虚空と君のあいだに

選民思想は経済学から進化論へ【20091217】

17th 12 月 2009

選民思想は経済学から進化論へ【20091217】

 
 
書き忘れてたことを。
 
ヒュームの懐疑的経験論は、「大衆は馬鹿であるか?」であり、そこから、あのダーウィンの進化論も生まれてきた。
 
 
 
結論から言うと、自分達の選民思想を確定させるためのツール、それが進化論である。

そこらへんの流れを説明する。
簡単に言うと「選民思想(ヒューム)→経済学→進化論」で、進化論と経済学が、それぞれ今この世の中にあるわけだ。しかし、ツールとしては同じ物だ。
出来上がるまでの過程でもいろいろ理解できるが、経済学も進化論も、彼らが作り彼らが実行する、イルミナティにとっての聖典なわけ。

 
 
では、まず進化論は経済学から生まれた。
 
その前に、まず進化論の勘違いから。
「キリンの首が長いのは、長い個体だけ生き残った」というのなら、シマウマは全滅しているはずである。
「じゃあ、なんでシマウマの首は伸びてないの?」
こんな、小学生にありがちな質問を答えられる大人は少ない。
 
この進化論が生まれるまでの流れと、「進化論=選民思想というネジを締めるための工具」という役割を理解してれば、誰でも簡単に答えられるのだ。
 
進化論、それは、東インド会社の経済学者、トマス・マルサスから生まれた。
それは、今現在、地球最大の問題、人口爆発を言い当てた経済学者である。
 
乗数的プロセスで人口は伸びていくが、食料などは加算式で改善していくしか方法はない。
掛け算で増える人口と、足し算の食料、酷い時は引き算だね。
 
そこから、競争は避けられず、自然界では、強い者が生き残り、弱い物は死滅する。という考え方である。
ま、このブログでも繰り返して来たように「強い、弱い」=環境に適合していたか?というのは、結果論でしかなく、「自分達が強いから弱者を食い物にしていい」という「進化論の勘違い」が選民思想として残っているわけである。
 
 
その元ネタが、トマス・マルサスの人口論(1798年)であり、ダーウィンはそれを、パクっただけである。

先ほど説明したように、「キリンの首が長い=環境に適合した」という法則は成立しないし、その首が長くなったのは「ウイルスなどの外因的要因」であろう。
ウイルスなんかに、かかってしまった個体は、「弱い者」になるわけだからね。
だから、キリンの首の途中過程、首が伸びてる最中の化石は発見されていないわけ。

さらに、進化論=ガラパコス諸島みたいな話になってるが、隔離された特別な環境だから通じるという話であり、だからこのキリンの首の話も進化論では、説明つかないのである。
 
 
さて、進化論と、マルサスの関係がわかったところで、ヒューム哲学から経済学、そして進化論ができるまとめを、簡単に。
 
ヒューム→Aスミス →マルサス → ダーウィン 「種の起源」進化論。
 
ヒュームとアダム・スミスは交遊があり、スミスこそが古典派経済学を確立する。
そしてマルサスは、その古典学派の中心人物なわけだ。
 
古典派は、資本主義継続における自由放任主義の主張が基本になっている。
ま、「大衆は馬鹿だから何でもあり。」というヒューム哲学の「大衆は馬鹿だ」という、懐疑的経験則から生まれた、「選ばれた民に都合の良い聖典」、それが経済学の基本なわけである。
 
そこから生まれたのが、マルサスの人口論(誰が生き残るか)であり、理系的に(大衆の価値観を壊すツール)として進化論が生まれたわけである。

進化論否定というと、キリスト教的な「猿の延長線の否定」と勘違いされそうだけど、進化論も経済学も、選民思想そのものであるということ。
「強い、弱い」そんな判断は誰にも出来ないんだよ。
結果論として、環境と偶然が過去に通り過ぎてから、判定するだけであって。
強い種になった=進化ではない、ただ生き残ったという事実だけだ。
ダーウィンの家系が、体が弱かった事は、あまり知られていない。
 
 
さて、経済学なんて役に立たないのに、なぜ後生大事に大衆に叫び続けているか、シマウマの首が伸びないのを説明できない進化論を、地球上の絶対的ルールと錯覚させているのか、あなたはわかって来たと思う。
 
