5th
3 月
2010
微妙に前回の続きである。
さて、だいだいこんさんに一番わかりやすい説明でするか。
つかみどころのない形而上の存在にすぎない“国家”なるカタチを、戦争の真犯人呼ばわりしてどうする。世間には実益にめざといもっと、利口な生き物たちが隠れている。私益を国益だと人々に思い込ませることに長(た)けたそうした生き者たちこそが、戦争の真犯人なのだ
以上、高橋五郎氏「ヒロシマ原爆と天皇の金塊」より
そそ、。形而上(けいじじょう)=「抽象的なもの。無形」という意味。
これは政府紙幣というものでも同じ。
それは「政府」この単語も、それだけでは、形而上の存在。=何を指すかわからないからね。
日本のロン・ポール【20080713】
http://www.mkmogura.com/blog/2008/07/13/108
そういうこと、形而上的表現ではなく、通貨発行権を「誰が」「どういう権限で」「管理するか?」と具体的に考えた場合、「政府」=特定できない=無形な抽象的なものでしかないわけ。
この「形而上的表現」という錯覚というか詭弁は、現代人は常に騙されてる存在なわけ。
例えば「暴力団員(ヤクザ)」という表現もね。
ある人が言いました。「あらゆるヤクザを監視する社会にしましょう!!」と。
ちょいまて、「ヤクザの判定は誰がやるの?」ということである。問い合わせればわかるのかと。
その境界線は、反共カルトの延長線上の政府機関が「勝手に暴力団員」と認定してるだけであるわけで。
だから、ヤクザ監視法なんて作ったら、右翼による弾圧、不敬罪の復活になるわけ。
俺にいわせれば、どっかの都知事も、パチンコ賭博利権を守る警察も、東京地検特捜部も、立派な暴力団である。
警察によくある「暴力団を追放しよう!」みたいなスローガンは、「一般市民を必要なら暴力団認定して追放できるんだぞ!」というのと、「暴力団は、自分達=警察の管理課である」という宣戦布告と勝利宣言の混ざった物である。
賭博管理して、みかじめ料=天下りする、立派なヤクザである。
おっと、脱線しかけた。
この形而上的表現を入れるだけで、意味は全然変わってしまう。
政府紙幣で具体的に説明しよう。
反ロスチャイルド同盟→みんなの党(清和会別働隊)支持=自民党なわけで。
彼らの「政府が自主権限において発行できる紙幣」の主張、この主語「政府が」は、「自民党に」と、置き換えることができるわけ。
逆に、コシミズが政府紙幣賛同ならば、「今の政府」だから、民主党に置き換えることができる。
特定がない場合、三権分立の中の行政権、つまり与党が通貨発行権を管理するということになるだろうからね。
だから「政府紙幣を発行しよう」を昔から行って来た奴に、俺は「自民党に通貨発行権を与えようというキチガイ!!」と称して来たわけ。
この反ロスチャイルド同盟、リチャード・コシミズ、それぞれの政府紙幣推進論は、立場の違う、自民党と民主党、つまりは、それぞれのロビー活動に過ぎないのである。
このように、「誰が」を、ちゃんと読み取りましょうということ。
まあ、つまり、統一教会系=反ロスにとって、政府紙幣は、もうどうでもいいです、はい。
少なくとも、以前と同じ、政府=今の民主党を意味する場合で政府紙幣を実現するようなことは考えではないわけですよと。
これはロン・ポールも同じですよ。
ちゃんと主語を「形而上的表現」でとどまらず、具体的に特定できる「明確な主語」で説明できなきゃいけないわけ。
