話を調べてきたので、その投稿をはさむ。
 
うむ、じらしのテクニックである。
 
 
キリスト教のGODを、神と訳し始めた明確な時期はいつかの話。
つまり、創造神としての神が生まれたのは「ごく最近のこと」ということを調べてきた。
やっぱり間違いはなかった。
 
キリスト教の伝来した当初から、江戸後期まで、キリスト教の創造神を「神」と訳した文献などは一切存在しない。
ヒンズーやインドラの創造神を輸入した日本の仏教会、同じく中国、及び漢文の世界にも、創造神という意味で神が出てくることはない。
「ある特定の分野のなかだけで、神というのがあった」と主張されているだけである。
 
 
ここらへんの話は、岩波新書「長崎版どちりなきりしたん」の著者、海老沢有道の本が参考になる。
 
日本の聖書~聖書和訳の歴史~
海老沢有道
isbn4-06-158906-7


 
 
本に書かれている海老沢有道の経歴を軽く紹介。
1910年兵庫県生まれ 聖心女子大学、立教大学を経て、国際基督教大学大学教授を定年退職・・・。
 
聖心女子大学=皇室系カトリック学校、聖公会系の立教大学、で同じくブリッジチャーチのポジションであるJロックフェラーでおなじみ、ユニテリアンちっくな国際基督教大学ですか。
 
キリスト教という世界支配のための一番どでかいツールの手先、その、これ以上ないほどの経歴を持つ馬鹿大学の教授が、「神はキリスト教のものだ」という主張、その具体的な経緯、「日本の聖書がどう出来上がったか?」を紹介した本である。
 
その中で、「神という言葉がいつ頃から使われはじめた」と記してあるわけね。
  
キリスト教によって出来あがった捏造神話の「神道」の都合を無視してね。
かわいそうに。
 
 
 
今でさえ、「神」という単語で、真っ先にキリスト教を連想するが、キリスト教は江戸後期まで日本と中国の両方で「天主教」と呼ばれていて、神なんて物は「一切」出てこない。
 
16世紀、キリスト教の伝来とともに、火薬の代金として、キリスト教徒が日本人の女性を性奴隷としてせっせと輸出してた頃。
その当時、ちゃんとした聖書というものはない。
ヤジロウ訳と言われる私的ノートのような注釈文のようなもの、それ以外では宣教師、つまり外国人による簡単な訳でしかない。
そして、その中で参考になる一番の物は、当時のキリスト教の教理を伝える際のまとめ、教義書のような物、ドチリナ・キリシタンである。
 
ぜ~んぶ、神なんて創造神は出てこない。
これらが、今でいう「神」の部分をどう訳したか具体的に箇条書きしよう。
 
御主ぜす、きりしと(おんあるじゼズ)(※ドチリナ・キリシタン)
デウス(Deus:ラテン語=ヘブライ語のエロヒム)
(※宣教師や初期の布教では、そのまま単語は原語のままデウスとして使った)、
他には、天帝、天尊、天道などがあり、「天主」←これが江戸時代ごろまでの主軸。
1801年山村昌長「西洋雑記」、これは、そのまま「創造主」。
あと、ヤジロウは真言宗的な「大日」という言葉を使ったともいわれている。
 
 
ヤジロウ、日本人ではない宣教師、どれもまともな訳と言える段階ではない。
そして、これはその後キリシタン狩り、宣教禁止が行われたことで、江戸時代の鎖国後の19世紀になるまで、今のような日本語に訳された聖書というものは「基本的には存在しない」という状況が続くわけ。
 
そういう、ちゃんとした聖書なんてものはない状況だが、逆に、統一されずに、秘密裏に広がった分、レパートリーは多い。
しかし、ドチリナ・キリシタン、宣教師の資料、キリスト者による出版履歴、それ以外の多くの文献、幕府のキリシタン弾圧の中の禁書の項目など、このまとまりのない多数の物。
その中に、創造主を「神」とあてた例は、調べた限り一切、出てこない。
愛という単語と同じくね。
 
 
 
では、聖書の創造主が神として最初に出てくるのは、いつなのか?
海老沢有道の記す、聖書の歴史から紐解こう。
それは先述の通り、漢訳聖書からである。
 
基準として考えるべきなのは、1823年のマラッカで出版された神天聖書である。
厳密にはこれが最初ではなく、そのもとなったのは1813年、広東で出版された「新遺詔書」であり、出版物として「創造主=神」となったのは、これが最初である。
 
この漢訳聖書の作成のきっかけになったのが、パリ外国宣教会のパゼJean Bassettという人物の迫害下の中で記されたヘブル書第一章までの写本、「四史修編しししゅうへん」(18世紀1700年代の初頭)、これが「神」と訳された最初である。
これは、出版物ではないし、日本に輸入されることは絶対になかったため、いつ「創造神=神」が日本に入ってきたか?を考える際では除外していいだろう。
 
説明しておかなければならないのは、そもそも「神」と訳したのは、新教徒プロテスタントであり、江戸の頃にはカトリックでは天主と統一されていた。
そして、東アジア方面でプロテスタントの宣教は18世紀当時では、まだ始まっていない。よって神という単語での布教もない。そんな状況下で、新約を一部分だけ訳した人がいたという程度の偶然の産物的な話である。

そういうわけで、ここで重要になる聖書、「神=創造主」の始まった時代の基準となる「新遺詔書」「神天聖書」も、もちろん新約聖書である。
つまり、1813年以降である。

