28th
8 月
2010
さて、長々、2日目に突入してしまったが、まとめ。
とりあえず、技術=行動である。
論理に収まってはいけない。
ところがどっこい、陰謀論なども含むが「識者」と言われる人達は、論理だけを言って、行動ではない。
そんなものに一切の価値はない。
経済アナリストなんて出てきたら、言ってる事を考えて御覧なさい。
経済学?論理だけという典型的なものであって行動ではない。
一番初歩的な行動、「どうしてお金を刷らないか?」に答えられないわけで。
識者などの意見を聞くたびに考えて欲しい、それは「論理」であるか、「行動(技術含む)」であるかと。
ビルダーバーグなどの人脈のことを文字におこしてくれるアルルの男ヒロシ、副島隆彦も、彼しかいえない部分(技術)は少しはあると思うが。
あくまでも評価すべきは、彼らの「スキル=技術」の部分であって、ただの論理、思想、そんなもんに一切の対価は出すな。
これは、俺自身が、論理だけ=行動を斡旋しない、方針でやってるからわかる部分もある。
技術の部分、本来ははっきりしそうな話、DVDコピーや炊飯器みたいな話でさえも、「技術の評価」は難しく、明確な答えが提示できない事を説明した。
TVやメディアでの洗脳、識者みたいな奴らの表層空気で「何となく評価が生まれてしまう世界」に今、自分達は生かされている。
でもよく考えれば、改善できるんだよ。
「日銀にお金を刷らせろ」これも行動にならなければ論理どまり、政治家などが日曜などのTVでただこれだけを言う事を無責任とし、実際の行動=技術へと政治も進化させる。
そう、今までの社会は、すべて御伽話と一緒。
政治家もメディアも、すべて、論理だけを垂れ流す行為こそが政治だと思い込ませてきた。
だから、世論という、ありもしない大衆の論理というものを作って演出して誘導してきた。
なら、政治家もメディアも、実際の行動=技術へ繋がるように監視すればいい。
今、この社会の上層部やメディアに出てくる人間は、すべて論理どまりの人間である。だから口先だけでよかった。
彼らを評価しないことの積み重ねが、行動と人物像をちゃんとリンクさせて、責任をとる社会へと繋がるわけ。
それだけではない。
経済のピラミッドで考えて、本当の意味で、技術=問題を解決する力のある人達を、今の社会システムの上位階層に持ち上げる事に繋がるわけだから。
もし、先ほど言った、識者なんかの話で、「論理を支持してしまう」という姿勢は「論理のために、行動を黙認してしまう」という事態を誘発する。
結果、何もしない論理を支持して、悪影響のある行動を黙認した状態、マイナスな部分しか残らないわけである。
自分は、こう考えている。
誰一人として本当の正論を言えないように組み立てられている、この社会、とくにメディアや政治は、この論理を支持させて、負の行動を黙認させる積み重ねでのおかげで構築されてると。
それが「911は自作自演ではない」とか「南京大虐殺はあった」などの主張が正論とされる社会の理由だ。
どんな崇高な政治思想だろうとなんだろうと、まず「行動」の部分だけを評価すべきであって、それは政治家、メディア、本を書くような識者、全部同じである。
自分のブログだってそう。
書いてあることは、問題解決=行動や技術の部分ではないからね。そういうわけで、理念の部分に評価はいらない。
残る部分は行動なのだ。自分でやってるからわかる。
分析することや、切り口に対する「技術」としての評価を、もらえるのは嬉しいけどね。
本当の意味で「行動」だけを評価される社会、そうすれば欺瞞は自ずと消えていくはず。
人は行動だけを明確に求めるからごまかしは通じない。
そのために、論理、理念や思想、中身のない「香り」にだまされる事なく、問題を解決する技術=行動という「果実の部分」を見極めて欲しいのである。
技術の評価という部分でDVDコピーの話や炊飯器の、理系の話を持ってきた。
本当は政治的なこと、前々回の憲法9条のとこで「技術を評価するのは難しい」と説明できたらよかったんだけど。
ただ、理系の話、炊飯器のスペックを理解するよりは、政治や論述での世界で、見極め、評価するという、行為自体は簡単なはずである。
そして、そのために教育があるはずなんだけどね。
さて、俺もそろそろ「書き残しただけ」という結果だけでなく、別の事、行動へ進まなきゃならないわけだが・・・・。
