リバタリアンと自由の定義(豆)【20100806】
豆長者さんへの反論を記事にさせていただく。
現時点では、反論というか補足みたいなもんですが。
俺はロン・ポールの経済理論なんて「使えん」と思ってるから(それも説明する)、簡単に書くと要点はこうなる。
要点 「リバタリアンとは何か?」
俺「詭弁者」
豆長者さん「違うよ」
リバタリアンの耳はロバの耳 その2【20100805】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/08/05/909
ちょいと長いけど、この記事のコメでの話だよ~。
すまん、全部呼んでくれると助かる。
コメントのURLはここ。このコメ対してのお返事。
http://www.mkmogura.com/blog/
2010/08/05/909/comment-page-1#comment-2021
このコメントね。
以下、引用(小さい字)は、このコメントに付随したURL、豆長者さんのサイトからです。
豆長者さんのとこのURL
http://mamechoja.blog22.fc2.com/
1980年、マリー・ロスバード、「リバターリアニズムについての神話と真実」から
リバターリアンたちは、自発的に、個人間で協調すること、共同することに、全く反対していません。
反対しているのは、国家によって押しつけられる強制的な偽りの「協調」に対してです。
これが豆長者さんが行ってた部分だね。
でもさ、これも、リバタリアン=過剰権利主張者=よって個人主義にならざるをえない、というのをミーゼスおよびハイエクも認めてる部分があってでの説明だよ。
なぜ、個人主義になるか?それは権利を主張するから。俺はそれを過剰と思う。ここは個人の主観だけど。
なぜ、個人主義になるかが、リバタリアンの定義とともに説明してあれば、もっと具体的に説明しますが・・・。
ではいくよ。
例えば、自由も権利である。個人の権利というものは、常に個人の権利とぶつかる。
だから、権利には義務というコインの裏側が常に内包する。
それを無視してるリバタリアンはあくまでも「個人の自由」なんて言葉を掲げる。そんな「個人の自由」なんてものはない。
自由というものは、個人単位で分割できないんだから。
なぜ、無視してるか?それがわかるよう説明する。
他の自己や財産を侵害しない限り、その人が適当と思うことを、自由に行えるべきだという理論です。
↑↑ これだってそう。
他人の権利を侵害しない限り・・・という制約=規制、義務が発生する。
まあ、実際には他人と衝突しない権利なんて存在しない。
多くの場合、その規制の裁量を測る者として政府が必要になるんだけどね。
そこをごまかすしかないから、リバータリアンは個人主義に帰結するしかない。
2010年1月30日、ロン・ポール
私が、信じている一つの論点。
憲法そのものよりも、ちょっと上に置いています。
それは、憲法が、それを一つの目的として書かれているからです。
それが、建国者が望んだものだと、私は理解しています。
個人の自由(リバティー)の保護です。
私たちが、個人の自由とは、いったい何なのかを理解している国であれば、
他に言葉は、たくさんいらないのです。
憲法の修正箇条、権利章典は、とてもとても重要です。
しかし、もしも、自由を本当に理解していれば、すべて、正しく収まるのです。
それは、私たちの生命から始まります。
私たちの生命は、私たち自身のものです。
神によって私たちに与えられた生命です。
私たちには、私たちの生命に対する権利と、その生命を適切に管理する責任があるのです。
それゆえに、もしも、私たちに、私たちの生命に対する権利と、その責任があるならば、
私たちには、私たちの自由に対する権利があります。
それは、政府に由来するものではありません。
私たちの造物主(クリエイター)に由来しているのです。
他神を排除する一神教の思想者が自由と言うだけで、正直、俺は気分が悪い。
とりあえず、↑ここでも「個人の自由」ね。そんなもんはない。
自分達で、他人の権利を侵害しない・・・としてるのに個人単位での自由があると、ある意味では言う事が変わっているでしょ?
義務がある以上、個人というのはないんだよ。
例えば、宗教の自由だってそうだ。
一神教は他の神様を排除という思想がある。
その権利を自由の一部として認めてしまうことが、いかに危険な事か。
一神教に自由を与えることが、その神をあがめていない人にとっての「信仰の自由」と衝突する。
事実、キリスト教徒じゃなきゃアメリカの大統領宣誓も受けられない。
そもそも、政治における理想論、「全知全能の善良なる独裁者が統治してくれれば、全員が満足した良い社会になる」という究極の社会主義統治思想の名残りが、キリスト教なんですけどね。
この善良なる独裁者(数も時間も超越し、死ぬ事も許されない)なんて、ありえないけど。
キリスト教徒でなければ大統領にも裁判も受けられない。
自由をうたう奴らが、一番、宗教に関しては制約が多いでしょうが。
これでもわかるとおり個人単位で、自由があるわけではない。他人を迫害するから。それなら「一方的な自由」という権利さえもあるわけがない。
その「一方的な自由=何をしてもよし」なら、政教分離さえ必要ないからね。自由とは常に相手がいるものなんだよ。
だから、「自らをよし」を、「他の人とも肯定しあう」、そういうのが本来の形なわけ。自由というののね。
これが前回の記事。
その人が、その人自身の宗教観で「いいよ」と言えるのを、お互いに尊重しあって「作ること」=宗教の自由=多神教的な信仰の自由に帰結するしかない。これは義務に他ならないでしょ?
