利己主義と仮面 その2 【20091105】
スウェーデンボルグは、肉体から霊を意識的に脱出させ、現世とは違う次元で自分を解放したという。
その世界では、自身が、おぞましく野蛮であり「獣」のようであったという。
その姿こそ、666の数字で表す獣であり、人間の本質そのままである。
俺の感想。
ボルグなんてイルミナティの作った道化師であり、この話も御伽話だが、獣=人間の本質は間違いがないと思う。
そして、彼らは常に、これを意識して行動している。
さて、では、生命の利己主義とヒューマニズムの話を掘り下げてみるか。
あくまでも「人間の本質とは何か?」という話である。
ここでJロックフェラーの走狗、副島隆彦の理論から少し、拝借して関連させて説明する。
「ネイティビズム VS ビヘイビアリズム」である。
ネイティビズムとは「native 生まれつきの、生来の」でわかるとおり、生まれながらに人間の能力や個性は決定されているという考え方です。
逆に、ビヘイビアリズムは、生まれた時の人間は「真っ白な紙」として、その後の経験と環境が能力に左右されるという考え方です。
維新志士達は、英国の操り人形だと、言っておきながら、自身の祖先が南朝天皇のすり替えに荷担して、「政体書」を書いたことは一切スルーという副島隆彦です。
彼は、「自分はネイティビズムが8割」と考えているそうです。
さて、物事は「はじまり」を知ればいい。
文系の「うんち(運動音痴)」どもが、この思想を、あーだこーだ言うのは面白い話だが、そもそも、このネイティビズムVSビヘイビアリズムという二元論も、中間に答えがあると思う。
あなたの息子が、9秒5で100mを走れないように、遺伝的形質によって制限がある。
それは事実だ。
しかし、個性や能力が、生まれながらに「すべて決まっている」という考え方をするのは、それはおかしいだろう。
それは「強い種が生き残る」という進化論の勘違いと同じことだ。
ここらのネイティビズムが強すぎるとのは、「優生学思想」とセットになり、人種差別、支配階級の思想へと進んでしまうわけである。
ちなみに、副島は、ネイティビズムは保守の思想だと記している。
では、人間は「何を持って生まれて来たか?」を考えればいい。
はじまり=「生まれて来た時に何を持ってるか?」、この「波紋の中心」を考えれば、この二元論、生まれてからが重要か?生まれる前の形質が重要か?という疑問の中間がわかるはず。そこに答えがあるだろう。
そそ、その生まれた時に持っている物の一つ、というか主要なものが「生命という利己主義の義務」である。
だから、種の存続は、2次的な結果でしかないと説明したわけ。
これが土台になって、システムが出来ているのだと。前回の記事ね。
生まれて来た時に既に持っている物=本能、それは生命の基本要求である。
寝たい、喰いたい、やりたい。3大欲求だな。
ただ、これだけが本能ではない。
生命という個体は、自分以外が滅んだ後に自分だけが生き残れる事を、最終の目標とするシステムで継承をさせられている。
だから、多様化させるための利己主義を植え付けられて、この世に生まれて来たのである。
人間の本質は、生命の本質である。
それは「生き残る」という本質、ただそれだけである。
これは、自分以外の多数との比較で「生き残る」ということ。その確率が上がるなら、「他者の命が奪われる、奪う事をよしとする、いや願ってる」ということですよ。だって最終的な生命のシステムの目標と重なってる部分ですから。
あくまでも、このシステムは進化でも、種の存続でもない、自分が生き残るということ。
そのために、奪い、殺し、騙し、叫ぶために、全ての生命は存在している。
俺は、この「欲」も形質として、遺伝のように生まれた時に遺伝的に左右されてると思っている。
生まれた時から持っている欲望は個性である。先天的、同性愛者もこれは個性だろう。でも、この欲や個性を否定してはならないし、できる人間は誰もいない。
では説明する。
そもそも、生きることは奪う事だ。
弱肉強食、何かを奪わなければ、何かを蹴落とさなければ、全ての生命は生きていけないのである。
教育、道徳、理性、「人間という仮面」を脱ぎ捨てろ。その内側が人間の本質である。
全ての人間は、自分以外の全ての人間は「死ねばいいのに」と思ってるわけです。本来の本質としてはね。
今、あなたは、ほのぼのとした公園にいるとする。笑いあう家族や、恋人達。
仮面を外したあなたは、「この状況で一番残酷なこと」を想像すればいい。