俺は、技術という部分ではたいしたことがないわけで。
うーん、うーん。
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27th
8 月
2010
さて前回言ってた話。
論理は論理であって、行動ではない。
そして技術=行動の部分の話になるんだけど。
結果のともなう行動(手法)=技術とでも言い換えられるかも。
そんな話の延長。
今の世の中だと、どうしても「技術=お金」という図式を考えてしまうんだよね。
今、「需要=物質的な物」は頭打ちになってるという表現はよく聞くよね。=資本主義の消費に関する問題。
それは物的な物の付加価値が、ずんずん減っていくことでもある。
これも科学=技術による別の側面だね。
形のあったCDが、MP3というデータになったように。
そんな中で、「お金は技術の対価として支払われるべき」という形態を俺は支持してしまっている。
いや、個人的に固執してる、思考が固着しちゃっているというほうがいいかな?正しい、間違いは関係なく。
なぜ、俺の思考がそこから逃げられないかは後で説明。
とりあえず、「技術の対価としてのお金という手段がある」というのを先に説明。
難しい話じゃないよ。
例えば、DVDをコピーしたいとする。
ある人は、パソコン屋さんで「1クリックでDVDバックアップ!!」なんて書かれたソフトを買ってくる。
別の人は、無料のリッピングソフトをネットで探して海外のソフトを使ったり、無料のソフトを複数組み合わせたり(DVDFabとshrinkとか)、改造して使っちゃったりなんかする。
お金を出した人に対して、別の人は「調べて、組み合わせて、時には問題解決して」同様のことができるようになるわけである。
前者がコストとして、お金を払った人。
後者が、スキル(技術)によってコストを払わなくてもできるとした人。
この違いである。図式としては「お金=技術」である。
どっちも動機が・・・・なわけだが。あ、DVDのバックアップが目的ですか。
とくに後者の方では体験版をレジストいじって使うとかは誉められる話ではない。
そのスキルがない人が、あきらめて、体験版で使いやすかったソフトを期限が切れたので「買う」なんてことがあるわけで。
その人もレジストリ(ソフトとかをインストールすると変化するパソコンの設定みたいなもん)を、監視したり、差分したりするスキル=無料版が永遠に使えちゃうスキルがあったら、「期限が切れて使えなくなったその無料版にお金を出したか?」というと、NOの場合があるわけで。
これも「技術=お金」の構図だね。
さて、ここで「技術=お金であるべき」と、俺が考えてしまう理由。
俺は昔、「事務屋」であって「技術者」ではなかった。
まあ、単なる事務屋ではなく、「判断」もしなきゃならない立ち位置ではあったんだけが・・・。
それでも、「事務屋なんぞ所詮お金を生まない」と考えてしまう。
俺が技術のことを、こう考えてしまうのは、事務屋だったからなんだろう。
技術者の人は、逆に「技術者は替えがきく」と考えてしまうと思う。
正論だ。しかも依存する物は技術であって、人でもない。
機械でオートメーション化されることで、今まで必要だった技術はいらなくなるとかね。ただでさえ、一生、技術者なんて難しいのに。
小さな会社なら、事務のおばちゃんに依存したりすることもよくあるわけで、それなのに技術は外注に出せば済むと、技術者自身が感じてしまうわけで。
逆に「経営者」は、技術や事務などの「戦術」の話ではなく、大事なのは「戦略」という孫子の言葉どおりに、一番難しいのは「判断」だと言うのかもしれないね。
正直、ここらへんをどうこう言えるほど、俺の人生経験はよろしくない。
これがわかれば、派遣だらけで、切り捨て御免の世の中、経営者にどこまで依存し、誰かどう責任を取るか?みたいな話の判断基準にもなりそうだが、ここではほっとこう。
考えるべきとこは、この三者三様の立ち位置からの話ではなく、「何の対価としてお金は払われるべきか?」という、お金を払う消費者という視点。
今の話は、あくまでも自分が、事務屋というポジションの経験から、技術に固執=全員に技術を求めるような無茶な思想にもなりかねない、アンバランスなポジションから見てる部分がある。
そこを差し引いて読んでくれってとこ。
では、消費者は何の対価としてお金を払うべきか?