多神教が基本の日本人なら、この共存共栄の自由という意味と、キリスト教徒=一神教における信仰の自由という、決定的な違いがわかるよね?
ロン・ポールの自由は後者、一方的な自由なんだよ。
さて、今、豆長者さんがリバタリアンの定義を書いてくれる前に、さらさらとこの記事を書いている。
まあ定義が何か、そこから規範が何かが、わかっても、たぶん俺の答えは何も変わらない。加筆できそうな事が増えるかもしれんけど。
たぶん、簡単な「何をすべき」は見えてくるような答えを書いてくれると思うので、先回りしてロン・ポールの経済理論を具体的にしてみる。
・ドルは基軸通貨であるべきかどうか。
・金本位制は、アメリカ以外、金産出国に依存する形になっていいのか?
これをリバタリアン的な規範で判断する。答えを待つまでもない。
答えはどちらともNOである。
他国の金に依存する形での金本位制は、武力的なリ、経済的なリ、侵略という形に帰結してしまうから。
それは、イラク石油ドル決済へ無理やり戦争でなおしたのと同じだからね。
たぶん、豆長者さんの定義する規範も「非干渉主義=リバタリアン」にならざるをえないと思うが・・・。
だって、リバタリアン=個人単位の過剰な権利の主張者=「だから個人主義にならざるをえない」ってこと。
その中身は自由における「権利の衝突」をいかにごまかすか、だから。
このリバタリアン思想の構図は、「権利(主に自由)が他人と衝突しない状態」という土台があって成り立つ。
それこそが「干渉するな」という前提条件が必要ということなんだよ。
そこはハイエクに対しての哲学的にアプローチしたんだけどね。ヒュームの懐疑的経験論からね。
それをはっきりさせるためにも、専門家である豆長者産に定義をお願いした。
たぶん、「権利の衝突をさせないために、干渉するな」になるしかない。
だから、小さな政府とか、孤立主義の話とかも、すべてそれ。
むしろ権利の衝突を、「政府と個人」による自由という権利の衝突に限定する方がおかしいと思うんだけど。そこらも説明してきますか。
その前に、まずは、ロンポールの経済論の帰結。
とりあえずドルは、基軸通貨でなくなり、他国の産出する金に頼らず、カリフォルニアあたりで、昔の金鉱を銃を持った奴らが掘り返す構図。
しかも、マネーサプライのないアメリカの国・・・。
それ、アメリカ中がヨハネスブルグだろ。
モヒカンでヒャッホー!!である。北斗の拳の世界だな。
とりあえず、マネーサプライのない世界ってだけで致命的です。
実際にロン・ポールが、それを目指すとは思えん。
南アフリカあたりを「黒人は人間じゃない=権利は存在しない」という古きよきアメリカの建国精神にそって、侵略戦争する構図のほうが、想像つくんですけど。
反セム主義はないけど、金本位にするなら冗談抜きで侵略戦争するだろ。所詮は米共和党だし。
「ロンポールは北斗の拳の世界を作ろうとしてるのか?」でもわかると思うんですが・・・。
それを考えれば、目的、言ってる事とやってる事の中身が変わるのは、予想がつく。これも詭弁だと思うんですけど。
まあ、アメリカという国は原住民比率2%になるまで殺しまくったわけで。その建国精神の中の「自由」という言葉が詭弁だと気づけない人には、伝わないかもしれないけど。
オーストラリアでカンガルーと同じようにアボリジニ狩りを楽しんでたのと同じだよ。詭弁だったから、あんなことや同化政策ができる。
けして大昔の話ではない。まだ謝罪もしてないしね。
自分は、新旧問わず、アメリカの保守主義なんて詭弁そのものでしょ?