例えば、「中央銀行総裁を国民選挙で選ぶとする」=「そいつ」が通貨発行権を管理する。こうなると、「明確な主語」だよね。
選んだそいつ=公的機関の長=政府紙幣なら、これも政府紙幣になる。
まあ、日銀も間接的にだが、政府機関から任命されてるだけで、何も変わらないんだけど。
まあ、選挙なんかで中央銀行総裁を選んだら、結果は「池田大作が選ばれる」だろうけどな。日本の場合では。だから何も変わらない。
政府紙幣以前に、日銀の長を国会に招致して、「通貨発行権についての質問攻め」は以前の自民党、そして今の民主党もできるわけで、それをしなかったし、しないのに、「ただ政府紙幣を実現しよう」では、なんの意味も無いって事です。
とくに、反ロスチャイルド同盟なんかは、清和会本流を支持するような行為をやってるわけで、ちゃんちゃらおかしくってヘソで茶が沸きます。
できることを「あえて」やらず、「できる可能性が薄いこと」のために、「ポーズ」だけをとる。これも詭弁みたいなものだよね。
特定できない「形而上の主語」と、「ポーズだけの行動」。似たようなもんだ。
まあ、中央銀行とフリーメーソンの関係も言及できないリチャード・コシミズが政府紙幣というのも、これまたお笑いネタとしか思えないのだが。
まあ、説明はこれぐらいにしよう。
自分の「通貨発行権の権限」については、特定の誰か=権力者ではなく、大衆に返すべきだと思っております。
>なら、通貨発行を「大衆の数に依存させる」という、頭数だけの
>「通貨発行を許す」というシステム、独裁がダメなら、一人一人に
>平等な通貨発行権の分散というのを俺は提唱したわけだけど。
さて、読者の方には自分のブログでの主張なども「形而上的表現」=詭弁になってないか注意して欲しいし、実際になってたら、コメで指摘してね、と思ってる。
これは、それほど難しい話だからね。
例えば、「ユダヤ」という単語だってそう。
シオニスト=ユダヤだけで考えた場合、わけわからないでしょ?
本来のユダヤは有色ユダヤ=セム系であるわけです。
現在のシオニストという意味では、昔のシオンの丘に戻ろう=昔からのユダヤ教という意味では違ってきている。
今のシオニスト=イスラエルも、アシュケナジーが中心だし。
Zion=Z(最終到達点)+ion(時代)なわけで、終末論の黙示録、キリスト教原理主義とリンクするアシュケナジーユダヤ(ハザール人の改宗=本来のユダヤ教じゃない)=白人、これがシオニストになってしまっている。
本来の有色ユダヤに派閥されるほう(ロスチャのニムロデの子孫発言)と、単なる白人偽改宗ユダヤ(悪い表現だけど、わかりやすくこう表現する)を、明確に区別しなきゃならないということ。
ユダヤという同じ枠では判断が出来ない=特定できない=形而上的表現になる。
これなわけだからね。
同じ事でフリーメーソンも、米英系メソとグラントリアン系メソでは全然違うから、「主語」は誰か?で情報も判断しなきゃならないということ。
フリーメーソンってだけでは、主語になりえない。
だからメソで、この区分け、ユダヤでこの区分け(最低でもハザール改宗についての知識)がないと、何の意味もない情報になると言ってきたわけ。
主語は何か?、形而上的な「特定できない何か?」になってないか、常に情報を仕入れるときは注意してくださいな。
だいだいこんさんには宿題ね。
・ハザール人のユダヤ教への改宗→ユダヤ人とは何か?