先ほどのDVDコピーの話。
無料ソフトをただ使う人も、パソ屋でコピーするソフトをただ買うだけの人も、俺は間違ってると思ってしまうんだよね。
こういう話を考えた時、俺の結論が「技術の対価」という話になってしまったから。
もっとくわしく言うなら「技術を守るために消費者はお金を払うべき」という結論ね。
もちろん、自分の人生経験の少なさから、先ほどの3者の立場の話でもわかるとおり、「考察不足」だし、立ち位置もよくない、間違ってるかもとも思う。
ただ、「同情するなら金をくれ」みたいな例え話ではないが、お金は、論理ではなく「行動」を支える機能がある。
人間の行動や技術だけではなく、信用という触媒で得た、お金だけが持つ機能である。
崇高な政治思想だろうが、お金なしでは何も出来ない、だから中央銀行=国の中心なわけで。
国だけでなく、個人でも「行動を支援する」機能がお金にはあるわけだからね。
そして本来は、技術だけが問題を解決できるはずだから。
消費者は技術の対価としてお金を払うべきではないないのか?ってなるわけね。
このブログでは、経済活動そのものが、共食い、搾取で競争する社会であることを説明した。
だから技術が進むたびに、搾取構造が進化し、逆に労働を義務付けられている。技術が更新されるたびに、以前の技術は捨てられ、もしくは安売りされて「失業をプロデュース」してしまう。
結果、突き出された玉突き事故のようになって、労働条件が悪化していく連鎖を生む。
人間が一番労働を強制させられてるのは現代であるわけで。
そういう実際の物やサービスとは関係なく、中央銀行が、お金を刷り散らかし、その無から作った「同じお金」が、「お金を生み出すためにがんばっている技術」を安売りしてしまうわけ。
そして「債務だらけ=労働の義務化」をツールとして、階層の上位を「物を作るなどの技術者ではなく、お金だけ持ってる人達だけ」に独占してしまっているから、あたりまえである。
考えてみて欲しい。経済のピラミッドで上位にいる人間で「技術者」って誰がいるのかと。ビル・ゲイツが上位者か?
技術者を使い捨てにしたりして、逆に技術を失ってしまってる社会。
その結果、問題を解決するのはいつだって技術であるはずなのに、今、目の前にある問題さえ解決する力は存在しない。
人口爆発だって、人口が増えるのが問題ではなく、それに対応する技術がないのが問題である。
彼ら上位階層の技術は、何かを作ったり、問題を解決する技術ではなく、技術の代用品(=お金)を拾い集めるだけの技術で競争してるんだから当然の帰結だ。
だから、本来は問題を解決するためにあるはずの技術が、安売りされて玉突きで搾取を加速する社会を、技術を守る事で止めるのである。
だから、一人一人に、「ちゃんとした技術」その対価、そして「技術を守るために、お金はあるんではないか?」という結論になったわけね。俺は。
さて、さっきのDVDコピーの話で考えてみる。
フリーソフトを使う人も、ただパソコン屋さんでDVDコピーのソフトを買う人も、厳密に言えば「技術の正当なる対価」としてお金を使っているわけではない。
フリーのソフトのほうは説明はいらないね。
無料=技術の対価がない=技術安売りの搾取社会というベクトルの賛同者なわけで。
俺もフリーソフトでDVDをコピーしてるので、あんま偉そうな事は言えないが。
逆にパソコンショップで「ただ技術を買えばいい」というわけでもない。
こっちは「技術の評価」の部分で疑問が残る。
例えば、電化製品屋に並ぶ炊飯器。
あれも「どれも同じに見える」=「味もよくわからない」では、技術は淘汰される。当たり前である。技術の進化を人間が理解できなければ、意味がないからだ。
「わからないから、その程度の技術」といえばそれまでだが、そんな人はササニシキやコシヒカリなどの米の種類を食べて全部わかるのか?と聞けば、たぶんNOだと思うが。
技術は蓄積であり、それは米でも炊飯器でも同じ。
こういう場合は、技術向上に率直な炊飯器メーカーほど、売れずに潰れやすい=蓄積さえ棄権させる=技術の崩壊である。
つまりDVDソフトを、ただパソコン屋さんで買っただけの人も同じ事。
ほとんどの人が「わかんないからソフトを買う」である。
技術の評価をしない(わからない)で、対価(お金)だけを払う行為は、最終的に技術を守る事には繋がらない。
良い物を良いと大衆が評価できない世界では、文明は滅びる。
政治と一緒。。
恐ろしい・・・・・。
なんと恐ろしい事か。
DVDコピーをただフリーソフトでやっても、有料ソフトでやっても「文明が滅びる」わけである
消費者=評価者として、DVDのコピーガードの知識、メディアの対応範囲の研究成果やエラー確立、ドライブの相性などなど、諸事情を理解、把握して「正当に技術を評価して」、ちゃんと評価できたDVDコピーのソフトだと認めたら「技術を守る=お金を払う」という行為をしてからソフトを使うという責務が生まれるのだ。