この聖書の漢訳を命令したのは、英国の1804年に出来たイギリス聖書教会である。
 
清に宣教すべきという意志をもっていた、当時若干22歳の牧師ロバート・モリソンという人物が、大英図書館で、偶然の産物「四史修編」を発見し、聖書教会の命令を受け、スコットランド長老議会で洗礼を受け、アメリカ→東インド会社の通訳という経歴を経た後、出来上がったのが、アジア圏での最初の聖書、「新遺詔書」と「神天聖書」である。
 
モリソンは、当時の日本の知識人が漢文も読めることに注目し、日本でも活用できるだろうという意思も持ちながら、これらの漢訳聖書を製作した。
そして、日本に最初に神が輸入されたのは、1813年の「新遺詔書」である。
 
海老沢有道は、この本の中で、1818年の英国商船長ゴードンが2部の新約聖書を浦賀で、1832年に琉球などで聖書が配られたことなどを紹介している。
 
 
 
さて、日本の聖書~聖書和訳の歴史~に記載されていることについては、これぐらいでいいだろう。
大事なことはここではない。

「とある分野の人達」を除いて、この漢訳聖書が出来るまでに「創造神=神というものが日本にいた」という記述、歴史書は、どこにもないということ。
 
歴史上、創造神=神なんてあてたものは、「あるジャンルを除外する」と、インドの創造神を輸入した仏教でも、漢文つながりで同じく中国でもないわけね。
 
さて、どこからともなく「創造神=神」が日本にいたと主張し、それが、恐ろしいほどの偶然で、キリスト教徒と同じ「神という単語」で物事を言い始めた時期と重なるという、不思議な「あるジャンルの人達」について説明しよう。
 
 
それが「神道」である。
                        では続く。
 
 
 
 
 

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13th 2月 2012

神という字を書いてみよう その2【20120213】

 
 
 
 
前回の記事で、神という字に疑問をもっていただいたところで、よく考えて欲しい。
 
明治以前にできたもので「神」という文字がちゃんと「世界の全てを作った創造神」の意味で使われたものがあるのか?
 
むしろ、そんな文字は別にある。
そして、それは日本人なら誰でも知っている。

その漢字こそが「天」である。
漢字として「人」、もしくは「大」という人間を表すもの、で、その世界の全てをおおう=支配して、その上にいるという意味で線を追加し、世界全体を指す。
それが「天」という象形文字、そういう絵なの。
人の上、空にいて全てを支配しますよ「お天道さまが見てますよ」ってあれね。
スケールが全然違う。

ここらは中国でも共通の話。
古くからの毘沙門天とかのあれ、「天」という文字自体が神様なんだよ。
天そのものがね。
 
日本の仏教が大乗仏教、生まれ変わりの思想になったのは、インド宗教バラモンからであり、ヒンズー教のもととなった宗教からの影響である。
バラモンの神やヒンズーのシヴァ神のような創造神、それらが輸入されたはずなのに、「神」という字はが当てられた名詞は存在するのか?していないのである。
シヴァ=「大自在天」、インドラ神の「帝釈天」、全部「天」なのである。
 
 
そういうわけで、「おかしいでしょ?」と言っているわけ。
そして、もちろん昔の中国でも「創造神として神」という意味でこの文字、「神」が使われることはない。
 
神という文字の本来の意味を説明する前に、中国の神という字のことを簡単に説明しよう。
中国でも昔から神仙(仙人)という文字もあるが、これは本来の意味に繋がるので、のちほど。
 
で、神が創造神ではないというのを理解するのに、面白い事例がある。
中国では「神」という文字を使って、名前がわからない人間をたずねるとき「これは誰?」という意味で、この「神」を当てます。
英語でいう「WHO」みたいな使い方なわけね。
 
顔がわかって名前がわからないようなときに、当てる漢字だそうだ。
創造神の意味があるなら、こんな使い方は絶対にしないわけで。
乱暴な使い方だと、「廊下にコーヒーこぼした神はどいつだ?」とかになるわけね。
 
 
では、神という文字の本来の意味を知る段階へ進む。
 
さてその前に、疑問が確信に変わりつつあるところで、決定的な話をしようと思う。
その神という、本来の使い方をあらわす言葉こそが「神無月」である。
 
そもそも「神無月」とは凄い月の呼び名である。
 
ユダヤ教のエッセネ派、キリスト教原理主義の黙示録、インド密教あたりの終末論。
これら世界中のどんな宗教の終末論とも比較しても、1年に一ヶ月も「神様がいなくなる」なんて、こんなふざけた話は、どこにも存在しない。
いなくなりすぎだろ、と。
日本だけである。
 
1年に1月もいなくなるのなら、「神を崇拝しろ」というのも馬鹿馬鹿しくなるし、終末=危機感をあおるという宗教の本質の部分においてでも欠陥になるからである。
 
 
神無月とは、 旧暦一○月の異称である。
「出雲に八百万の神様が集まるから、神無月」という、馬鹿げた話もあるが、一ヶ月も放置してくれる神様を崇めたくなるかぐらいは、考えたほうがいいだろう。
だから出雲では神有月である、こんな嘘が半分通ってしまっている。
 
それに旧暦10月、それは現在の11月であり、秋の収穫祭とは少しずれるが、冬ごもり前の「祭りなどのお祈りのシーズン」でもある。
そんなときに神様がいないなんて、ふざけたことがあるのかと、つまり、こんな呼び名がありえるのかと。
 
ならば、「なぜ神無月という呼び名があるのか?」それが答えでもある。
 
ね、神は創造神をさすのではない。
ちゃんと説明しよう。
では、まず神無月というものが何であるのかと。
 
神無月、これは出雲なんて馬鹿は関係なく、「神鳴」がないシーズン、よって神無月なんだよと。これが、神という言葉の本当の意味を、ちゃんと説明してくれている。
 
神鳴=カミナリ=雷だよ。
それがない穏やかな月という意味での神無月。
 
 
あなたは、もう神というものが見えるはずである。
 
神という文字は「示」祭壇に、「申」カミナリが落ちるという文字である。
カミナリそのものをさす字ともいえる。
 
そして、そこから生まれた神という漢字の別の意味、それさえも「神秘的なことが起きる」という形容詞に過ぎない。アーリアと同じくね。
お祈りをしたら、カミナリが落ちたってね。そこから転じて「神秘的」になったと。
 