これぐらいは、俺の過去記事あたりからでもいいから探してみて。
その後、陰謀のガイドラインの見直してもらえば、ロスチャとロックの区分けが、ちゃんと見えると思う。以前、形而上的になっちゃってたし、リチャード・コシミズ程度とかで突っかかる事はなくなるから。
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24th
11 月
2009
朝日のTVタックルを見た。
亀井が来ると言うので、思わず食いついてしまった。
前回、前々回の記事、窓口指導の変質と復活の記事を読んで頂けだ読者には、「窓口指導の復活」の意味が、ある程度わかっていただけたと思う。
亀井のやろうおしてることが、まさしくこれであると、この番組でもよくわかるからだ。
番組の中で、「モラトリアムなんてやったら次から金融機関は貸してくれなくなる」と発言した出演者に対して、亀井は「そういう金融機関があるなら、私が直々に話す」みたいに断言していた。
これこそ、形を変えた窓口指導、金融機関への圧力システムそのものではないか。
やってることは正しいけど。
ね、モラトリアム(執行猶予法案)でさえ、窓口指導的「独裁者のシステムの復活」でしょ?。
今、財務省が中心になってやってる事業仕分けも、もちろんね。
↑ 前回の記事で言い忘れた。
こっちは、圧力ではなく「何にお金を使わせるか?」だが。
ま、少しは先回りできたかな?
日銀+大蔵省という窓口指導のシステムが、ロックフェラー陣営に乗っ取られて、財務省となり、しかし政権を民主党がとったことで、「窓口指導が別の形で蘇った」わけだ。
ヴェルナーが批判したのはノーパンしゃぶしゃぶ以降の「日銀+財務省」であり、賞賛したのが戦後復興させた日銀+大蔵省である。
そして、その独裁者のシステムが、今そこに復活してあるわけである。
良い独裁者として戦後復興させるのも、亀井でなくても、こういう権力をもつ人物が独裁的権限を持つ、大衆が「悪い独裁者」と考えるの事が生まれるのも、システムが原因で差異が生まれるのではない。
システムの違いではないのだ。国家間のさじ加減と目的、情勢のバランスによってである。
自分としては、良い結果であってもシステム自体が間違っていると思うのだが。
その当時は、冷戦構造化の恩恵で、窓口指導が日本総中流化として「良い独裁者」として機能しただけである。
これもわかっていただけるだろう。
もちろん、当時の日本は、朝鮮戦争の戦争屋として、ドル支配の下僕として、多くの国を犠牲にのしあがったわけだが。
独裁者のシステム、「新しい窓口指導」。
JSSなんぞでJALと関係の深い亀井の「モラトリアム」、財務省がロス茶系への復帰のシンボルのようなパフォーマンス「事業仕分け」、この2つだけでも大衆が監視して軌道修正できるように願うばかりである。
ヴェルナー理論、信用創造の仕組み、そして借金本位制までも、なんとか「かじったことがある人間だけ」が、ここらへんの記事を理解できるという、悲しい話だが。
亀井が選択として、「独裁者のシステム」を選ぶ事は正しい。
それ以外は、国家予算にあわせた通貨発行、完全に過去の窓口指導のシステムの復活などの手法があるが、それは政権交代直後に無理してやるべき選択肢ではない。
しかし、結局の所、政治みたいなものはシステムではなく人、人格に依存するのである。
そこを監視してね、ってこと。
ただシステムに内包された機能を理解して、初めて人格が見えてくるんだけどね。
ま、現時点のままでは「新しい窓口指導」は失敗するけどね。
その前に、ドル崩壊か、国家破綻宣言だからどうでもいいっちゃ、どうでもいい話だけど。
日本が、戦後復興、窓口指導により「理想的な社会主義」で成功したのは、表面では「民主主義」という形を取りながら、表の政治ではなく、裏の本当の政治では「マネー」により隠れて統治したという、2面性を持っていたから成功したわけだからね。
モラトリアム、事業仕分け、パフォーマンスの一部になって、表面に出てきてる以上、これでは機能が甘くて機能しない。
ビルダーバーグなどのように社会主義は、表に出しちゃ機能しなくなるからね。
「金融機関に圧力をかける&何にお金を使わせるか指導する」なんて、社会主義そのものなのだから。