他人の女を襲い、目に映るすべてを殺し、他人の財産を奪い、ねたみ、ひがみ、脅し、蹴落とし、地獄絵図が、仮面を外したあなたには見えるはず。
一番残虐で、一番非道で、ありとあらゆる欲を満たす行為が、本来の生命の本質=「欲」なのです。
「そんなことしたら、捕まって死刑だね。」とわかってるから、あなたは「仮面を付け直す」わけですよ。ニコニコの笑顔で。
これも利己主義=生き残るということだ。
進化とは、多様化させることである。結果的に生き残る種を作るために。
多様化とは、もっともっと多くの種類の欲を植え付ける事である。
それが生命の進化のシステムであり、そのために「利己主義という呪い」を、全ての生命は植え付けられたのだ。
子供が虫をバラバラにして興奮するように、すべての人間には、自分以外の人間を殺して快楽を感じる要素が、あらかじめ備わっている。
だから、自分本位制=利己主義にヒューマニズムの仮面が必要だった。
道徳や理性を、共用させるために、法や宗教が必要だった。
それは、「そのほうがイレギュラーを無くし、生き残る確率が高くなる」という、作ろうとした個人個人が利己的に考え、その結果で生まれたのだ。
こっちは、behaviorism、ビヘイビアリズム、つまり生まれた時は「真っ白」という行動主義のほうである。
つまり、生まれてからの「経験」などにより、この悪魔をコントロールし、隠す術を身に付けるのである。
つまり、ネイティビズムは、「人間が生まれる時に持っているもの」=本質は悪魔である。その悪魔は生命の全ての個体が持っていて、俺は利己主義と呼んでいるに過ぎない。
そっちを重視する思想だ。この欲というものは「飼い殺せない」と。
そしてビヘイビアリズムとは、その悪魔を制御するために用意する仮面であり、教養であり、道徳であり、理性であるとする。
生まれてからの無垢な人間に、この「仮面」をつければいいのだという考え方だ。
ときに、この作られた仮面は、宗教の形をとって「神」の名で悪魔と戦うのである。
仮面をつければ「欲」というものを飼いならす事ができると考えるのが、ビヘイビアリズムである。
こう聞くと、後天的な経験などを重視するビヘイビアリズムの思想のほうが良いもののように見えるが、「なぜ仮面が必要か?」を知っている、あなたは仮面を取って、確認することができるだろう。
多くの場合、無垢な子供に無理やり押し付ける、あらかじめ用意された物である。
切れそうで糸のようなゴムとプラスチックの薄っぺらな仮面である。
それが今の教育、道徳、社会そのままである。
「先生の言う事を聞きなさい」「右に習え」の金太郎飴のように、同じ仮面を付けて行くのである。
さて、俺もビヘイビアリズム的なほうの考え方だ。生まれてからの経験などを重視する方。
それは、今説明したとおり、身体的能力と共に、人間が生まれながらに継承する本質とは、「欲」そのものであるからだ。
つまり、この薄っぺらい仮面の下は悪魔なのである。
逆に、この薄っぺらい仮面に、個人の人格があるわけだ。社会に無理やりつけられた仮面に、マジックで書いたような違いが、個人の表面的な個性となっているのである。
でも、俺も仮面の方を大事でしょ?って考える方なわけ。本能という悪魔よりもってこと。
本能とは社会的に忌み嫌われる物である。
例えば、歴史上で日本ほど性倫理に明るい国は無かったぐらいの話だが、それでも性欲は、表面からは隠してあったんである。
それは、どの国のいつの時代でもそうだ。
よく考えると、世界中の成人以上の人間が、多かれ少なかれHしてるのに、不思議な話である。
道路に面した庭先で、夫婦が朝から、がんばってるのを通行人が「朝から精が出ますね」という、ほのぼのとした風景はあってはならんのだ。
レノンや小野ヨーコのあれは、特殊プレイという「多様化した欲」の一つでしょ?
この「本能=利己主義の悪魔」に、仮面を付けただけの者を人間という。
だから、人は666の獣なのである。
逆に、仮面=ペルソナに価値以上のものを見出した物は、自分の仮面=神と考えてしまうグノーシスになってしまうわけだ。
そこは、自分=悪魔と同義でもあるってことなんだけどね。二元論の究極的到達は同じ。
グノーシスが自分の仮面と同じ者を、神として他人に付けようとするのと、人間本来の悪魔の部分を、開放させようとするのも、同じ到達点を生む。
そして大昔、人間の仮面のままで、悪魔の力を行使する魔法が生み出された。
それが「お金」である。
「お金が欲しい」、これを強欲とするのか?必然とするのか?