中国での神仙、日本での神楽、すべてこのお祈り、祭壇そのものをあらわすか、もしくは「神秘的なもの」を指す言葉に過ぎない。「どんど」=道祖神とかもね。
 
だから、スピリチュアル的にいうのなら「目に見えないもの」的な意味が、本来の神という漢字のもつ意味であり、用法である。
よって、そこから転じて、「雷=イカヅチ=こっちはもともと光 (視覚のほうの漢字)」&「 神鳴=カミナリ=神秘的な音」という、カミナリになったわけ。
目に見えない何かの力で、音がなったり、木が割れたりとかね。
 
で、中国では「誰かわからない人」に、「目に見えないもの」的な用法で、神の字をあてて使う用法が残っているわけ。
で、それ以外の「神秘的という形容詞」、読んで字のごとく、神仙=神秘的な仙人という意味もあるわけね。 
 
 
創造神=神様ではなく、神とはもともと、目に見えない不思議な力、そこから転じたカミナリという神秘の力だけをさす言葉である。
 
本来の意味ではないそれを、聖書を訳す際に、白人の神ゼウスを崇めるキリスト教徒が嬉々として喜んで「創造した」、それが、今の世の中、日本にある「神」なんだと。
外来の「創造神」を崇めろとしたかったために、もとからあった「天」とかの言葉ではなく、創造した、でっち上げた物なんだよ。
本格的に、神=創造神が確立したのは、明治以降で間違いはない。
キリスト教の輸入時、鉄砲伝来の16世紀に「神」が使われたかは、ドチリナキリスタン(岩波文庫)あたりで、調べてみるけどね。
 
さて「祭壇」や「神秘的なもの」、それと明治以降に作られた、世界の全てを作ったという創造神「神様としての神」、それは全然違う。
 
 
ほら、「神道」とかの意味も、もう一度考えてみて欲しい。
「天皇と創造神を重ね合わせる」という行為のための、詐欺師の看板である。
 
 
その看板の一番大事なところであるはずの、「神様」はいないのである。
 
そう、これは国家神道というものがキリスト教を作り直した物でしかない証明でもあり、巷にある創造神の意味になる神は、全部でっちあげである。
 
 
うすっぺらいという意味がわかったかな?
 
神なんていない。
神を殺す。これはグノーシス的な帰結である。
創造神を否定することで、自分自身だけが正しいと導かれてしまいそうな話になるが、それは違う。
殺す以前に、その存在を表す記号からして、まがい物なんだからね。
そんな物は必要ないというだけ。
そして自分の力を過信してるようなこともないよ。皆もよろしく。
ただ、グノーシス以前に、正しいことは何かという規範という物、それは結局、自分自身だけで決めるべき物だとは思うけどね。
 
 
 
 

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12th 2月 2012

神という字を書いてみよう その1【20120212】

 
 
 
 
宗教という詐欺師の看板の仕組みを理解するためには、その看板が薄っぺらいものだと、もっとちゃんと認識する必要がある。
 
そのために先に、この記事から読んで下され。
神道とは何か?そして、そのことの理解が、「どんな派閥が天皇すり替えという今の詐欺社会を作ったか?」に繋がっていくよという、その具体的な話をする前にね。
 
 
「神なんて物はいない。」
 
 
神という字が、普通の神様の意味、創造神として使うようになったのは「明治以降」である。
まあ、自分も最初、聞いたときは信じられなかったけどね。
 
「愛という言葉」ができたのと同じく、キリスト教を中国語の聖書へと訳す際に、出来上がった言葉である。当てた字である。
それが、神という言葉なんだよ。
 
 
そう神様なんて、薄っぺらな詐欺のために出来上がった言葉である。
最初は信じられなかった自分が、そう確信を持った理由を箇条書きにして説明しよう。
 
・神という漢字
・神という字を日本の漢字の先生中国ではどう扱っていたか?
・昔、神という字を使った創造神を否定する決定的な単語
 
 
さて、では、まず神という字を、広告の裏にでも書いてみてほしい。
漢字、これは象形文字である。
つまり、漢字は絵のようになっていて、字体がどうなってるかが、その字そのものの意味へと繋がっているのである。
 
神というのは『示申』と書く。旧書体で「しめすへん+申」
この「しめすへん」というのは、祭壇を絵にした文字であるわけ。
もっと明確に説明しよう。
神社の儀式だけでなく、鏡餅やら、お月見の団子を置くとかで使われる、あの木で出来た台だよ。そう、白木でできた白いヒラヒラがついたアレ。
「〒」これが木で出来たやつで、その横の転々が白いヒラヒラね。
 
そして決定的なのは右側、「申」である。これはカミナリを意味する。
田んぼに落ちるカミナリね。
つまり、神という文字は、「祭壇と雷が落ちる図」という絵を、簡易化した象形文字である。
 
 
ユダヤ教やキリスト教で、YHWH、それとかエホバ(間違ってるけど)、イスラム教ではアラー(al+rar・冠詞とあのラーね)。
エジプトではラー(太陽)であり、一神教的な言い方であっても、アトン(aton)とかアモン(amon)とかである。
これは「あ」から「ん」まで、最初の文字から最後の文字という意味である。
創造神である神をあらわす際に、最初から最後の文字の全てで表すという敬意的な表現になる。
これは、阿吽(あうん)として、仁王像などのように日本、中国にも伝わってきた。
 