だって、社会主義システムを表面に出すというのは、失業者を大幅に公務員化して、統治経済、社会主義万歳で、気に入らない奴は大粛清みたいな手法と同じことだから。
ひらきなおって、徹底的にこっちをやるほうが、これからのドル崩壊、信用崩壊連鎖への閉鎖型経済でマシともいえるのが、悲しいけどね。
さて、大まかに選択肢は2つ。
社会主義システムは表面に出す事で、お馬鹿左翼的にならざるをえない、もしくは機能を優先し、効率から裏で陰湿的側面を持たせるか、この2つの選択肢になってしまう。
自分もオープンソース社会主義みたいなのを思考してたので、ここらへんはわかる。
プログラム言語のオープンソースのように、使いこなせないと、オープンソース自体に意味はない。
つまり、政治で言うなら、大衆全員がコード(プログラムの中身)まで理解し、そしてそこまで政府が公開、説明させて、はじめて社会という表面で社会主義的システムは正当性を持つ。
じゃないと、旧社会主義が大粛清や言論統制が必要だったように、説明不足や大衆の理解不足のまま社会主義的統治の方法を表面に出すと、理解不足からくる不満が行動を誘発し、「独裁的部分」が悪用されやすくなる。
逆説で言うと、だから社会主義システムには裏の顔(恐怖、言論統制、二面性)これらが必要だったわけ。
ここは、現在行われている民主の事業仕分けが、「判断基準がわからない」「独裁的だ」と叩かれるのと、同じ理由なわけです。
こういう批判が出ないようにするには、大衆が、仕分内容や信用創造的効果、事業の進行まで理解して、民主の事業仕分けを判断できるようになる桃源郷か、「独裁的」に言論統制や恐怖でねじ伏せるかの2択なわけ。
民主党の事業仕分けでは、まだまだ公開性も足りないと思うけどね。
そして政治の機能、つまりコードを大衆が理解して、初めて、その実行者の「人格」が見えてくる。
今、民主党がやってる事には、帰属する責任=人格が見えないでしょ?そういうこと。
その人格の部分に民主主義的要素を入れるべきというのが、自分のシステム論なんだけど。
民主主義的システムというのは、投票者にも責任の帰属がなきゃダメだし。
機能の理解、人格、責任、そしてやっとシステムができるんだけどね。
システムで完全な物は絶対にありえないから、人格という要素での補完に頼るわけだが。
これは、機能の理解というポテンシャルをあげた上でのシステム論だというのは、わかってるけど。
俺の考えも、そこが空想だと、単なる「人の良さ」で騙されるお人好し、「先生、先生」と自民党に投票しつづけた老人達と何もかわらないのも・・・。
そのポテンシャルという最低条件以前に、自分は「機能の説明」という第一段階で四苦八苦してるわけだが・・・。
この先にも「欲という人間の本質」「理解という選出により発生する選民思想への対処」「理解の判断という独裁者の必要性」・・・いろんな解決しなきゃならないその先の段階の問題点があるんだが。
おっと、途中から窓口指導の問題点ではなく、システム論になったが、理想論は「善良な独裁者による隠匿された力で操る社会主義」というのに気づいてくれた人には、今の新しい窓口指導の問題点もわかっていただけただろう。
「無駄を省く」だけの民主党の事業仕分けの方針では、究極的にはマネーサプライの否定した社会なわけで。
やってる本人達が信用創造を理解してないわけで。
財務省の路線変更のシンボル的な意味合いはあるけどね。
窓口指導という独裁者のシステムについて、ちゃんと説明できたかな?
それに対する自分が考える別の方法論も。
ま、「理想的な独裁者」を求める行為よりも、「理解できる大衆」というのを切望するほうが健全かな?ぐらいの話だけど。
マルクス主義者が資本論の読書を押し付けるのは手法としては正しいけれど、結果としては無意味だったというオチで一席できそうな話だけど。
ま、小噺みたいなもんで、すまん。
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22nd
11 月
2009
前回の続き。
いつも中立で目が覚めるような記事ありがとうございます。
どうして潰せない銀行体制(例えば、潰すと数多くのステークホルダーに迷惑をかけて、経済に多大な影響を与えるレベルの銀行の数での体制)にすることが、市中銀行への窓口指導の圧力をかけることができなくなるのでしょうか?