あ、ここは予想はよくないか。もっと具体的に説明しなきゃダメだね。
じゃあ、こっち。
個人と個人の権利の衝突を、ロン・ポールの話とともに説明する。
その前に、これは詭弁に間違いないよ。
ロン・ポールの週刊コラム
2008年12月8日
銃規制を唱道する者たちは、
社会から銃を取り除けば、我々はより安全になるのだと言っています。
そんなことが事実であるというならば、どうして、
たとえば学校のような銃の所持を禁止している場所において、
最悪の銃撃事件が起こるのでしょうか。
また、事件が起こるときには、このような攻撃的なテロの銃撃が、
銃やナイフの展示会や、軍事基地で起こったということは聞いたことがありません。
武装した社会は、本当は作法を重んじる社会であるということは、
繰り返し言ってよいと思います。
ロン・ポールさんよ。
銃規制のことで例を出すのなら、日本で比較しろよ。
アメリカ全体では、ロン・ポール含め銃所持の正統性を主張する奴らが多くいて、その結果、銃が蔓延してるわけで。
その中で特異的に規制された学校内で、「銃乱射がある」・・・・「だから、銃規制した環境でも銃乱射はなくならない」って主張。
明らかにおかしいよ。
これ「前提条件の不備」という詭弁そのものなんですけど。
銃が蔓延してる条件下の問題点で、「その反対、銃が蔓延しないようにする行為そのもの」である「銃規制を否定」へ、繋げる。
正当性を持たすには、銃が蔓延してない条件下で、そこで、どうであるかを言わなきゃダメ。 それが前提条件。
ドーマーの定理と同じ奴ね。ロン・ポールのこれ。前提がおかしい。
銃規制されてる日本の学校で銃乱射は・・・って言わなくてもわかりますよね。右翼は、いっぱい銃持ってるけどね。
さすがに学校ではないですよ。
一度、日本のように銃を無くす事は難しい?いや、戦争の時に銃がいっぱいあったし。
廃刀令のように、一度アメリカで銃を回収することもできるよ。
それに、それは銃規制の正当性をごまかす行為=前提をあえておかしくしたこと、詭弁の理由には、ならないですよ。
政府の押し付け=教育という環境だと思うんだが・・・。
ロンポールに従い学校を例に出していいのなら、もう少しわかりやすく説明しよう。
個人同士の権利の衝突を。ちゃんとした前提条件の話で。
例えば…の話。
豆長者さんに子供でも孫でもいいから、小学生とか中学生あたりがいるとする。
拳銃だとさすがに日本では極論なので、「護身用ナイフ」とか、「スタンガン」で考えてみよう。
リバタリアンなら、自身の財産と自身の身体を守る権利として、生徒が「護身用具を持つ権利」を主張することができる。
笛や、サイレンの鳴るだけのキーホルダーじゃ意味がないからね。
先生達は言うだろう「みんながマネする」→「多くの生徒がスタンガンや護身ナイフを持つようになる」→「あぶない」
そんな環境になったとき、別の生徒の一人が言うんだ。
自分には「護身ナイフやスタンガンのない学校で勉強をする権利があるはず」と。
まあ、あたりまえだよね。
ね、個人同士でも権利は衝突する。
他者と衝突しない権利なんてない。だから規律(義務)が必要になる。
そういうこと。
権利の衝突、リバタリアンが、それをごまかすために必要な前提条件「他人に干渉するな」を、必要としていること。
その部分、主語の部分ね、それを「政府と個人」というのに限定する事自体がおかしい。
個人と個人でも権利は衝突するんだから。
そもそも、個人と個人で権利がぶつかる事を仲裁するために規制(政府もその一つ)が必要なんだよ。
スピード違反と、それを取り締まる警察の存在でもわかるよね。
車両を左側通行のルールがあるのに、「俺は右側を走るんだ」と権利を主張したら、ぶつかるのは政府ではない、単なる車と車である。
そのリバタリアンの「盲目的な権利の主張」には、他人と権利と権利が、干渉しあうというのをごまかすしかない。
だから、リバタリアンは個人主義に帰結する。
それなら個人の権利を最大限に主張することができる環境だから。
本来なら、その個人と個人の権利の衝突を無視できる状況=規制のない状況なら、それはアナーキズム(無政府主義)にも帰結するわけね。
究極的な話はね。だから、無政府主義者がまずリバタリアンと名乗ったのも、俺はすぐに納得したわけよ。
でも、「今の」リバタリアンは違うでしょ?(定義を予想して書いてるけど)
政府は「必要悪」としてでも「必要」としてる事。
それは権利が他者と衝突するのを認めていることと同義。
だから、上で説明したように、「他人の権利を侵害しない限り・・・」という制約=規制、義務がリバタリアンの理論には発生する。
自分達自身で権利がぶつかる事、その仲裁者=政府が必要な事を認めているはずなのに・・・・。
それなのに、リバタリアンは個人に「一方的な自由」があるように主張する。だから「個人の自由」という言葉を多用する。
前提として、政府(規制=仲介者)が必要なら、「個人単位の自由=他者と相関性のない自由」なんてないはずなのにね。
例えば、↑で例にあげた、この護身用具と学校の場合、俺が先生だったら、「スタンガンとか持ちたいとかぬかすのなら、学校くるな」と言うだろうね。
そういうと、「教育を受ける権利がある」と憲法あたりを盾に主張する。
教育を受けさせなきゃならない=規制、その憲法も、リバタリアンが嫌いな政府(規制とその統制のために存在する)と考えれば、同じものなんですけど。
自由=規制は常に必要=他人とぶつかるから。
同じように権利と義務はセット。
つまり、必然的に自由=規制なんですけど。わかりやすく言えば。
片方の規制はおかしくて、片方の規制は絶対的だと主張する。
だからリバタリアンは詭弁者なんだよ。
それが俺の言いたい事。
これも、「教育を受けさせない政府なら、いらない!!」→無政府主義者としての帰結。
そこまでいかないけど、「この学校ではない、好きな教育をうけなさい」→「1人で教育されてろ!!」→個人主義としての帰結になるわけね。
例えば通信教育なら、その護身具みたいな権利は衝突しないからね。
こういう風にしたいから個人主義になるわけね。
その「個人主義」の部分を含めて、俺が先生だったら「だったら学校くんな!!」になるからね、それが前回の記事とかの、田舎に引っ込め、って話と一緒。
さて、護身具と学校の話。わかりやすくこれにしたけど・・。
これは別に小、学生や中学生だけの話である必要もなく、学校である必要もない。
日本という国と銃規制でも置き換えることができる。うむ、前提条件は要らない。
ねえ、豆長者さん、ロン・ポールを信奉しちゃってるけど、これって日本で銃所持をを推進するのと一緒だよ。それを詭弁なしでできる?
