虚空と君のあいだに

北朝の天皇のゆりかご その2【20100113】

13th 1 月 2010

北朝の天皇のゆりかご その2【20100113】

 
 
 
次回の続き・・・・だと一生終わらないので・・・。

前回の続きです
 
 
明治維新後の明治3年(1870年)、南朝が正統とされた年、明治44年(1911年)、裕仁の院政時代の大正15年(1926年)(院政での乗っ取りは1921年から)。
この3つの時期に万世一系(笑)と言われる天皇が、コロコロ調整させられているのは余り知られていない。歴代の天皇を外したり、昇格したりしてるのだ。
 
すべて南朝が優勢になるときのタイミングというのが、また面白いけどね。
やってることも、また明確だけど。

 神功皇后……大正15年(1926年)に外される
 弘文天皇……明治3年(1870年)に追加
仲恭天皇……明治3年(1870年)に追加
後村上天皇…明治44年(1911年)に追加(南朝)
長慶天皇……大正15年(1926年)に追加(南朝)
後亀山天皇…明治44年(1911年)に追加(南朝)
光厳天皇……明治44年(1911年)に外される(北朝)
光明天皇……明治44年(1911年)に外される(北朝)
崇光天皇……明治44年(1911年)に外される(北朝)
後光厳天皇…明治44年(1911年)に外される(北朝)
後円融天皇…明治44年(1911年)に外される(北朝)
 
外されたのは、文字通り、歴代の天皇ではないとして「何代目」とかから削除されたわけ。
で、追加されたのが、ねじ込まれた人ね。
 
じゃあ弘文天皇で説明するか。
弘文天皇(大友皇子、または伊賀皇子)
第39代天皇  在位 672年1月9日 – 672年8月21日

もともと、大友皇子としての表記しかないのに、「実質的に天皇だった」として明治維新直後にねじ込んだのが、「第39代天皇 弘文天皇が、天武天皇の前にいたよ」という話なわけ。

この一覧を見ればわかるとおり、「基本は南朝族をぶち込んでいる」わけ。
でも、大友皇子は、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇=吉野に逃亡した)と対立した図式でもわかるとおり、「大友皇子=南朝」という図式ではない。
ここは天武天皇が親新羅的な外交をやらなければならなかった時期で、難しいとこだからね。
 
ま、でも実は簡単である。
「百済からの亡命者を多く受け入れた=大友皇子であるから」
そそ、天武との対立の話は、南朝(百済)VS 南朝(でも白村江以降の親新羅な外交)での対立であるわけ。
実際は天武も親新羅とは言い切れないし。日本書紀の「三韓征伐」でもわかるとおりだし、日本に「新羅から難民が来る理由はなかった」わけだからね。
ま、南朝ど真ん中ではないが、弘文天皇=百済だから明治維新直後に追加されたということ。
逆に、天武天皇の新羅にしなければならなかった外交政策が、これが最近、戦後の南朝亜種、韓国の慶尚道支配の走狗による、新羅シュメール航海民族征服論の武装根拠に化けるんだけどね。
新羅から日本に来る理由がなかったというのに。
 
ついでの朝鮮と天皇史を少々。
沙宅紹明、吉大尚などの百済亡命の学者を、弘文天皇が抱え込んでいたこと。
だいたい、継体天皇=(男大跡王・おほどおう)の一族は、朝鮮半島の大伽耶からの移民である。(507年)
天皇なんて、朝鮮からの渡来人そのものは否定できないでしょ?
 
新潟からの交易品で、朝鮮では取れないヒスイ。
信州=長野に大量に難民が来て貴族になったけど、歴史では一切説明されない「高句麗(高麗)」という話。貴族=天皇を中心とした貴族社会入りである。
 
万葉集の作者の系譜であり、大和朝廷の軍事力といわれた大伴金村などの大伴氏が失脚したのも、朝鮮半島の経営に失敗したからです。壬申の乱→天武天皇につき再興→藤原氏の台頭→朝鮮半島の経営に失敗→大伴氏は衰退。
ここからも、朝鮮族と天皇が、常にセットであったことがわかるよね。
 