神様という物に対しての呼び名は難しい。
世界を作ったという偉業の象徴の為に、彼らの呼び名、文字は、どの宗教でも威厳のある表現方法が必要なわけだからね。
だから神聖4文字YHWHとか、みだりに神の名を呼んではならないとか。
 
 
で、だ。
チョイマテ。日本の神ってどういうことだと。
世界を作った創造神である「神」よりも先に、木で出来た祭壇の箱があるわけで、神様より「木工師」のほうが先に誕生していたのか?と。
 
それに、そもそも世界中にある最も起源的な宗教、その全ては「太陽崇拝」である。
「白人ではないんだから」、カミナリなんてものを創造神として崇めるなんて事自体が、そもそもおかしい。
有色人種である日本人はもちろん太陽崇拝のはずで、アマテラス(天照)という神道もそのはずだよね。
 
 
 
つまり、これキリスト教改という白人の神、ゼウスだろ!と。
 
ここだけでも聖書からきたと聞いて納得してしまうが、ちゃんと最後に納得してくれ。
では、長くなったので、次回に分けよう。
そもそも日本では、八百万の「神」という表現があることでごまかされているが、道祖神やら氏神、氏(うじ)という祖先が「神になる」というのもおかしいし、創造神としての意味で「神」という文字を使うのなら、おかしすぎる表現が多数ありすぎる。
 
その決定的な物を紹介したいと思う。
 
神という字は、あの、今も使われてるような形の祭壇であることでもわかるとおり、中国でも大昔からある字ではなく、後から作られた類の文字だろう。
 
というわけで、箇条書きの次の項目「中国の用法」などなどに続く。
 
 
 
 
 

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11th 2月 2012

神道について知る前に【20120211】

 
 
 
神道という宗教について
 
以前の記事【20120106】で、アニメの説明の中で、「神道=外国資本の手先」などということを説明した。
 
これは、一番大事な部分の説明をしないで、先行して説明してしまった部分がある。
そして、コメントで神道、神社勢力のことを聞かれた。
 
このことは、本当は、本を出す上で中核となる最重要な話なわけである。
だから出し惜しみしていたわけだ。
で、説明不足のままその延長線上のことを語ってしまったわけだ。
本の原稿も進んでいないし、出し惜しみもよくないので、リクエストついでに説明してしまおう。
 
これは、今まで誰も到達していなかった前人未到の領域の話になる。
(よく考えると、だいぶ前から、その領域の話ばかりだけど、創価学会の上の階層の話とか、高野山や鎌倉幕府は存在しないとか)
 
 
今回は、その中でも最高峰の頂である。前人未到、強風のさらす目のくらむ断崖絶壁である。心して読んで欲しい。
 
ん?大げさかな?
でもね、ここ数日にわたって説明する記事を読めばわかるが、そのとき、貴方は文字通り「神を殺す」のだ。
その結果、何をどう考えるかは貴方次第ですが・・・。悪いようにはしないよ。
 
 
では、説明をしよう。
 
はたして、本にしようとしたネタを書いてしまって大丈夫なのか?超ご期待!!
って、大事なとこはそこではない。
 
コメントで、神道と日本に巣食う朝鮮族の関係を質問してくれた読者がいる。
今回の説明で、その中身がすっきりするだろうが、その説明に入る前に、彼の誤解を解いておかなければならない。
 
彼は、「神道という明確な宗教が存在する」と誤解している。
この誤解は、読者の中でもしている人は多いだろう。
 
 
神道というものは何か?
それを説明する上で、ちゃんと宗教というそのものの本質から説明しておこう。
なんだかんだで、これが一番の近道である。
 
宗教とは「仮面」である。
魔法の仮面だ。
この仮面をかぶって悪いことをしても、悪いことにならない。
それが宗教の本質である。
それは、わけわからん高級羽毛布団はのせられて買わされると詐欺になるが、わけわからん高い戒名の代金を坊主に払わされても詐欺にならないという簡単な事例でも、わかることである。
 
これが、個人に対しての宗教の本質、仮面である。
 
「キリスト教」、「仏教」、そして質問できた「神道」、個人に対しての仮面なら、社会における宗教単位で考えた場合、これらの本質は、何になるか?
自分は「看板」、もしくは「のれん」であると説明する。
 
宗教というのは、この看板、暖簾をくぐった瞬間に、その善悪がわからなくなる仮面を強制的にかぶらされるのだ。
先ほどの戒名という葬式、そして結婚式の教会、暖簾(のれん)をくぐると強制されて逃げられないという意味はおわかりいただけるであろう。
悪いことをする共犯者にしてしまう仮面、それが宗教にとって唯一の商品である。
 
それが宗教であり本質である。
よって、キリスト教、仏教、神道、それらの宗教という個別の商品は存在しない。
正確に言えば、宗教なんて売り物はない。
やっていることは同じという詐欺師が、別々の看板を下げて多々存在するというだけなのだ。
 
だから「神道とはなんですか?」というコメントで頂いた質問は、「神道という宗教はなんですか?」という質問になってはならない。
神道という商品はないのだ。それを探してるのでは一生見えてはこない。
 
『神道という「看板」を掲げてるこれらのお店は何ですか?』
 
 
こういう意味の質問なら、自分は日本で一番明確に答えられるだろう。
「その神道、その看板は、こうして作られたんだよ。」と。
 
では、その答えは次回に。
 
 
 
 
 