どう考えても、よい社会にならないよ。
俺だってフリーメーソン支配の中央銀行は問題だと思うけど、↑で言ったように、権利の主張以外のとこ、経済理論においても、ロンポールの理論には、はっきり言って意味が無い。
基軸通貨で、刷るだけで他人の国をお買い上げ=権利を略奪、それをロンポールが是正しようとしたことが一度でもあるかい?
つまり、ドルが基軸通貨であることを問題視したことがあるか?
調べてる豆長者さんならわかるでしょ?
これは赤字だらけのアメと、そのアメに買われてる日本の外資比率の話だけでもわかるでしょ?ドル建て米国債でもわかるように。
一回もないでしょ。
911再調査は何度も言ってるけど、911を自作自演だと言った事が一度もないように。むしろ否定してるしね。
日本で銃所持を正当化する行為があるとしたら、それは権利の過剰な主張から始まるでしょ?。
全て同じ事。
リバタリアンは、国家補償とか、普通の社会保障さえ自己責任とかいって「余計な事」と言い張るのに、裏側では自分本位すぎる権利を主張する。それがリバタリアン。
政府を否定し、憲法とかで権利を言い張る。
本来なら、同じ物じゃないかと。
まあ、ロン・ポール支持者なら、日本で銃所持を正当化する文章を書いてみてください。絶対に説得力のない文章になるから。
アメリカのあの現状では、正当化できる要素は一切ないからね。
相対的な権利と義務の関係が見えていないから、「リバタリアンは世界中で通じる不変のものとして、その権利がある」と思い込み主張する。
そのロジックを逆に使わせてもらった。
今の日本で、銃の自由化=アメリカ化なんて、それを「あたりまえの権利」として主張するなんて話、これほど滑稽なものはないだろう。
もちろん、それを自分は詭弁として切り捨てるよ。
権利を一方的に主張するってのは、そういうことなんだよ。
自由というものが、みんなが「みずからをよし」とするための言葉なら、「みんなで銃を持たない」というのも、また「自由の一つの形」になりえるんだよ。
自由という権利の裏側に付随する「義務や規律」を一切無視した「自由」なんて、全部詭弁だよってこと。
ただ、この自由などに必然的についてくる義務などに目を向けた場合、リバタリアン理論は全て崩壊する。
「世界中で通じる不変の個人の権利」ではなく、周囲にあわせ、変化する権利=義務として、自由を考えた場合とかでもわかるよね。
それは、ロン・ポールに「日本における銃についての自由では、学校での銃乱射はないよ」というだけで、反論できなくなるようにね。
だから、わかりやすく言うと「一神教の自由」にならざるをえない。ってこと。リバタリアンの自由というものは。
別に銃規制についての話じゃなくてもいいよ。
ね、宗教の自由でもわかるでしょ?
少し考えてごらん。他の自由でいうなら「報道の自由」とかでもいいから。
名誉毀損という罪も無くしちゃってさ、規制や義務、そんなものが一切ない「なんでもあり」の「報道の自由」なんて、あっていいと思うかい?
それは記者クラブ批判とはまた別のもんさ。
そもそも、自由なんて単語は、詭弁以外で使われた事がなぃ・・・ケシケシ。今までの長文の意味がなくなる。
よし、補足の説明をしたとこで、豆長者さんのコメを読みます。
今回の補足で足りない部分は、コメなり記事にするなり、また考えます。
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