銀行潰せない→中央銀行が、しょうがないので紙幣供給→不良債権だらけでも銀行ホクホク。 つまり、窓口指導(=いざとなったら銀行潰す)ができない程度の数まで、銀行数を絞る。
その方法として、不良債権処理をしないと企業体として不健全だから早く処理しなさい、と急かせる(この当たりに、山一證券の破綻、北海道拓殖銀行の倒産が重なっていたのも脅しのような意味があったのでしょうか)。
そして帳簿上の資産の不良債権割合が高い銀行と低い銀行が一緒になったり、また金融ビッグバンにより銀行と証券会社が同じ持株会社のグループ内に入ったりして、より大きく幅広い業務にかかわることができるようになった。ということでしょうか? 過去記事をあさってみましたが、よくわからないのでお願いします。
うい。
簡単に答えられる方から先に。
「銀行を減らす」ための脅しも存在しましたし、幅広い業務にかかわることにできることになったのも、同じ理由からだと、自分は個人的に思っています。
そして、銀行が「幅広い業務をやるようになった」というのは、窓口指導のリストでは「投資」や「サラ金」みたいなのは、非優先ランク(窓口指導が行われてる際には、これをやってると紙幣がもらえないBY円の支配者)にあげられてた業種へ、今の銀行は率先してやってるという現状から使った言葉です。
多業種で、紙幣の中央銀行依存リスクを下げる意味ももちろん、あります。
このあたりをおさえて、「窓口指導が今機能しているか?」を考えてみてください。
たぶん、全体像が見えてくるはずです。
ここらへんは窓口指導を知ると、納得できる部分があると思うので説明させていただきやす。
はじまり~はじまり~。
ひろさんは過去ログも読んでくれていて、山一證券などの金融危機の際の知識もあり、基本的な信用創造の知識もあると推察しました。
つまり、ヴェルナー理論も理解してる方だと推察しております。
そこで、ヴェルナー理論の円の支配者からの話、とくに窓口指導のことで説明します。そうすれば、ここらへんの話はわかってくると思います。
ヴェルナーの著書「円の支配者」で書かれていた事には、主に2つあって、預金準備率にあわせた「経済学の教科書的な信用創造の乗数的プロセス」の説明と、もう一つが「日銀のプリンスと窓口指導」なわけです。
自分はこの窓口指導に「納得」と「疑問」の両方の部分を感じたわけです。
高度経済成長の日本が、窓口指導により急成長した事。
これは自分は「納得」して、そのとおりだと思っていました。
もし、あの当時の戦後復興が今、窓口指導(何にお金を使うかの指導)をしないで行われた場合を想像するとわかりやすいと思いますが、ただ単にマネーゲームになります。
これは、今のアメリカで連想すればわかりやすいと思いますが、「国民総中流意識」の社会にはならず、余計、格差が開くでしょう。
円の支配者の中では、「投資」という分野は、非生産的信用創造(良い循環を生まないお金)というランクに置かれています。
よって、中央銀行(日銀)が、窓口指導「紙幣を刷って貸してやるけど、この分野には手を出すな」という窓口指導の実行時であった戦後の高度経済成長期などは、日本では株投資や証券会社は、いわゆる「白い目」でいられていたわけです。
1990年に崩壊した、あのバブル以外は「マネーゲーム=不健全」で日本人は考えていたわけで、その結果が、いわゆる「護送船団方式」なわけです。
あの時のバブルも、ゴルフ会員権や、土地でのレバレッジで、主に「個人」が行ったバブルであり、そこに銀行が我先でお金を貸していたわけです。
今のアメリカに代表される銀行による信用創造と投資銀行や、証券会社が直結したバブルとは違いますしね。
あの時は、不動産会社で、ここらとは明確に違うと考えております。
ただ、これでもわかるとおり、もし窓口指導というツールが効かなかったら、生産というタイムラグや、為替というリスクに左右される輸出産業を含む、設備投資→生産なんていう「実際に物を作る」ものへ、お金は注ぎ込まれなかったと思うんです。