文明を守るために・・・。
別の話で、炊飯器で炊いたご飯を食べる際は・・・・
って、やめとこう。
「こんなめんどくさいこと、してられるか!!!」って話だよね。
でも、間違ってなさそうだから、困った話である。
誰か、この問題を解決できる「技術」を教えておくれ。
次回で、まとめるというか、ここまで説明して来たことの一番の主旨を。
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24th
8 月
2010
「その問題を解決する」という命題に対して結果がともなわない場合、多くの人は論理の不備だと思い込もうとする。
違う。
物事を解決するのは「技術=行動」であって、ロジック=論理は論理に過ぎない。
失敗の原因として、「論理にそってないため=技術不足」はありえるが、「論理の不足」は直接的な結果の原因とはならない。
「必要な論理を理解していない&見つけられない」、これもただ単に個人スキル、「技術の不足」である。
邪魔な石があったとして、テコの原理を知ってようと非力なら持ち上がらない場面があるだろうし、知らなくても怪力なら持ち上げてしまえばいいだけである。
そこに論理の有無は関係ない。
「技術というものは行動である。」
思考はどこまでいっても思考だけであり、大事なのは行動である。
なんかの予防注射だろうと、なんかの民営化であろうと、「大義名分=思想や論理」ではなく「手法=行動」で物事は決定され結果として出力される。これと似てるね。
利己主義の原則という論理さえ理解もしてないから、ややこしくなるけど。
「論理的に考える」、これは重要だよね。
でも、逆にそれが「何も生まない論理」を「行動の一部だ」と、思い込ませてしまっている。
例えば、前回の記事で、生命には共食い=戦争する要素がもともとあるというのを説明した。
長年の読者なら知ってると思うが、俺は、ロスチャ=経済屋より、ロックフェラー=戦争屋のほうが嫌いである。
だから、自分にとってもロスチャの作った良心とも言える現憲法、「憲法9条の平和憲法の理念=論理」は、「素晴らしい」という評価である。
でもね、理念でなく行動なわけ、大事な事は。
理念=論理ではなんの強制力も理由にもならない。
右翼思想の「武力を持って自主防衛をしましょう」=(行動)に対して、左翼思想の「憲法9条が、平和憲法が・・・」というお花畑思想(理念)だけの念仏を唱えてしまう左翼は、明らかに負けている部分だよね。
理念(論理)は何もしないんだよ。
だから、憲法9条での意味なら、「武力を持たず、平和をどう維持管理するか?」という「技術=手法」の話がない限り、全く意味がない。
このブログの方針は出来るだけ「行動」を斡旋しないのだが、話の都合上、ここでは「技術=手法」の話をしてしまおう。
例えば、この9条の話で簡単に言うと、こんな感じ。
「戦勝国のための国際的権威=国連とは違う組織、日本が保有する米国債を触媒に、国から独立した紛争などに介入する国際的な権力を、ドル支配で苦しむ国と連携して作ってしまえ!!」とかね。
これは国から独立した軍備を持つ体裁を作るために。民営化とは違うぞ!!
今の統一教会臭がして横田幕府の言いなりの自衛隊とかでは、全く意味がないから。
それが、結果して平和憲法の維持→世界中に軍縮=軍侵略抑制の拡散へと繋がる。
「原爆があーだ、こーだ」、「戦争の悲惨さが、あーだこーだ」という論理だけでは何の結果も生まれないんだと、明確に理解すべきなわけ。
それを実行するのに問題は多かろうと、実現が難しかろうと、あくまでも「手法=技術(行動)」の話をするべきだからね。
ん?
そう考えると日本という国が持ってる「技術(スキル)っ」ってなんだろうね?って考えてしまうのだが・・。
国際的な影響力=何かを作るという能力って話、正直、全く皆無のような気がするわけで。昔は日本は好かれていたような気がするのだが。
まあ、世界で唯一の原爆被害国として、何か「行動」はしたんだろうかね?今まで日本は。ってことでもある。
あ、これが、今までの話の答えになるのか・・・。
実績自体はゼロなのかな?詳しい事は調べてもいないけど。
そう考えると、民主党の中のニューエイジ、イオンの岡田外相が、先日インド相手に言ったことは、実は危険領域の話なんだな~と思うわけである。
岡田は、反小沢(←マックスバリューと生長の家路線だから?)ということだったが、俺の印象では、菅よりでもなく小沢失墜後はできるだけ表に出てこなかったって感じがあるし。
ん~、さて次回は、「技術」の話で、もうちょい続けるかもしれないです。
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