その前に、宗教という商売の「看板」は、簡単に塗りなおされるという話を。
 
実は、これは以前に説明したことそのまんまである。
では、「宗教という看板を掲げた詐欺師のお店」と説明するのが一番わかりやすいのを、過去の説明から。
 
 
過去に説明したとおり、「スピリチュアルはキリスト教から生まれた(塗りなおした看板)」わけである。
 
弁神論(世界中のものを神様が作ったのなら、悪も作ったのはなんで?)という、神(創造神)にも答えられない質問から逃げるために、スピリチュアルは生まれたわけです。
「神という単語を隠す」というために、そして神という具体的なものではなく「目に見えない何かを信じる」という、とんでもなく都合のいいものを作り上げるためにね。
あと、聖書原理主義のような「個人の解釈で暴走する行為から逃げる」ために、「キリスト教・改」で、スピリチュアルは出来上がったんだと。
 
だから、神智学協会がもとの出所であり、間違いなくブラバッキー夫人、エドガー・ケイシー、スウェデンボルグ、それらは全て、キリスト教がもとであると。
 
 
看板、「塗りなおした」の意味がわかるよね?

スピリチュアルという商品についての説明、「目に見えないもの」「アストラルパワー」やら、「パワースポット」やらを考えていては、看板として重要な部分「キリスト教と同じ物」という部分は、見えてこない。
 
キリスト教とは、大昔からのできそこないの宗教なわけで、それを何とかしようとした考え方、「神学とかで神の存在自体が邪魔だった」、「聖書原理主義のような凶暴解釈から回避する必要性があった」、「観測できない目に見えないもの=正しいという洗脳だけのほうが便利」などの、仮面を売る上での理由「だけ」が、そこにあるわけ。
 
つまり、その部分、「なぜ看板が塗り替えられたのか?」、この部分のほうが大事なわけ。というか、それ以外は必要ない。
 
神道似ついての質問と同じ事で、「スピリチュアルという看板は何ですか?」という質問なら、「このような理由でできました」、そう簡単に伝えることが出来ます。
 
しかし、ありもしない商品の中身、「アストラルパワーってなんですか?」
と聞かれても、困るわけです。
スピリチュアルの人達が信じてる目に見えない力らしいです。前存在物質とかなんとか。
セフィロトの木の構成要素からもきてるんだが、スピリチュアルは東方ミトラの一番の影響を受けているのでアフラ・マズダがアーリマンの戦いに敗れたことで生まれた光の粒子あたりが、その元ネタになる・・・
って、永遠に目に見えることはないんだから、わかるわけない、そんなのを考える必要さえないだろ!と。
 
どうでもいいでしょ?
あるかどうかも永遠にわからない物質、「それらを逆手にとって価値観を形成する」という「塗り替えられた理由」のほうが重要なわけですから。
 
 
つまり、宗教を批判し、ちゃんと歴史を理解する上で大事なのは、「伝統を守る和菓子屋」なんぞよりも簡単に、宗教というものは看板がすけかえられるということ。
 
この場合、キリスト教がスピリチュアルに変わったようにね。
天台宗という日本の国教が、国家神道に変わったようにね。
実は日本の和菓子業界とかは、これから理解する神道詐欺とかとリンクしている。本家偽赤福や阿闍梨餅とかでわかるように。
でも、それ以上に、宗教自体の看板が、いとも簡単に塗り替えられるのだ。
 
 
宗教という、商品ではなく、「その看板はいかにして作られたのか?」という部分が、明確な状況を表す理由で、理解の鍵である。
 
では、次回、神道について。
 
 
 
 

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10th 2月 2012

ド・けちん坊将軍【20120210】

 
 
 
暴れん坊将軍!!!!
 
 
まあ、実際のことを言うと、「ケチな詐欺師の親玉」みたいな将軍(?)なんだけどね。
豪快でカッコイイなんてもんじゃない。
 
質素倹約という享保の改革を行った、八代将軍である徳川吉宗。
こんなものを架空の歴史で盛り上げてるのも、まあ、水戸黄門という尊王(南朝天皇)の印籠と同じく洗脳である。
 
紀州藩主。
あの伊勢があるとこ=紀州だよ。
幼少で将軍職になった家継という徳川本家の後継ぎが死んで、特異な形で御三家から選ばれたという経緯の特殊な将軍だけど。(俺個人としては、徳川家のTOPってだけで、将軍という呼び名さえなかったように感じるのだが)
 
で、こんな言葉がある。
 
「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」
 
 
江戸に増えた悪事をうれう言葉である。
 
伊勢屋=伊勢商人(ケチな詐欺師)
稲荷=ねずみ講
犬の糞=そのまんま
 
(5代将軍の綱吉、犬公方様以降だね、動物保護の精神が生まれて江戸に犬が増えたというのは。当時の江戸の人がつい最近までの中国のように野良猫・野良犬を食べなくなった、って意味になるから。)
 
辞書によるとこうなる(広辞苑)
※伊勢屋
江戸時代、倹約を旨とする商人の異名。伊勢出身の商人がよく節倹身を持して、宵越しの金を持たないことを誇りとした江戸人の間に伍して着々商権を拡張し、「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるまでの繁栄を来したからいう。
 
 
↑辞書ではこう書いてあるが、「伊勢屋=繁盛した」というが、犬の糞と並べて「繁盛した」という表現をする馬鹿はいないだろう。
それは、カレーのおいしさを・・・マテ。
 
まあ、それでも「伊勢屋=ケチ」なのは間違いないでしょ?
で、伊勢=伊勢参りという宗教=詐欺師で、構図は簡単に理解できるわけ。
で、ケチつながりで紀州の吉宗なわけ。
もちろん、伊勢神道=天皇すり替えでも繋がっているわけ。
デフレ政策=ケチだから、とも言えるわけだ。
 