全くそのとおりですよ。
合理主義という名の人類削減計画が行われようとしてる現在、それを追いかけると経済学が人口管理という概念を生み出したということ。
進化論から弱肉強食という理由付けをつくり、搾取行為を正当化してること。
全部、選民思想の「支配者のツール」である。

「支配者にとって都合の良い理論」を真実と洗脳させて、「大衆の頭の中に閉じ込めるためのネジ回し」それが、経済学であり、進化論である。
ここは、他の宗教も同じだけどね。
イルミナティが否定した王権神授説と、肯定した社会契約説とかの、日本の天皇や政治システムそのものの社会体制などもね。
 
その思想がどこから来てるかを理解してもらえたかな?
 
 
ま、自分は「馬鹿な大衆」そのもので、選民思想ではないわけです。
それでも「大衆は馬鹿だ」と「同じ哲学的部分」を判断してしまっていたりする。
一歩間違えたら、選民思想に落ちてしまうわけだね。
ま、だからこんなフラフラな生き方して踏ん張ってるのかもしれんけど。
 
とりあえず、進化論のようなインチキではなく言える事として、自然界では「殺していいのは食べるときだけ」という原則がある。
メスの奪い合いとかもあるので、「生きるのに直結した時のみ、殺す事に正当性がある」と言い換えればいいかな?
 
今の世の中の「経済学」「進化論=弱肉強食(弱い奴から搾取して良い※現在進行形)」に、この正当性があるのかな?
 
 
俺は、どんな人にでも「殺されないように生き残りなさい」と思ってるし、「殺してでも生き残りなさい。」とも思っている。
 
俺の「殺してでも生き残れ」という考えは、誰も強い種と弱い主が判断できないように、それでは「勘違いの弱肉強食」という、今の作られた搾取構造を半分認めていることと同義である。
 
だけど、せめて紙切れではなく、自分の牙と手で直接殺せよと。
今までの戦争や生存競争なんて、誰かに演出された物なんだよ。おまえだけの意思や決意での行動ではない。
つまり、自分の意思と自分の生存だけに直結してる場合のみ、実行してもらいたいと思うけどね。
 
選民思想で生き残れる側の立場に既にいると思ってるなら、他人を殺すなと。
満腹の時の肉食獣は、狩をしないだろと。
自然界で唯一、正当性を否定できない行為は、喰うという行為である。
 
殺す人間には、食べきる覚悟が必要だということだ。
 
 
 

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5th 11 月 2009

利己主義と仮面 その2 【20091105】

 
 
スウェーデンボルグは、肉体から霊を意識的に脱出させ、現世とは違う次元で自分を解放したという。
 
その世界では、自身が、おぞましく野蛮であり「獣」のようであったという。
その姿こそ、666の数字で表す獣であり、人間の本質そのままである。
 
 
俺の感想。
ボルグなんてイルミナティの作った道化師であり、この話も御伽話だが、獣=人間の本質は間違いがないと思う。
そして、彼らは常に、これを意識して行動している。
 
 
 
さて、では、生命の利己主義とヒューマニズムの話を掘り下げてみるか。
あくまでも「人間の本質とは何か?」という話である。
 
ここでJロックフェラーの走狗、副島隆彦の理論から少し、拝借して関連させて説明する。
「ネイティビズム VS ビヘイビアリズム」である。
 
ネイティビズムとは「native 生まれつきの、生来の」でわかるとおり、生まれながらに人間の能力や個性は決定されているという考え方です。

逆に、ビヘイビアリズムは、生まれた時の人間は「真っ白な紙」として、その後の経験と環境が能力に左右されるという考え方です。
 
 
維新志士達は、英国の操り人形だと、言っておきながら、自身の祖先が南朝天皇のすり替えに荷担して、「政体書」を書いたことは一切スルーという副島隆彦です。
彼は、「自分はネイティビズムが8割」と考えているそうです。
 
 
さて、物事は「はじまり」を知ればいい。

文系の「うんち(運動音痴)」どもが、この思想を、あーだこーだ言うのは面白い話だが、そもそも、このネイティビズムVSビヘイビアリズムという二元論も、中間に答えがあると思う。
 