サブプライムのように「何も作らず、123で金融商品の出来上がり」に、お金が集中してしまっていたほうが、楽ですからね。
いちいち手間のかかる「物を作る、食べ物を生産する」などに、ちゃんとした経済へ戦後復興で、お金を注ぎ込んだのは理由があり、それが「窓口指導があったからだろう」ということです。
あの朝鮮戦争特需からはじまる戦後復興も長期の安定したインフレだったわけで、今の状況に考えれば簡単な事で、儲けるだけならマネーゲームでよく、あっても企業買収とレバレッジで株投資などでバブルが起きてしまうだけで、当時の「護送船団方式」とは、全然違うわけですからね。
余談ですが、インフレ基調の戦後復興で一番恩恵にあやかれなかったのは、第一次産業の農家や漁師などであり、そのシステムの穴である農漁村の2世3世を、捕らえて、大きくなったのが創価学会ですね。って過去記事で説明しましたね。
つまり、それは逆説で「単純なマネーゲームバブルが日本の戦後復興は起きなかった」ということが、「窓口指導があった」の根拠になるわけです。
ここがヴェルナー理論の納得した部分であり、「過去に窓口指導はあっただろう」と自分は思ったわけです。
で、現在はノーパンしゃぶしゃぶ後のロックフェラー系へと財務省になってからは、この窓口指導は機能してなかったと感じております。(ここから説明します)
ここまで説明して、やっと、ひろさんの質問に関与する事に入ってきます。
まず、銀行の数を無くすと、「潰せません」。ここまではOkだね?
1927年の取り付け騒ぎを連想させるモラトリアム(執行猶予)を訴えていた亀井がデカイ態度をとっていたら、JSSで亀井と繋がりのあるJALの破綻騒ぎが起きたのと一緒。ぉぃ。
まあ、航空会社は数が少ないので潰せません。それと似たようなもんです。
とくに銀行ならね。企業は銀行に依存する。
公金注入=国有化と同じと考えると、市中銀行を国有化しても何も解決にまりませんなぁ。
そして、もっと大事なことは、多業種である三井住友、三菱UFJなども率先して「サラ金」をやっているという不可解さです。
窓口指導は「お金、紙幣を調達するのに中央銀行に依存する」というツールです。預金準備率というものでね。
なのに、サラ金という「紙幣の流出そのもの」に、大手銀行がやっているわけです。
その状態では「紙幣をあげないよ」という中央銀行の権限(ヴェルナー理論における支配者の絶対的権限)が有効ではないことを表しているわけです。
そこが、窓口指導というツールが、現在の日本では機能してないという判断材料になります。
これには、「幅広い業務にかかわることができるようになった。」ということも、もちろん関係しております。
これは、預金準備率を100%、つまり信用創造の乗数的プロセスを否定した場合でも想像できる話です。
「紙幣を他から借りてきてしまえば、ごまかせる」ということです。
つまり、銀行の信用創造を否定し、「お金(紙幣)を預かり、その手数料だけで経営しさせるべき」と、仮にしたとします。
確かめるべくもなく、関係省庁が、「預かったお金と同額分が銀行に入っているか?」を調査をする前日に「他の銀行からお札の束が、運送されてきてしまう」わけです。
それと同じで、銀行の取り付け騒ぎも、他の業務に手広くやってれば、リスク分散もできますし、多業種、そこから紙幣を借りてきてしまえばいいわけです。
中央銀行に依存しないですむわけです。
ネットバンクや電子マネーなど、紙幣という物自体が、旧式のツールとなりつつある現在では、「紙幣供給を中央銀行に依存する」という窓口指導のシステムの根幹が機能しづらいわけです。
それに窓口指導=紙幣の流出に怯えてる状態のはずの銀行が、コンビニでATMを馬鹿みたいにつけて喜んでるわけはないですしね。
他の銀行間の引出しを、手数料のたった100円でリスクを背負ってまでやるなんてことはないはずです。
さらに、窓口指導=紙幣の確保にあわせた権力を実行するなら、ATMの箱の中身にある紙幣まで、調査できないわけです。
本来は、ここまでを中央銀行が把握して、はじめて、預金準備率にあわせたベースマネー(中央銀行に預ける)のコントロールという、窓口指導が機能するはずなんですよね。