まあ現在も、この広辞苑と同じく、「犬の糞」とイコールな物、当時の「詐欺師が蔓延したよ」と風刺した物を、「伊勢参りは繁盛した」という資料にされてるだろうけどね。
この伊勢という宗教詐欺師が、のちの時代の天皇すり替えに役立ったのは言うまでもないわけですな。
ちゃんと隠蔽する気がないのは、辞書というものが既に、アンチ南朝天皇ともいえる「さすがは百科全書派のながれ」と言いたいところですが。
 
 
まあ、そういうわけで。 
伊勢神道という宗教を江戸に蔓延させ、質素倹約なんて、本人までもケチ臭い&間違っているデフレ政策の吉宗を、「暴れん坊将軍」として、けち臭さを消すための架空のお話「豪快な人物像」という虚像を作っているわけ。
今現在もね。
 
 
伊勢=天皇すり替えの神道
紀州=吉野を中心とした南朝という百済の残骸つながりに一部重なる
 →「紀州藩=真言宗を保護したとこがある」
 
それだけではなく、江戸に宗教詐欺師、伊勢屋を蔓延させた功績と、ケチな奴の親玉であるというのをごまかすための、「暴れん坊将軍」。
 
あと、吉宗は一部洋書を輸入するのを解禁して、それがキリスト教改の国家神道の手先どものできあがる土壌になったから、洗脳=評価されてるというのもある。
まあ、ケチな詐欺師というのが一番だろうけどね。
 
 
まあ、世の中そんなモンです。
 
「江戸に多きものは伊勢屋稲荷に犬の糞」
たった一言だけど、時代背景とか、重要な嘘の骨格を知ってれば、見えてくるものがあったので、こうやって補足できました。
 
犬の糞をありがたがってる人は今も結構いるようで。
 
 
 
 
 

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9th 2月 2012

カッコウは2度笑う【20120209】

 
 
 
想像と創造ができる欲望は、この世に存在している。
 
 
たぶん、以前の記事について質問があると思うので。(ねーじゃん!!!)

この世界のどこかで行われている医療?戦略「プロジェクトかっこう」について説明しておこう。
 
医療とクローンの話。
この社会は、どこかの誰かだけは人を殺しまくっても許される社会である。
そんなわけで、もっとソフトな行為「人を生かす」という行為、これも同様に彼らは行っているのだと考えるべきである。
 
生かす行為、その中身こそが、カッコウの繁殖方法に非常によく似た「欲望」である。
 
 
以前、説明したように、スコティッシュメーソンの本拠地、エジンバラのロズリン研究所で、分化した生体細胞からのクローン技術、つまり人間の遺伝子の「復元性」を持たせる技術は、既に現時点でも確立している。
死んだ人間と同じクローンを作るとかのやつね。
 
こんな話をすると、ヒットラーとかを復活するのか?という話であるが、それは「ただ単に同じ遺伝子情報」というのを持つだけの話である。
その技術は、一卵性の双子でも性格がまったく違うように、脳を移植しない限り、過去の同一人物が蘇生できるようなものではない。
 
 
逆に言うと、脳移植の技術の将来的な可能性も含めて、クローンで自分の遺伝子と同じ「スペアパーツ」として、「生まれてきた命」があるだろうということ。

そう、現時点での支配者のために。脳移植成功=寿命延長であるから。
 
さらにそれだけではない。
もともと、クローン技術の大きな目的は、「人間に移植できる臓器を持った動物を作るための技術」というものである。
いわゆる万能細胞の開発みたいなものも、同じ医療行為の実現への目的として研究されてるわけ。
 
万能細胞は技術的はまだ確立されてはいないし、移植の出来る臓器を持った動物というのだけでは、現時点の生体移植と同じように、抗体の問題がある。
臓器移植をした人は、抗体が拒絶反応をするため、免疫を抑制する薬を飲みつづけるなどの行為が必要なわけで。
だから、いろんな病気にかかりやすくなってしまう。
 
 
もう気づいたかな?
 
「臓器移植のための動物」というのは、人間でもかまわないわけ。
技術的にはそっちのほうが、よっぽど簡単。
万能細胞なんて物も同じこと。必要ない。
 
問題になってるのは、倫理的問題ってだけ。
それを無視すれば、既に「確立された技術」であり、利点のほうが多い。
当人と同じ遺伝子なわけで、ミスマッチも、拒絶を避けるために必要な免疫抑制剤の持続も必要ない。
 
 
将来的には脳移植、現時点でも癌などになったときの予備臓器のために、「人を殺せる」人達は、「人を生みだしてる」という行為を、間違いなく実践している。
だって障害になるのは倫理の問題でしかなく、それは彼らに望むべき物ではないからね。
 
だから想像と創造の出来る欲望は行われている社会なのであると。
 
 
やり方も簡単だよ。
 
まさしく「カッコウの巣の上で」方式。
不妊治療などの医療サポートを必要とする夫婦に、彼ら支配者達の遺伝子情報の分化細胞から作ったクローンを移植し、そのまま育ててもらうだけ。
他人の巣に卵を産んで、育ててもらうカッコウ、そのまんま。
人間をただ飼育するのではなく、健康で維持しなきゃならないので、手間がかかって大変だからね。
 
で、何かあったら、その人から臓器をもらうなりするわけ。
脳移植の技術が確立されたら、体そのものをもらう。
 
 
「人を簡単に殺してしまう彼ら」が、自分達のための「在庫」を作らないわけがない。
お金ではないんだよ、彼らの欲しい「欲望」は。
そう考えれば、ここまで目的がはっきりしていて価値のある合理的な商品は他には存在しないわけだからね。
 