あなたの息子が、9秒5で100mを走れないように、遺伝的形質によって制限がある。
それは事実だ。
しかし、個性や能力が、生まれながらに「すべて決まっている」という考え方をするのは、それはおかしいだろう。
それは「強い種が生き残る」という進化論の勘違いと同じことだ。
ここらのネイティビズムが強すぎるとのは、「優生学思想」とセットになり、人種差別、支配階級の思想へと進んでしまうわけである。
ちなみに、副島は、ネイティビズムは保守の思想だと記している。
 
 
では、人間は「何を持って生まれて来たか?」を考えればいい。
 
はじまり=「生まれて来た時に何を持ってるか?」、この「波紋の中心」を考えれば、この二元論、生まれてからが重要か?生まれる前の形質が重要か?という疑問の中間がわかるはず。そこに答えがあるだろう。
 
そそ、その生まれた時に持っている物の一つ、というか主要なものが「生命という利己主義の義務」である。
だから、種の存続は、2次的な結果でしかないと説明したわけ。
これが土台になって、システムが出来ているのだと。前回の記事ね。
 
 
生まれて来た時に既に持っている物=本能、それは生命の基本要求である。
寝たい、喰いたい、やりたい。3大欲求だな。
 
ただ、これだけが本能ではない。
生命という個体は、自分以外が滅んだ後に自分だけが生き残れる事を、最終の目標とするシステムで継承をさせられている。
だから、多様化させるための利己主義を植え付けられて、この世に生まれて来たのである。
 
人間の本質は、生命の本質である。
それは「生き残る」という本質、ただそれだけである。
これは、自分以外の多数との比較で「生き残る」ということ。その確率が上がるなら、「他者の命が奪われる、奪う事をよしとする、いや願ってる」ということですよ。だって最終的な生命のシステムの目標と重なってる部分ですから。
あくまでも、このシステムは進化でも、種の存続でもない、自分が生き残るということ。
そのために、奪い、殺し、騙し、叫ぶために、全ての生命は存在している。
 
 
俺は、この「欲」も形質として、遺伝のように生まれた時に遺伝的に左右されてると思っている。
生まれた時から持っている欲望は個性である。先天的、同性愛者もこれは個性だろう。でも、この欲や個性を否定してはならないし、できる人間は誰もいない。

では説明する。
 
そもそも、生きることは奪う事だ。
弱肉強食、何かを奪わなければ、何かを蹴落とさなければ、全ての生命は生きていけないのである。
教育、道徳、理性、「人間という仮面」を脱ぎ捨てろ。その内側が人間の本質である。
 
 
全ての人間は、自分以外の全ての人間は「死ねばいいのに」と思ってるわけです。本来の本質としてはね。
今、あなたは、ほのぼのとした公園にいるとする。笑いあう家族や、恋人達。
仮面を外したあなたは、「この状況で一番残酷なこと」を想像すればいい。
 
他人の女を襲い、目に映るすべてを殺し、他人の財産を奪い、ねたみ、ひがみ、脅し、蹴落とし、地獄絵図が、仮面を外したあなたには見えるはず。
一番残虐で、一番非道で、ありとあらゆる欲を満たす行為が、本来の生命の本質=「欲」なのです。
 
「そんなことしたら、捕まって死刑だね。」とわかってるから、あなたは「仮面を付け直す」わけですよ。ニコニコの笑顔で。
これも利己主義=生き残るということだ。
 
進化とは、多様化させることである。結果的に生き残る種を作るために。
多様化とは、もっともっと多くの種類の欲を植え付ける事である。
それが生命の進化のシステムであり、そのために「利己主義という呪い」を、全ての生命は植え付けられたのだ。
 
子供が虫をバラバラにして興奮するように、すべての人間には、自分以外の人間を殺して快楽を感じる要素が、あらかじめ備わっている。
 
だから、自分本位制=利己主義にヒューマニズムの仮面が必要だった。
道徳や理性を、共用させるために、法や宗教が必要だった。
それは、「そのほうがイレギュラーを無くし、生き残る確率が高くなる」という、作ろうとした個人個人が利己的に考え、その結果で生まれたのだ。
 
こっちは、behaviorism、ビヘイビアリズム、つまり生まれた時は「真っ白」という行動主義のほうである。
つまり、生まれてからの「経験」などにより、この悪魔をコントロールし、隠す術を身に付けるのである。
 
 
つまり、ネイティビズムは、「人間が生まれる時に持っているもの」=本質は悪魔である。その悪魔は生命の全ての個体が持っていて、俺は利己主義と呼んでいるに過ぎない。
そっちを重視する思想だ。この欲というものは「飼い殺せない」と。
 