これは、以前に過去記事で書いた、「文字と一神教」ローマでユダヤ教が地位を築いた話と全く同じである。
 
大昔、統治する際に、文字というものがないとコントロールできなかったわけ。
現場に間接統治する際、文字が重宝された、ローマではユダヤ人、日本では中国の東出張所であった高句麗などを中心とする朝鮮人の人達。
だから、漢文で書かれてるよね?その意味がわかる?と言ったわけ。
ただそれだけのこと。
 
だから、白村江の戦い以降、難民が大量に来たときから、日本は律令が急激に整備されたわけ。=文字を使える人が多く来たから。
過去記事で、欧州のことを説明したのを、「日本ではどうかな?」と、情報と着眼点を自分で解析して組み立てなおせた人は、どれくらいいるかな?
 
 
正直、天皇というシステムなんてどうでもいいです、はい。
歴史的に認められてる、朝鮮人から渡来人(継体天皇)とかの話も知らずに、「天皇の悪口を言う奴は朝鮮人」とか言う奴は、どんだけ自虐的なのかと。
リアルでウンコ味のカレーとカレー味のウンコのどちらかを、選んでるのである。
うん、どっち喰ってもスカトロである。

おっと、ここらの右も左も朝鮮族というのを、まとめなきゃならんな。
この「阿呆な血縁政治」は、特権階級=天皇に近ければ何をしてもいいという社会である。
偽ユニセフの小和田家だってそうだし、首相だって皇族血縁者、橋本や麻生などばかりだ。
そして、あの南朝族、SAGEグループの発起人に、この大正天皇路線(北朝)大隈重信の名前も上がっているわけ。
 
在日特権だって、失われた北朝のための特権であって、皇室特権の延長線上の物なんだよ。
だから、この血縁阿呆な政治というものを大衆が理解しない限り、選挙で是正される事は、未来永劫こない。
 
 
おっと、北朝路線の話だから、最後にこれで締め。
 
以前、仏教=天皇だったのが、南朝=明治維新になってから、国家神道になったことを簡単に説明した。
北朝系統の天皇家には、その仏教の流れ、彼らが檀家としている寺があるわけ。
それは、泉涌寺。
明治維新の時に、殺された孝明天皇のお墓のあるそうな。
 
この北朝の寄り合い所みたいなのが、「御寺泉涌寺を護る会」なるものであり、その初代会長が、日本オリエント学会=騎馬民族征服論、あの三笠宮崇仁親王である。
そして、二代目が秋篠宮だそうだ。
 
さて、今現在、「完全な北朝崇拝で南朝討伐論」を掲げている北朝系は存在しない。本来の北朝とは言えなくなっている。
そして、戦後のCIA、慶尚道支配=新羅により、本来の南朝(百済)勢力を虐殺した奴らと、右翼がセットになってしまっている。
こっちも本来の本来の南朝からずれている。
 
グチャグチャだな。皇室内の創価人脈、北朝とも重なるクウェーカー教人脈を中心としたキリスト教人脈・・・。
これ以上、阿呆な血縁社会を維持しようとすると、誰が一番、死に近づくかなんて言わなくてもわかるだろう。
 
そして、その中、今、南北朝の振り子が揺れる。
 
あくまでも北朝ではなく南北朝の融和路線へ向けてだけどね。
ただ、この振り子がもっと大きく揺れる近い未来に、また死ぬ人が、この中から出てきてしまうと俺は考えてるんだけどね。

天皇制なんて止めてください、崇めないで下さい。殺さないで下さい。
 
誰か救ってやってください。
 
俺は、天皇という個人を誰よりも「人として」考えてると思うぞ。
この日本の根幹の詐欺システムの走狗に対して、甘すぎるくらいに。
 
 
 
これは、2000年8月に雅子さんが出産予定という騒動にも言及した、誰かの阿修羅の投稿を、自分なりの視点と新しい要素も加えて、組み立てなおしたものです。
お暇なら、元ネタも探してみてね。
 
 

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4 Comments

12th 1 月 2010

北朝の天皇のゆりかご その1【20100112】

 
 