 
911のように、人を殺すことが許されてしまう社会。その意味はこういうこと。
世界のどこかで彼らのスペアパーツは「生かされている」、そう思うわけです。
まあ、白人だから、日本ではやってないだろうけど。スイスやドイツあたりか?やっぱり。
 
誰か確かめてくれないかな?
案外、「世界の支配者」なんていうものは、こういうわかりやすいことから簡単に特定できたりしそうな気がするが・・・・。
 
 
さて、スピリチュアル・ニューエイジな、スコティッシュメーソンの人達は、人間=魂の入れ物として、クローン技術は肯定する立場ではある。
でも、微妙にニューエイジ的な映画などの作品には、クローン技術への批判も盛り込まれている。
 
正直、弁証法的な推進なのか、普通に批判なのかが、あまりよく見えない。
入れ物=肯定では間違いないんだけど、ニューエイジ=エジプト里帰り運動で、有色人種容認派であるわけで。
ドイツで、昔から熱帯魚の遺伝子組み替えが盛んだったように、クローン技術の中にはアーリア主義的なものにつながるものがあるわけです。
その白人完全思想につながる一定以上の何かだけを批判する姿勢なのかもね。
 
クローン技術のメッカであるロザリン研究所、エジンバラ=シンクレア家で、スコティッシュメソで間違いはない。
機械のなかの幽霊でもわかるとおり、クローン推進派なのも間違いはない。
 
ただ、「分化細胞からのクローン技術が確立されてるよ」というのは、暴露なのかもしれないね。
単なる肯定派ではなく、その一定以上の何かの中の危険性から生じた暴露、警笛行為のような気がするのだが・・・。
 
このスペアパーツ・カッコウプロジェクトのように、「本当の欲望」につながる行為は、できるかぎり秘密で行いたいだろうからね。
 
ニューエイジとクローンの関係。そこらへんは、またわかったら紹介します。
本当は、昔、すこし見えかかったんだけど。
 
 
 
 
 

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8th 2月 2012

アーメンラーメン日曜日【20120208】

次の数式が何であるかを答え、解を求めよ。
 
 
「7+7+1+7+7」
 
 
 
 
答えは後ほど。まず考えてみて。
 
 
 
では今日のお題。
キリスト教徒のアーメンという言葉について。
 
昔、コメントなどでキリスト教徒が賛美歌や祈りの最後に「アーメン」という言葉を言うことについての意見を頂いた。
それについて調べてたらわかったことがあるので、現時点での考え方を説明しておきたい。
 
 
アーメン=アモン=白人のキリスト=シュウ=大気の神(太陽神ではない)
 
まず、ここは過去のおさらい。
アモン=白人のゼウスね。アンチ太陽神と言ったほうがいいか。
アーメンという言葉自体は、旧約聖書のヘブライ語が起源になるけどね。
 
で、アーメンの簡単な歴史だが、殉教者聖ユスティノスなどは、西暦150年頃から既に祝福の言葉として会衆が唱えるようにと記述してあったそうです。
 
しかし、今のように聖歌の最後にアーメンと必ずと言うほどつくようになったのは、ごく最近のことである。
 
それは19世紀、1833年以降、英国聖公会でオックスフォード運動が起こり、ラテン語の聖歌を英語に翻訳することが盛んになり、そのついでとしてアーメンと最後につけることが常套化したそうです。
 
 
紀元150年などのキリスト教の発足直後のような前者では、「ユダヤ教とキリスト教を区別する上で、アーメンと唱えさせた」というのが理由である。
 
後者の、19世紀の英国での話は、そのオックスフォード運動が、アングロ・カトリックというカトリックよりのアングロサクソン主義を構築する上で、キリスト教=白人のための宗教を強調する上で、「アーメン(アモン)」を聖歌につけるようにさせた。
 
結果、この英国聖公会から、プロテスタントでも、もちろん聖歌にアーメンとつけさせるよう広がったわけである。
まあ、あたりまえだね。
アモン=白人のためのイエス=ゼウスなんだから。
新教徒=白人崇拝のきつくなったキリスト教なんだからね。
 
 
そういうこと。
後者では聖公会がカトリック的な立場で継承されつつも、アングロサクソン主義=白人主義の強調をするためにアーメンとつけたわけ。
そして、それ以前の前者では、ユダヤ教(セム含む有色人種の主教)とキリスト教(白人のための宗教)との区別のために、祈りの中でアーメンとつけていた慣例があった、そういうわけである。
 
白人主義の強調のためだね。
 
 
さて、では最初の数式の答えを言おう。
7+7+1+7+7、これは太陰暦における1週間をあらわす。
 
今、この世界の1週間が7日間という、アホな状態になってる理由は、聖書における創世の7日間であるわけだ。
しかし、そもそも夜空を聖典として写した太陽崇拝こそが、キリスト教であり、旧約聖書ももとは星の配置=占星術からである。聖書の3人の賢者=オリオンでもわかるとおりね。

その中で、テレビやラジオ以前に字もない時代の社会で、人々の生活の日々の基準となったのが、同じ夜空に浮かぶ月であり、ユダヤ教、中国や昔の日本も同じく、暦は太陰暦が基本であったわけ。
 
よって、この数式の解は、「1ヶ月」、もしくは「カレンダー」になるわけである。
 
 
ただ、注目すべきなのは7+7+「1」+7+7、この中心の「1」である。
そう、この1、それは15夜=満月である。
本来のカレンダーでは、今のような、単純に7日間のくり返しとは全然違うわけ。
満月(15日)までの14日間を区分けするために第1週として7日間、その後の2週目が7日間、で個別で満月の「1」がくる。
 
ただ単に月というカレンダー、これが15日では使いづらいため、(15-1)÷2で、7となったわけだ。
本当の意味での起源的な太陰暦では、満月という特別な日、その前の14日間を2回の1週間と分解し、さらに満月後の2週間という形にした。
これが、本来のカレンダーの形だったわけである。
 
その月という同じ夜空の一部というのが、聖書の一部分に含まれ、創世記の7日間というものにされてしまい、キリスト教により1週間が7日間という単位が世界の基準となったわけである。
このどうやっても割れず、期間調整もしづらい1週間の強制という価値観のために、文明の進歩が少なからず遅れたのは、間違いないわけだが。
本当は月が満月になるまでの14日間を、一番使いやすく2周期でわけただけなんだけどね。
 
 
そういう、本来のカレンダー「お月様」、そして満月は特別であるのを意識した7日間との構成であること。
ここらの部分を意識して、7+7+1+7+7が1ヶ月であると解けた人はいるかな?
 