 
そしてビヘイビアリズムとは、その悪魔を制御するために用意する仮面であり、教養であり、道徳であり、理性であるとする。
生まれてからの無垢な人間に、この「仮面」をつければいいのだという考え方だ。
ときに、この作られた仮面は、宗教の形をとって「神」の名で悪魔と戦うのである。
仮面をつければ「欲」というものを飼いならす事ができると考えるのが、ビヘイビアリズムである。
 
こう聞くと、後天的な経験などを重視するビヘイビアリズムの思想のほうが良いもののように見えるが、「なぜ仮面が必要か?」を知っている、あなたは仮面を取って、確認することができるだろう。
 
多くの場合、無垢な子供に無理やり押し付ける、あらかじめ用意された物である。
切れそうで糸のようなゴムとプラスチックの薄っぺらな仮面である。
それが今の教育、道徳、社会そのままである。
 
「先生の言う事を聞きなさい」「右に習え」の金太郎飴のように、同じ仮面を付けて行くのである。
 
 
さて、俺もビヘイビアリズム的なほうの考え方だ。生まれてからの経験などを重視する方。
それは、今説明したとおり、身体的能力と共に、人間が生まれながらに継承する本質とは、「欲」そのものであるからだ。
 
つまり、この薄っぺらい仮面の下は悪魔なのである。
逆に、この薄っぺらい仮面に、個人の人格があるわけだ。社会に無理やりつけられた仮面に、マジックで書いたような違いが、個人の表面的な個性となっているのである。
 
でも、俺も仮面の方を大事でしょ?って考える方なわけ。本能という悪魔よりもってこと。
 
 
本能とは社会的に忌み嫌われる物である。
例えば、歴史上で日本ほど性倫理に明るい国は無かったぐらいの話だが、それでも性欲は、表面からは隠してあったんである。
 
それは、どの国のいつの時代でもそうだ。
よく考えると、世界中の成人以上の人間が、多かれ少なかれHしてるのに、不思議な話である。
道路に面した庭先で、夫婦が朝から、がんばってるのを通行人が「朝から精が出ますね」という、ほのぼのとした風景はあってはならんのだ。
レノンや小野ヨーコのあれは、特殊プレイという「多様化した欲」の一つでしょ?
 
この「本能=利己主義の悪魔」に、仮面を付けただけの者を人間という。
だから、人は666の獣なのである。
逆に、仮面=ペルソナに価値以上のものを見出した物は、自分の仮面=神と考えてしまうグノーシスになってしまうわけだ。
そこは、自分=悪魔と同義でもあるってことなんだけどね。二元論の究極的到達は同じ。
グノーシスが自分の仮面と同じ者を、神として他人に付けようとするのと、人間本来の悪魔の部分を、開放させようとするのも、同じ到達点を生む。
 
 
そして大昔、人間の仮面のままで、悪魔の力を行使する魔法が生み出された。
それが「お金」である。
 
「お金が欲しい」、これを強欲とするのか?必然とするのか?
答えを出せる人は少ない。経営破綻させて多額のボーナスをもらう、アメリカの投資銀行の奴らを、強欲といい、そのくせ自身は、「もっとお金を」と心の中で叫び、お金で人をランク付けをして、お金への欲のない者をキチガイと罵る。
そして、大事な事は、お金の誕生により、「奪う」のを基準になったということ。
「作りたい」より、「作ったのを奪う」というほうが、楽だからね。これも利己主義である。
「お金さえあれば奪える」今日も世界中で念仏が聞こえる。
 
これが、人間の欲=利己主義の本質である。
大事なとこは、人間という仮面のままで、獣になっているということだ。
 
お金は、奪うためだけに存在しているのに。
すべての人間というペルソナの内側に悪魔がいることを誰が否定できるのだろうか?
 