答えを出せる人は少ない。経営破綻させて多額のボーナスをもらう、アメリカの投資銀行の奴らを、強欲といい、そのくせ自身は、「もっとお金を」と心の中で叫び、お金で人をランク付けをして、お金への欲のない者をキチガイと罵る。
そして、大事な事は、お金の誕生により、「奪う」のを基準になったということ。
「作りたい」より、「作ったのを奪う」というほうが、楽だからね。これも利己主義である。
「お金さえあれば奪える」今日も世界中で念仏が聞こえる。
これが、人間の欲=利己主義の本質である。
大事なとこは、人間という仮面のままで、獣になっているということだ。
お金は、奪うためだけに存在しているのに。
すべての人間というペルソナの内側に悪魔がいることを誰が否定できるのだろうか?
俺は、これを否定するつもりもないし、人の内面の悪魔さえも否定しない。
だって皆、これを持っているわけだから。
よって、反ユダヤでもなければ、反国際金融資本でもないつもりだ。多かれ少なかれ五十歩百歩なので。これも利己主が生み出したものだ。
しかし、こいつらが、仮面を俺につけようとしたら「イヤイヤ」ってするけどね。とくに宗教や地球温暖化詐欺とか。
長くなったが、これがヒューマニズムという自分本位制の毛皮の内側、人間の内面にいる悪魔とペルソナの話である。
読者が嫌がりそうな話で、あまりしたくなかったのだが。
イルミナティの経典は理性ではない、理性という仮面の内側を知っているかどうかであり、拝金主義への批判も同じことである。
さらに内側があるのだと。
ま、言いたいことをまとめると、「自分で仮面を作りましょう」ってこと。
人は生まれながらにして、ありとあらゆる欲望、悪魔を持っていることがわかったはずだ。それは多様化という生命のシステム自身であり、それは可能性そのままであるから。
それは誰の内面にもあって、恐れる物ではない。
そして自分の内面を知ってれば、仮面=抑制ができるということ。
この仮面という考え方は、陰謀論者としては、よく直面する話である。
例えば911が自作自演だというのを否定する一般人の人がいる。
それは、「作られた価値観」という仮面が外れるのを怖がっているからである。
こういう人達が、もうヒステリーのような状態になるのは、自分の仮面の内側が怖いからである。
逆に、自分が「必要のない仮面」をかぶってるという、自分の内面でも発見できる。
キリスト教や仏教への考え方でもそうだし、学校教育の嘘もそうである。
お金のことだって、部分的にはそれにあたる。
このペルソナ(位格)=仮面が、自分自身の「欲」を封じるためのものであると、知っているからである。
それが利己主義の人間が、社会を作り、集団で生きるという誤魔化しに近い目的のためでもあるのも、もちろんわかっている。
でも「必要ないじゃん」と思ったら、俺は迷わず、この仮面を脱ぎ捨てるし、必要なら「自分自身が考えた価値観」という仮面をかぶるのである。
ま、この価値観という仮面を分析してくと、自分を中心に思考が偏ってしまうので注意が必要だけどね。
もちろん、人間の個人ではどうしようもない事があるし、「見えざる手」のような物で、人間の人生なんて、簡単に動かされてしまう。
でも、ウチの読者には、それでどっかの神様みたいな宗教の仮面を押し付けられて、喜んでかぶるような馬鹿にもなって欲しくないし、この記事で説明した、俺の価値観をそのまま仮面として、すぐ付ける人にもなってもらいたくない。
だから疑って、間違って、そして自分で作りなさいと。自分の価値観を。
人は弱いからね。
でも仮面の中身がわかった気になってれば、慌てて付けることはないとわかるだろうと。世界中の皆が同じ事なんだよ。
さらに、陰謀論を陰謀論として、拒絶する人も何に怯えてるかわかるだろうし、それは、しょうがないことでもあるわけで。
かといって、仮面を押し付けるような行為は、絶対にしちゃいけないよと。
生命は多様化するために、欲望を多様化しようとする。それがシステムである。
そして、利己主義が、生命の義務として宿命づけられている。
でも、仮面が何かわかれば、それは飼いこなせるのである。
自分の中にいる悪魔も神も飼いこなしなさいよと。
仮面がなぜ必要で、なんなのかを理解してれば、人それぞれが欲望に振り回されないで、多様化した価値観を持つことができるのである。
今、あなたがつけている仮面、ペルソナ、それは薄っぺらいかもしれないけど、それが、あなたなのですよと。
posted in ガイドライン| Tags: 666, Jロックフェラー, お金, イルミナティ, グノーシス, スウェーデンボルグ, ネイティビズム, ヒューマニズム, ビヘイビアリズム, ペルソナ, 利己主義, 利己的, 副島, 悪魔, 拝金主義, 本能, 理性, 神, 自分本位制, 進化論 |
5 Comments