 
 
さて、では最後に。
暦の話、アーメンの話、実は別々の話ではない。
 
もう何回か出てきた話だが、本来の旧約聖書の創世記などで説明される1週間、これでの安息日は、「7日目=土曜日」であるべきである。
だからユダヤ教などでは、いまだに安息日は土曜日が厳守されている。
(太陰暦だから正確には金曜の日没後から、土曜の日没まで)
しかし、一般的にはキリスト教徒によって、「今の日曜日=Sunday=安息日」と変更されてしまったわけだ。
 
 
アーメンという言葉が白人主義の強調のためであるのと同じように、安息日の変更、これも同じ事なのだ。
「Sunday=太陽の日に休む」、紫外線に弱かったために黒人に迫害されたのが白人であるなら、この意味がわかるだろう。
アモン=ゼウスを崇拝しろ、そのためのアーメンであり、同じ理由で、白人としてのためのキリスト教の安息日が日曜になったわけ。旧約聖書を無視してね。
 
ね、同じでしょ?
ユダヤ教との区別のためのアーメンと、日曜日という安息日。
 
もともと、ほとんどの宗教の起源は太陽崇拝であり、同様に有色人種が作った宗教であるキリスト教もそうである。でも白人崇拝のための宗教だからこそ、こういう部分が簡単に見つかるわけ。
で、新教徒プロテスタントも生まれて、白人至上主義者=100%キリスト教徒になってるのも、そういう理由なわけね。
 
 
さて、本当は、この話、もう少し調べてから書きたかったわけだが。
暦、太陰暦の1ヶ月=30日(もしくは29日)で、365日には足りないわけ。で、閏月、(13ヶ月)を作ったりして調整するわけだけど。
日本で実際に使われてた暦、明治より前のもの、今のグレゴリオ暦以前に使われてた、唐からの五紀暦、天保暦とか。これらのこと。
暦とは支配者の作る物。
それぞれの特長とかも調べるべきなんだけど。それ以前の太陰太陽暦の閏月のことさえ、実はよくわからん。
 
調べれば、他にもわかることが波及していくような気がする話だけど、それはのちのちね。
 
 
おっと、ではアーメンの話を少し補足。
聖歌にアーメンをつけたきっかけになる英国聖公会は、別名ブリッジチャーチと言われるカトリックとプロテスタントの中間の教派である。
白人崇拝の為にアーメンをつけるようになったものの、1920年頃に、今度は、カトリック的な考え方で、これを見直し、「アーメンをつける事は間違いである」と考えを改めたわけだ。
何度も言うように、マリア・イシス崇拝=エジプト=太陽崇拝=旧約聖書、つまり有色人種としてのキリスト教よりなのがカトリックと本来のユダヤ教、ロスチャのポジションなわけで。

で、アーメンを取り消そうにも、キリスト教という白人至上主義に、一度でも吸い込まれてしまった慣習を訂正するのは難しいわけ。
で、聖公会でももちろん、今も残っているし。
キリスト教が白人崇拝のための宗教であることさえ気づけず、アーメンの意味がわからない馬鹿神父などによって「昔からカトリックでも言っていた」として、カトリック系でも日本ではアーメンが残っているところが多いんじゃないかな?
 
それはユダヤ教と区別するためで、有色人種を世界から排除するために言われてたという理由なのにね。
 
 
日本では、この聖公会系の教会は結構多い。
クウェーカー教徒は厳密にはここではないが、皇室のキリスト教も起源にもなるジョゼフ・グリューや、スコッチ系の名を持つマッカーサーでさえアングリカン系であり、日本経済界の基準ともいえるキリスト教人脈の松本重治、軽井沢とか清里の避暑地の開拓も聖公会系である。
新渡戸稲造などのユニテリアン、メソ教である帰一教および、Jロックフェラーのポジションも、国際基督教大学を礼に出すまでも泣く、日本では聖公会系と重なる部分が多い。
キリスト教の支配という社会構造で、プロテスタント=白人崇拝と気づく知性があり、アメリカ=新教徒の国とやっていかなきゃならないとなると、必然的に逃げ口はそこにしかないわけですが。
 
 
さて、結婚式とかでアーメンなんて言わされることがあったら、ここらへんのことを考えてみてはいかがでしょうか。
 
白人の都合の為に、太陽崇拝だったキリストは、木星(ジュピター)という大気の神ゼウスに変更されてしまっている。それが日曜日でもある。
ニューエイジも同じジュピターだし。
この夜崇拝=紫外線に弱い白人のための宗教、その起源は、キリスト教の元となったミトラ教、その異端、東方ミトラの中のアーリア宗教であるゾロアスター教の善悪逆転論からきている。
 
そのゾロアスター教の終末論では、「溶けた金属」による最後の神裁が行われて悪は滅ぶとされている。
 
私達は、「有色人種を滅ぼせ」という新約聖書の1週間を強制させられて、今ここにいる。
 
 
 
 
 
 
 

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