俺は、これを否定するつもりもないし、人の内面の悪魔さえも否定しない。
 
だって皆、これを持っているわけだから。
よって、反ユダヤでもなければ、反国際金融資本でもないつもりだ。多かれ少なかれ五十歩百歩なので。これも利己主が生み出したものだ。
しかし、こいつらが、仮面を俺につけようとしたら「イヤイヤ」ってするけどね。とくに宗教や地球温暖化詐欺とか。
 
長くなったが、これがヒューマニズムという自分本位制の毛皮の内側、人間の内面にいる悪魔とペルソナの話である。
読者が嫌がりそうな話で、あまりしたくなかったのだが。
イルミナティの経典は理性ではない、理性という仮面の内側を知っているかどうかであり、拝金主義への批判も同じことである。
さらに内側があるのだと。
 
 
ま、言いたいことをまとめると、「自分で仮面を作りましょう」ってこと。

人は生まれながらにして、ありとあらゆる欲望、悪魔を持っていることがわかったはずだ。それは多様化という生命のシステム自身であり、それは可能性そのままであるから。
それは誰の内面にもあって、恐れる物ではない。
そして自分の内面を知ってれば、仮面=抑制ができるということ。
 
この仮面という考え方は、陰謀論者としては、よく直面する話である。
例えば911が自作自演だというのを否定する一般人の人がいる。
それは、「作られた価値観」という仮面が外れるのを怖がっているからである。
こういう人達が、もうヒステリーのような状態になるのは、自分の仮面の内側が怖いからである。
 
逆に、自分が「必要のない仮面」をかぶってるという、自分の内面でも発見できる。
キリスト教や仏教への考え方でもそうだし、学校教育の嘘もそうである。
お金のことだって、部分的にはそれにあたる。
 
このペルソナ(位格)=仮面が、自分自身の「欲」を封じるためのものであると、知っているからである。
それが利己主義の人間が、社会を作り、集団で生きるという誤魔化しに近い目的のためでもあるのも、もちろんわかっている。
 
でも「必要ないじゃん」と思ったら、俺は迷わず、この仮面を脱ぎ捨てるし、必要なら「自分自身が考えた価値観」という仮面をかぶるのである。
 
 
ま、この価値観という仮面を分析してくと、自分を中心に思考が偏ってしまうので注意が必要だけどね。
もちろん、人間の個人ではどうしようもない事があるし、「見えざる手」のような物で、人間の人生なんて、簡単に動かされてしまう。
 
でも、ウチの読者には、それでどっかの神様みたいな宗教の仮面を押し付けられて、喜んでかぶるような馬鹿にもなって欲しくないし、この記事で説明した、俺の価値観をそのまま仮面として、すぐ付ける人にもなってもらいたくない。
 
だから疑って、間違って、そして自分で作りなさいと。自分の価値観を。
 
 
人は弱いからね。
でも仮面の中身がわかった気になってれば、慌てて付けることはないとわかるだろうと。世界中の皆が同じ事なんだよ。
さらに、陰謀論を陰謀論として、拒絶する人も何に怯えてるかわかるだろうし、それは、しょうがないことでもあるわけで。
かといって、仮面を押し付けるような行為は、絶対にしちゃいけないよと。
 
 
生命は多様化するために、欲望を多様化しようとする。それがシステムである。
そして、利己主義が、生命の義務として宿命づけられている。
 
でも、仮面が何かわかれば、それは飼いこなせるのである。
自分の中にいる悪魔も神も飼いこなしなさいよと。
仮面がなぜ必要で、なんなのかを理解してれば、人それぞれが欲望に振り回されないで、多様化した価値観を持つことができるのである。
 
今、あなたがつけている仮面、ペルソナ、それは薄っぺらいかもしれないけど、それが、あなたなのですよと。
 
 
 

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24th 10 月 2009

フェビアニズムと解体新書 その2 【20091024】

 
 
 
 
前回の続き。
 
 
アメリカを支配するパワーエリートの解体新書
中田安彦(ヒロシ) isbn978-4-569-77278-3
 
 
さて、シュタイナー思想の説明。
 
この「アメリカを支配するパワーエリートの解体新書」のP182から「コーポラティズム」というものの説明をしている。
 
これは、現在の鳩山が騒いでいる「友愛」そのままである。
それは「経済における友愛」というシュタイナー理論の中身である、社会有機体三分節論の問題点そのままである。
 
エンデ理論の根本とフリメである限界【20090728】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/07/28/282

社会フリメ支配の三文節化【20090729】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/07/29/283
 
 
これは、マネーサプライの否定とも言える放置主義のオーストリア学派、リバターリアニズム(ロン・ポールなど)と中央銀行廃止思想(政府機関にするだけじゃ何もかわらない)の問題点にも絡んだ話である。
よって、説明するから、↑ 読んでね。
 