これが、本来のヴェルナー理論です。
それぞれの銀行が中央銀行に預け金をプールして、それから乗数的な信用創造のプロセスによってお金を生み出す、文字通り、「無からお金を作る」。
しかし、窓口指導でコントロールされたように、「預金準備率を上げてプール金を徴収すること=中央銀行から紙幣を調達すること」で、中央銀行、輪転機のスイッチの支配者=円の支配者に従うと。
ここにBIS規制(銀行の自己資本率)が絡んでくるわけですが。
ここらは吉田祐二~円の王権~がわかりやすいです。
つまり、預金準備率を上げられたら、なんとかして紙幣を集めなきゃならなかったわけです。
銀行にお金を借りてる中小企業の社長さんも、住宅ローンの人も、銀行が「貸し剥がし」をしても、借金返済を紙幣で払ってくれるわけないので、「通帳の数字=信用創造の乗数的プロセスで出した、無から作った数字」=「中央銀行への預け金にはならない」ということです。
単なる数字なら、銀行でゼロ連打すればいいだけだからね。中央銀行への預け金。
ま、教科書的な説明では、どれもこれもベースマネーは原因で、マネーサプライが結果となってます。
実際はベースマネーが結果であり、マネーサプライが原因です。
これは、ヴェルナー自身もごまかしてますが、預金準備率の上昇させたら「中央銀行へ紙幣の預け金の増量を求める」になるわけで、これもベースマネー徴収=結果を求めるプロセスなわけです。
ただ、窓口指導をやっていた時代は、預金準備率の上昇=マネーサプライの減少と思いきや、それと同時に中央銀行の印刷機のスイッチが怒号をあげる合図なわけで、中央銀行単体で見た場合も、全体でみた場合も、マネーサプライの追加でもあったんですがね。
つまり、昔は通貨発行権は窓口指導とリンクしていたということ。
さて、大事なとこ。
「今の日本では、窓口指導が機能していない」というとこと、「中国では窓口指導が機能してる」という事です。
もし、日本が窓口指導が行われてる=通貨発行権が預金準備率と窓口指導にリンクしてる状況なら、先ほど説明した通り、以下の事はありえません。
紙幣=ベースマネーなわけで、紙幣流出になるサラ金は蔓延しないし、ATMでも他の銀行のお金を手数料100円でおろせるようにはならないということです。
さて、以前は「通貨発行権は窓口指導とリンクしてた」のが、窓口指導が機能しない状態になってるということで、疑問が出てきます。
「今の通貨発行権は何とリンクしてるのか?」ってことです。
で、これは過去記事で説明した通り、「借金本位制」です。
ここからは予想になるんですが、過去の歴史からいうと 米国のFRBによる1864年の国法銀行法あたりの話です。
国債を政府が発行し、それを銀行が買い取り、その負債を準備率として計上するシステムです。
これは破綻直前にリーマンが米国債を入札したことでも裏付けられますし、「お金を刷らせるために国債を発行しろ」というコントロールされた論調も完全に符合します。
大蔵省がエコノミックヒットマンで乗っ取られ、財務省となり、銀行を潰し、肥大化させるのと並列して米国から「借金本位制」を持ってきたと考えると、辻褄が合うわけです。
つまり、紙幣を入手したければ「国債を銀行が買え」と。
BIS規制における、リスクアセット計算、つまり自己資本比率では「銀行がどんだけ国債などを買っても自己資本比率には計上されない」わけです。
その「価値のない」国債を金融機関が買ってる理由、それは「紙幣を入手させる手段だから」と考えれば説明がつきます。
だから、この状況でも国債は売れるわけですが。
信用創造のカラクリを理解してる人なら、金融機関が国債を買うお金は、「無から作り出したお金」であることを理解してるはずです。
無から作ってるわけで、一般的な「金余り状態」という洗脳された論調もありえないはずです。
これは「預金準備率は、低ければ低いほど良い」というのと、同じ事ですからね。
預金準備率が極限にゼロに近い経済ほど、不健全でしょ?