さて、もう一つのリクエストは「天皇」についてだったな。
 
まず、どう考えても「明治維新の時に、南朝に天皇をすり替えた」という状況証拠が揃いすぎているということ。
 
その結果できたのが2つの五箇条、田布施の怪、日本の薩長支配。
まあ今も、日本は阿呆な血縁政治の延長であるという単純な話だ。
 
明治天皇からの系譜、基本は南朝天皇を基準とした血縁政治という現状に続く話である。
 
まあ、天皇自体は、作り物のお飾りである。
それに対してのオバマの姿勢やら、何やらで判断できる事など何もない。
スウェーデン王室のように、全く関係ないやつらも王室にしてしまう、フランス革命からのイルミナティ伝統芸能であるからね。
「手馴れてるね」ぐらいの感想でしかない。職人のように、繊細で丁寧なだけである。
 
そんなわけで、書ける話はあまりない。
ガータ-勲章、頭山満が「行かないで」と嘆願した「裕仁のイルミナティ合宿=欧州外遊」、まあ部分としてはネタになる事例は、複数あるわけだが。
天皇なんて「動きのない価値観形成のツール」であって、それがどうなるか?なんて分析して言及できる事はないからね。
 
 
ま、「南朝支配」にさらに、今回の要素を足すぐらいで、今回は勘弁してもらおうかな?と。
 
今回のネタ、「大正天皇とは何だったのか?」ってことで。
そう、大正天皇は「北朝との融和みたいな要素」があったということ、つまり「替わりばんこの密約」そのものである。
 
南朝にすり替えた際、国際金融資本とも手を組んでの圧力、その後、北朝を納得させるために「大正天皇=北朝側」という話になったであろうということ。
しかし、昭和天皇が院政で乗っ取った事、種無しスイカ、これまたいろんな要素があるんだけどね。
 
 
とりあえず大正天皇とは何か?と考えるだけで見えてくることがあるということ。
 
 
大正天皇は、一説によると「大隈重信の息子」であるという説がある。
 
これは、南朝の話、天皇すり替え、そこらへんを理解してる人からの話であり、北朝よりの暴露でもなく、信憑性が高いかも?と勝手に考えている。
 
これは、「日本人なら天皇を崇めるべきと言う人が多いのに、なぜ大正天皇の顔を知ってる人がここまで少ないのか?」という、至極、真っ当で内臓をえぐるような
ことも同時に書いてあったからね。
 
その答えが「大正天皇=北朝路線」であろうということ。
 
そして、こっからがその人の理論ではなく、俺のオリジナルのはなしである。
さあ、はじめるか。
 
大隈重信こそ、今の北朝路線の中心的ハブでもある「早稲田大学の創設者」であるわけです。(東京専門学校1882年)
 
新年の御挨拶【20100104】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/01/04/591
 
 
早稲田→北朝という構図が大正天皇とリンクしてると考えれば、かなりの構図が浮かび上がってくるのである。
 
↑ついこの間の記事。
 
三笠宮崇仁親王 → 日本オリエント学会=騎馬民族征服論(江上波夫)→早稲田のネオ騎馬民族征服王朝説
 
>日本におけるエジプト学派の本拠地が、早稲田大学エジプト学研究所であること。
ここらへんとかもね
 
ほら、今、自民党という右派路線に対して、新左翼などのメンツがデカい顔をしている。その中核が「早稲田大学である」という単語ということ。

太平洋問題調査会(IPR)や、ゾルゲ事件などの尾崎までの波及を含めて「なぜ早稲田大学は左翼のゆりかごであったか?」を考えた場合、「大隈重信の子が大正天皇である」という答えが、他のパズルの要素とも完全に、はまってしまう答えなのである。

他の要素・・・。
大正天皇というのが、北朝路線と南朝社会との融合であるということ。
大隈重信の反薩長であったという態度と今の新左翼というメンツ。エジプト学派。騎馬民族征服論も含めて、これらが全部綺麗に収まるのだ。
 
そして、この北朝路線、「大正天皇は何者か?」というのは、対立論から情報を判断する手法で言えば、「天皇すり替えありきの考え」であって、明治維新のみえみえの天皇すり替えを否定する南朝族がリークできる類の話ではない。

だから、大正天皇=大隈の子っていうのを、信頼しちゃってる部分もあるんだけどね。
本来、先回りして確かめる事の出来ない話=確かめられないから、どうでもいい話なのは、わかってるけどね。
 
 
また話が長くなった。まだ半分なのに。
他、適当に。ということで次回。
 
 

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