 
まず、シュタイナー=フリーメーソン思想であり、世界中の中央銀行、ドルを主軸とした国際決済までもが、このコーポラティズムの形態で構築されている。
コーポラティズム=シュタイナー思想である。
減価紙幣のエンデとかも、この思想の一種だ。↑で説明したとおり、エンデは通貨発行権という支配者のツールの機能を無視している。
 
 
そして、労働組合=フリーメーソンで、共に発展した理由もシュタイナー思想からである。
 
フリメの構築マニュアルは、社会有機体三分節論より
 
 1 精神・文化による「自由」
 2 法による「平等」
 3 経済による「友愛」
 
これは、どれも「コントロールする者=特権階級」を生むシステムである。
ヒロシの作った挿絵がわかりやすい。

挿絵には、「パワーエリートと一般国民との壁」がある。
俺に言わせれば「あえて作るように設定されている」ということだ。それこそがシュターナー社会有機体三分節論の中核である。
 
 
まず、コーポラティズムとは「ブルジョア向け社会主義」ということらしい。
 
具体的な説明は、「民間が企業の所有権を持ち、民間独自の裁量で経営を行うけれども、社会主義のように、政府が物資の流れを管理する事を言う。」
 
さらに必要条件としては、「富裕層から貧困層へ所得の再分配を行う」(本中の文章よりひっぱってきた)と、俺個人の見解だが、付け加えさせてもらおう。
コーポラティズムは前向きな意味で本では使われていたので、上記の説明では足りないので。
 
再分配のところは経済手法ではなく、政治の問題であって、これができれば、どんなシステムでも何も問題ないはずだが・・・。そこにヒロシの説明はない。
 
コーポラティズムの説明は、本読んでもらわないと伝わらんかも。
乱暴に言うと、「ブルジョア向け社会主義、つまり官民合同的な役割が強い社会主義的パートナーシップ」ってこと。
政府が指導的(おもに富の再分配や労働環境の向上など)役割を果たし、民間が雇用を捻出し、民間らしく合理化する事業形態の経済システム。
 
事業で言うと、ニューディール政策とか。
中央銀行の日銀、FRB、日本の天下り団体さえもこれにあたるな。
 
 
コーポラティズムの問題点としては、以下がある。
ヒロシの本より。
「そして、コーポラティズムの最たる存在は、連邦準備制度理事会(FRB)である」「左派からも、この体制は『社会に損失だけを押しつけ、民間企業が利益を独占する』ではないかと指摘されている」この2つは本より、そのまま引用。
 
功罪として、ヒロシはニューディール政策における労働環境の整備や生活環境の改善をあげている。まあ、不況時のマネーサプライは、必要ですからね。ただ、戦争というマイナスも、もちろん指摘している。
 
自分のブログの読者なら、(日銀と大蔵省)が、預金準備率を盾に「政府がお金の循環(物資の流れ)を管理する」という窓口指導での日本経済の復興=そのまんまコーポラティズムである。再分配が機能してるからね。これで良い面を考えればいいと思う。
善良なる独裁者の社会主義=コーポラティズムである。
 
 
 
では、俺なりに問題点を説明する。
事例をあげるより、フリメの社会構築マニュアルそのものを解読しよう。
 
「精神・文化による自由」は、個人の自由がぶつかり、「仲裁する独裁者」を生み出す。「法による平等」も法を作り執行する独裁者を、「経済による友愛」こそが、コーポラティズムそのもので、これまた独裁者を生むのである。
 
これは中央銀行問題と同じだ。独裁者は、この境界線とグレーゾーンから出現する。
では、簡単に。
 
まず、経営者と労働者で分けた場合、そこに「絶対遵守の不平等な壁」ができる。
思い出して欲しい、結果的にコーポラティズムは、その壁を維持するのだ。
あたりまえだが、そんな会社を労働者は認めない。
 
そこで、フリメの作品「労働組合」が出てくるわけである。
労働者と経営者の橋渡しに。ここがフリメの独壇場である。
まず、経営者と労働者でピラミッドを書く。経営者と労働者には境目のラインができる。
このピラミッドの中で、両方にまたがるように、労組という円を書く。
 
さくっと軽く書いてみる。
コレは、俺の説明用ね。ヒロシの挿絵はもっとちゃんとしてる。
 
20091022koyou.bmp
 
 
さて問題です。
労働者が労働環境の改善をしたくても、できなかった場合、悪いのはどこですか?