信用創造のシステムなんてインチキなんですから、そして、銀行が生み出す「貸し付け」が「無から作ったお金の生む利子というものが、実際の誰かの労働を強制させる」わけですからね。
そして、国債には「国民全体に労働を強制させる」という、「貸す企業がなくなったので国に貸付を用意した」という、もう一つの意味でも機能してると思います。
金融ビックバンを含めて「銀行数を少なくして潰せない銀行体系にする」
↓
通貨発行権を盾に「いざとなったら銀行を潰すよ」という、窓口指導が使えなくなる。
↓
さらに国債を買えば、紙幣を入手できる密約ができている。
ね、こうなってれば、窓口指導は機能しないでしょ?
>どうして潰せない銀行体制(例えば、潰すと数多くのステーク
>ホルダーに迷惑をかけて、経済に多大な影響を与えるレベルの
>銀行の数での体制)にすることが、市中銀行への窓口指導の圧力を
>かけることができなくなるのでしょうか?
これは、一言で言うと「窓口指導には『銀行を潰す』という圧力を内包してるから」という理由ですむ話です。
そして、、もう一つ、「借金本位制」=「紙幣を調達するのに国債を買う」というシステムがアメリカから持ち込まれた(たぶん、FRBと財務省の関係もこの機能です)からだと、自分は考えています。
破綻しそうなリーマンが、米国債を入札なんて、それ以外では説明できないからね。
今月で会社が潰れそうだから国債を買おうという経営者がいるわけないからね。
なぜか?っていうとそういうことになる。
それと同じシステムが米日の財務省で機能させたのだろうと。
で、こうなった理由は、ロス茶系への切り崩し、ロックフェラーのやった、財務省への乗っ取りなわけです。
その一部分がノーパンしゃぶしゃぶであり、金融ビックバンであるわけで。
ここを整理して金融ビックバンが実際に、何の機能を持ったか?を考えると、そのまま、ひろさんへの返答になるんではないか?ということです。
日銀+大蔵省のロス茶から、財務省(国債整理基金特別会計など)に移行したことで、窓口指導に関わる「紙幣の調達」という機能が変質した、それが窓口指導の変質である。
権力の乗っ取りが、機能を変質させたんではないか?ってことだね。
そして、Jロックフェラー、ロス茶色が再び民主党政権で強くなった事で出て来たのが、別の窓口指導、モラトリアムと事業仕分け「何にお金を使わせるか?」という機能が振り子のように戻って来たと。
そんなわけです。
よって、ロス茶の坂本竜馬やらが、TVのドラマなどで多く取り上げられるようになった・・・・あれ、ここは飛躍して説明しすぎか。
今、中国では窓口指導が行われている。
リーマンショックに合わせて、預金準備率を上げている。
ここらへんの数値のグラフは、ここらを。
http://www.jri.co.jp/file/report/china/pdf/2141.pdf
ここらの重要性を「日本では窓口指導が機能してないんではないか?」という視点で解説してる論者は、俺は知らない。
借金本位制の話は、状況証拠(しかもアメリカやサラ金、ATMのこと)だけでの組み立てだが、そこらへんを考えてみて欲しいのでした。
あんま、まとまりのある説明ではなくスマン。
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