「悪い労働環境を押し付ける経営者が悪いのか?」
「改善できない労働組合が悪いのか?」

さあどっち?
責任に責任をぶつけて、責任そのものが相殺されるのである。
 
 
中央銀行も同じである。政府と国民(民間企業)というピラミッドを書いて、境界線を引く。
そして、労組のポジションで、日銀の円を描く。両方の境界線の間に。

これも責任と責任をぶつけることで「あやふやにする」という簡単なトリックだ。
 「国債を発行しつづけた日本政府が悪いのか?」
 「お金を印刷しない独立した中央銀行が悪いのか?」
ほら、責任を2つ発生させる事で、わからなくなるわけです。
 
さらにいうなら、この労組のポジションをピラミッドのTOP経営者側に寄せると独裁的な経営性が高まる。
派遣業などでもわかる今、庶民が苦しめられている状況がそれであり、逆に労組が労働者よりであると、企業自体が身動きできなくなる。
 
つまり、このポジションを作ることで、経営者だけでなく、労働者、両者を操るパワーバランスが生まれるのである。
それがフリメが労働運動とともに育って来た理由だ。
労働組合は、あたりまえだが環境改善ではなく、そのコントロールのさじ加減のために存在し、別の面では経済活動自体を固着するためにも存在するという面もある。
 
さじ加減の調整者=独裁者を作ってしまったのだ。
 
 
これが労働組合の機能である。
ま、派遣社員の、労組自体が存在しなかったよりは、マシとも言えるけどね。、

中央銀行=独裁者も同じである。

日本が経済復興していたころは、日銀が「循環性の高い経済活動へ指導していた」というピラミットの国民よりに「独裁者の円」があった。コーポラティズムの良い面である。
 
逆に、ノーパンしゃぶしゃぶ、財務省以降の「規制緩和」「市場原理主義」の時代は、逆に政府よりに「独裁者の円」があったという悪い面である。
 
むしろ、中央銀行は政府よりのポジションにあったことを、まず理解しなきゃならない。
 
 
そういうわけで、中央銀行を廃止しても、逆に「政府が国民との不平等な壁をどこで作るか?」という、さじ加減の問題だけが残るのであって、何も問題は解決しないわけです。
これが政治の問題へと移行して、選挙によって解決できるというのは幻想だと自分は思うわけです。
 
 
フリーメーソンの構築マニュアルの本質は、あくまでも「良い独裁者」と「悪い独裁者」の立ち位置による問題でしかないということです。
 
ね、理想論を言うと、「善良の独裁者による社会主義」という幻想になるでしょ?
 
ま、自分は、マネーサプライを否定する人間ではないし、代案として、今の中央銀行でもいいから、人口にあわせた通貨発行によるマネーサプライ、善良な独裁者的な強制力をシステムに内包した(ピラミッドの底辺で循環しやすい紙幣)、ベーシックインカム=通貨発行で、国民に近づけた通貨発行権(独裁者の円を下に近づける)の社会にしなさいと、提言するのである。
 
 
 
さらに、国際決済とドルの話もするか。

ロン・ポールは、金本位制への回帰と、FRBの廃止を掲げている。
これは、ヒロシの本の言葉で言うとマネーサプライを否定した、究極の自由主義、オーストリア学派から来ている。ここらのアメリカでの思想の流れもヒロシの本に書いてある。
自分は、以前から説明したとおり、マネーサプライの否定は、搾取構造への助長であると考える。
 
糞ゲー検定3級【20090310】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/03/10/180
 
しかも、黒字亡国そのままであるドル建て米国債というシステムでもわかるとおり、今現在の国際決済という「独裁者の円」は、アメリカよりに存在する。
この基軸通貨という優位性を無視して、維持ありきのロン・ポールなどの理論は、アメリカ人でも何でもない自分にとっては、暴君的な理論に聞こえる。

もうわかったと思うが、フリーメイスンがFRBを民間企業にした理由は、基軸通貨であるからだ。
BISを中心としたフリメネットワークとアメリカの間に、円を書いたのである。これも世界政府的な規模でのコーポラティズムだ。
基軸通貨の発行権が、アメリカ政府に丸投げだったら、911自作自演→イラク戦争以上の事態を起こしたであろう。
中間に置いて、さじ加減のコントロールをしようとしたのである。
 
FRBが、こいつら欧州ロスチャイルド錬金術師によって支配されてて、フリメのために利己的に機能してるのはわかるが、アメリカにも支配されてる日本から見ればどちらも大差がない。
 
ロン・ポールなどの理論が、この基軸通貨という優位性をなくしてのアメリカFRBの政府機関化なら賛成だが。
ただ、基軸通貨でなくなり、マネー流動性を否定したアメリカなんて、国が丸ごとヨハネスブルグだろう。
そういうところを、オーストリア学派は無視しているのである。
ここら、ロン・ポールなどは所詮、白人至上主義的な要素が見え隠れするのである。
 
ヒロシの本では、リバタリアニズムには2種類いるらしいが(買って読んでね、すまん、俺も勉強する)、そこに戦争反対であろうと、支配階級批判であろうと、なぜか「アメリカ例外主義」という特権階級思想が重なるのも、必然の話である。
それは、基軸通貨の優位性(暴走するというマイナス面もあるが)という特権性を無視しているのと、同じことなわけです。
 
これも特権者を生む「経済における友愛」の側面と、利己主義のヒューマニズムにおける別の奴らの特権主義との競合である。 
 
 
さて、「経済における友愛」の説明は、ここらへんにしておこう。
って、途中から本の説明になってないし。
 
本の中で、オバマ政権における「官民共同ファンド」なんてものが出てきてるが、これこそ経済における友愛の問題点そのものである。
これでピラミッドの底辺にお金がくるか?でもわかるし、政府と企業で、「責任を2つ発生してあやふやにする」という手法だけでも問題点は理解できるだろう。
 
 
 
今、労働組合を支持者に持つ日本の民主党、まあ、それ以前に首相自体が友愛&宇宙人で、ポジションは明確だが。
そして、米民主党のオバマも進歩主義、いやフェビアニストである。
日米がタイミングをあわせたかのように、これである。
 
ヒロシは、この進歩主義者たちを静観する、いや「見守る」という姿勢である。
このフェビアン協会からの流れ、進歩主義、いや以前の記事で、俺が使った言葉、「合理主義」、これこそがワンワールドで、新世界秩序の根源であると。
ヒロシもH・G・ウェルズが新世界秩序を打ち出したと、本の中で書いているけどね。
 
合理主義(進歩主義)の説明↓。
 
ロス茶が作るマトリックス その1【20090916】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/09/16/404

ロス茶の作るマトリックスその2【20090917】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/09/17/407

 
 
↑進化論に関係したとこを読んでね。
最初に引用した文を読み返して欲しい。もう一度貼る。
 
引用

これらの進歩主義派の知的エリートたちは、きわめて理想主義的であり、元々は19世紀末のフェビアン主義に源流がある。ただこれらの知的エリートのプランは、これまで何度も金融資本によって乗っ取られてきた。仮に「世界中央銀行」のような存在が出現するとしても、これが多国籍金融機関に悪用される可能性に十分注意すべきだろう。

 
 
乗っ取られたのでも、悪用されたのではない、フェビアン主義が源流のこの思想は善悪の価値観を超えた合理主義そのものであると。
この合理的なマトリックス的社会主義思想は、最初から、そのためだけに存在していたんだと、明確にわかるはずです。
 
そこに、ヒロシがシュタイナー思想の中にある特権思想的部分から脱しきれず、ここを批判できていない理由と思うわけです。
そこが、ひっかかったんだと思う。
 
自分としては、アメリカの思想や人脈などは、今回紹介できなかったが、有意義だし、これは名著だと思う。
しかし、シュタイナー思想、進歩主義、フェビアニスト達の根源的な間違いである、進化論の勘違いに気づかないまま「合理主義」を「見守らないで」欲しいと思ったりします。
 
 
男と女が「一人では種を残せない不完全な個体である」というように、進化とは不完全さの多様化から、「結果として生き残る種を作る」ことである。
 
進化論を、「強い種が生き残る」と勘違いしてるから、新世界秩序の中の人、進歩主義は戦争を起こそうとしているのです。
それを、ただ見守っちゃダメですよと。
 
 
 
 

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